mieki256's diary



2006/01/15() [n年前の日記]

#1 [pc] HDD復旧関係の記事をメモ

_【ハウツー】FD2枚でパーティションを復旧!(1) - BG-Linuxのインストール (MYCOM PC WEB)
_【ハウツー】FD2枚でパーティションを復旧!(2) - データのサルベージとバックアップ (MYCOM PC WEB)
_Knoppixを使ってWindowsデータを操作する方法
_FIXBOOTコマンドを実行するとパーティションブートセクタが壊れることがある
_パーティションブートセクタの回復方法
_削除したパーティションを簡単に復活する方法
_Windows 2000/XPで128GB超のHDDを使う
_DOSコマンド リファレンス>起動しないときのコマンド操作
_passage FAQ困った - 回復コンソールで使えるコマンド一覧
_ITmedia エンタープライズ:Windows Tips「回復コンソールって何?」
_Windows XP 回復コンソールについて
_WindowsXP FAQ - Windows 回復コンソールについて。
_ZCR/bLOG - WindowsXP起動せず - knoppix と gpart と fdisk と。
_データ復元 - 中の人をあきらめる前に - Software Linkage
_2004/01/22 三田(2) 「ディスクが BIOS から認識しなくても諦めるな!」
_2002/11/07 自宅(1) 「復活の日: FreeBSD ディスククラッシュ事件総括」

#2 [pc] gpart なるツールでパーティションの情報をリストアップできるときもあるらしいと知ったので試してみたり

knoppix 3.7 *1 で起動して、
gpart /dev/hda
と打ってみた。ダメだった。「Fatal error : failed to read partition table.」と言われる。

hdparm /dev/hda
hdparm -d0 /dev/hda
として、DMAを無効にして試してみたけど、変化無し。

gpart のバージョンを調べる。
gpart -V
0.1hだった。てことは現時点の最新バージョンということであらうか。

linux の fdisk で確認してみる。
fdisk /dev/hda
「/dev/hda を読めません」と言われる。linux の fdisk でそういうことを言われちゃうというのは、よっぽどの状態ということなのでありませうか。

WinXP の CD-ROM で起動 *2 して、回復コンソール *3 とやらに入ってみた。インストールログオンの選択で、「C:\WINDOWS」しか出てこない。…WinXP は2台目のHDDにしか入ってないから当り前か。で、map コマンドを使ってみたけど、2台目のHDDしかリストに出てこない。1台目はどこに行った。どうも WinXP からは、1台目のパーティションは、何一つ見えていないらしい。
*1: knoppix = CDから起動できる Linux。
*2: 起動時に何かキーを押さないとHDD側が起動してしまうのだな。>WinXP の CD-ROM 起動。
*3: セットアップの画面が出たら、Rキーを押す。>回復コンソール。

#3 [pc] 不思議なのは、knoppix のデスクトップ上に、hda1、hda5 のアイコンが見えてること。

マウントもできるし、中のファイル一覧も得られる。

そういうことが出来るということは、パーティションテーブルとやらも最低限取得できてる、ということではないのだろうか。それとも、それらパーティションの存在を認識するのに、パーティションテーブルとやらを利用しなくてもOKということなのだろうか。

ちなみに、BIOSからは、HDDが存在するように見えてる。HDDの型番も起動時に表示されてるし、BIOS設定画面でHDDを検出する項目でも、何GBのHDDか等の情報が見えてる。うーむ。

NTローダが起動したり、Win98を起動できたりするあたり、1台目の C:\ が見えないと、つまりは1台目のパーティションが認識できないと、それら起動はできないだろうと想像するわけで。ということはパーティションテーブルを読むことぐらいはできるんじゃないの、とも想像するのだけど。うーむ。

やっぱりちゃんと仕組み・仕様を勉強しないとダメっぽいなぁ。

#4 [zatta][pc] 自分の昔の日記を読み返すと頭が痛くなってくる

HDDのパーティションをどんなサイズで切ったのかメモが残ってないものか、と思って日記を読みかえしていたのだけど。なんだか頭が痛くなってきた。

_どうして「青い」「三角定規」なんだろう を読んで、「この人、頭おかしいんじゃないか」と。

さておきHDD購入当時から怪しい動作に不安になっていたらしい :

「異音がする」等、日記にやたらと書いてある。うーん。今まで使えてたこと自体がラッキーだったのかもしれんなぁ。

#5 [anime] エウレカセブン、お父さんの思い出話の回

金髪兄さんの疑問は至極まっとうだと思う。私も気になりますよ。

後半、急に作画が崩れた感が。まあ、昔のアニメに比べたら全然マシなレベルだけど。要するに、それだけ普段からクオリティが高い、ということなのだろうなぁ。

「家」を強く意識して、かつ、異星人に対して好戦的な姉と、異星人と仲良くしようと主張する妹。 :

