mieki256's diary



2004/02/12(木) [n年前の日記]

#6 [zatta] コンピュータの振る舞いを、人間世界の営みに喩えて、説明することができるなら

人間世界の営みを、コンピュータ(以下、COM)の振る舞いに喩えて、説明することもできるかなとぼんやり思ったり。例えば、COMはいくつかのportを開けて外部と通信してるわけだけど。あるportからウイルスが侵入するから、全部のportを閉じちまえ、なんて運用はしないわけで。問題のあるportは閉じるけど、必要で、かつ、差し障りのないportは開けとくよなと。 *1 人間も同じかもしれんと。他者と通信する際、あるportは問題が起きるから閉じたとしても、問題が起きないportは開けとくのが妥当な運用なのかなと。せめてpingに使うportぐらいは開けとくのが一般的じゃないかしらん。 *2 *3 …人間は、COMよりアバウトだけど、COMより複雑で、COMより高度な事もできたりする。単純作業、機械的作業、寸分違わぬ正確さを求められる作業は別として、COMにすらできてる簡単な事が人間にはできないとなると、人間としての立つ瀬がないような気もする。自分達が、機械にも劣る存在になるのは、ちょっと悲しい事です。とは言え、人間には感情があるので難しい。感情は、論理、効率、法則、事実、メリット・デメリットを殺してしまう時があるから。逆に言えば、人間がpingに相当するportすら閉じちゃう時は、感情に支配されて自分の中の客観的視点が失われてる状態である事を示してくれている可能性が高いと言えるのかもしれない。

…この喩えの方向は、やっぱり無理があるなぁ。

そもそも比喩は危険 :

途中で「喩え」そのものに引き摺られてしまって本質とは次第にずれてきてしまうなぁ。と言いつつも。例えば、自分はperlが結構好きだったり。perlはソースの視認性が悪いので、後でソースを眺めてもわけがわからないし、その事でエンバグする可能性も高くなりそうで。もしかするとあまり使わないほうがいい言語かもしれないんだけど、でも、使わずに状況が良くならなくて困ってるよりは、使って楽になったほうがいい時もありそうな。…結局は、適材適所とか、使いどころを考えないと、って事なんだろうな。でもまあ、玩具として面白いのは間違いない。perlも比喩も。ボケ防止にはなるかも。って気が早いか。

*1: いや、場合によっては全部のportを閉じるか。そのCOM自体が緊急事態の時とか。わかんないけど。
*2: COMの世界では、pingのportを開けとくと、攻撃される恐れがあったりもするらしいので、閉じてる場合もあるだろうけど。人間の世界で、pingが使える事が問題になるとは、ちょっと思えない。…実は自分の想像力が足りてないだけで、問題が起きる事もあるのかしら。
*3: 人によっては、port=人と捉えてしまうかもしれないけど。COMはたくさん存在するCOMの中の1台とやり取りする際、いくつかのportを使って通信したりするのだから、人間もたくさん居る人間の中の1人と話をする際、いくつかのportを使って通信してるのではないのかな。だから、port=人じゃないし、portを閉じる=特定の1人を断絶・拒絶することではないと思う。

以上です。

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