というのはイデオンだけど。なるほど、エウレカセブンはイデオンにインスパイアされた作品というのはホントなのかもしれんと今頃気がついたり。

#6 [anime] マジレンジャー、優しい敵の登場の回

子犬が出てきたのは戌年だからだろうか。関係ないか。…優しさを画面に写すのに、子犬というアイテム・記号ほど便利なものはないなと。これで、雨が降ってる中、傘をさしてやったり、学生服の中に入れてやったりすると完璧。何がだ。…考えてみると、子犬以外で優しさを表現する方法が、自分、思いつきませんがな。

列車が登場することで攻撃になるシチュエーションに感心。考えつかなかった。強引で素晴らしい。このぐらい大きな嘘だと気持ちいいなぁ。

#7 [anime] ライダーヒビキ、最終回1話前の回

少年、そっちに行っちゃうのか。

「金の斧と銀の斧」の話が、本編とどう絡んでるのか、自分には今一つよくわからなかったり。単に、「正直であれ」ということだろうか。本当にやりたいものを見つけたらソレをやるべきだし、どうしても嫌な仕事なら嫌だと言ってしまってもいいよ、とかそのへんなのかしら。

パネルシアターと鬼の仕事 :

パネルシアターは、高寺版平成ライダーだろうか。それとも、白倉版平成ライダーだろうか。鬼の仕事は、高寺版平成ライダーだろうか。それとも白倉版平成ライダーだろうか。

失礼な言い方だけど、パネルシアターの表現手法って、紙芝居に毛が生えた程度の表現手法なわけで。そりゃ、鬼の仕事に比べたら、スケールが違う。鬼になりたい人間にとっては、チープだろうし、取るに足らないつまらないものだろう。が、しかし。本編中では、パネルシアターを、子供さんが満面の笑みを浮かべて観賞してる。紙芝居から、ほんのちょっと進化したとも言える。…なんだか、少年が犬小屋を作った回を思いだしたり。

「正々堂々お前と勝負して勝ちたかった」と叫んだ、少年のライバルの姿は、高寺Pの姿だろうか。それとも、白倉Pの姿だろうか。途中で辞めてしまう状況を考えると、どちらとも言えないんだよなぁ。あるいは、井上氏に、「力があるのに、こんな子供向けの仕事やってないで〜」云々と言ったという、偉い作家さんの姿だろうか。

考え過ぎだろうな。交代劇近辺ならともかく、この段階まで来て、そういう意図を込めた作り方なんてしないであろう気もするし。でもまあ、そういうことを邪推・勝手に妄想しながら見るのも、それはそれで面白い。

#8 [anime] プリキュアMAX、最後の蝿登場の回

蝿 = 妖精モドキ。…結局、あの妖精は何だったのだろうなぁ。てっきり、収集を目的にすることで、様々なエピソードが作られるのかなと予想してたのだけど。そういう展開はまったく無かったし。主人公達が妖精のことをすっかり忘れて勝手に行動を取ってると、向こうから姿を現してゲットできちゃう都合のいいアイテムだったわけで。なんだかなぁ。玩具会社から捻じ込まれたにしても、監督 or 脚本家陣営が、それを話の中に反映させられるだけのテクニックを持ってないということだろうか。1stガンダムあたりの時代に比べると、作品の方向・流れを決める位置にある人達の、各種技術の不足・試行錯誤の少なさが、目につくようになってきたということなのであらうか。…考え過ぎかな。というか、富野監督が器用すぎるだけなのかも。

周囲の人々から、黄色の人に関する記憶が徐々に失われていくあたりの流れがグー。自分、そういうシチュエーションが好きなので。

#9 [anime] 特定の人間に関する記憶が失われるシチュエーションにグッときたのを自分が最初に意識したのは、もしかすると「時をかける少女」だったのかもしれず。

たしかそんな展開があった…ような気もするがよく覚えてない。

あと、一部のエロゲーかなぁ。「To Heart」のマルチも、ちょっと近い。友達でも恋人でも何でもいいんだけど、「好きな人についての記憶を失う」って、なんだか悲しさがありませんかと。で、その記憶が取り戻せることで、あるいは、以前と同じ関係性を得られることで、マイナスがプラスに逆転して観客は喜ぶわけですよ。たぶん。知らんけど。

最近のアニメで、そういう設定をラストに持ってきた作品とかなかっただろうか。「世界を守るための代償に、好きな人の記憶を失う」みたいな。作品名が出てこないけど。アレはなんて作品だったかなぁ。

「DESIRE」とかも近いだろうか。もっともアレは、自分が好きだった人が、自分が誰ソレであるとまったく気づかない、てな感じだけど。時間軸が錯綜してるから絶対に気づくはずがない、というよりそもそも知ってるはずがないあたりが、なんとも素晴らしい。少女漫画やアニメあたりなら観念的・非論理的な設定を作って逃げちゃうところを、ロジックを構成した上で感情移入を誘うあたりが秀逸。…元ネタは何なのだろうな。どこか、藤子F先生のSF作品に通ずるものを感じたりもするけど。

「世界を守るための代償に、自分が人ではないものになる」 :

のは、ライダー剣か。前述の、「世界を守るための代償に、好きな人の記憶を失う」がソフトウェアの変化だとすれば、ライダー剣のソレはハードウェアの変化ですかな。

以上、1 日分です。

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