mieki256's diary



2005/10/21(金) [n年前の日記]

#1 [web][cg_tools] _Yotophoto - フリー画像素材検索サイト

_(via [戯] フリーの画像素材を直接検索できる Yotophoto)
検索すると「Creative Commons license」とか「Free use license」とかライセンスが表示されるので大変わかりやすい.

[戯] フリーの画像素材を直接検索できる Yotophoto より

おお。便利そう。

と思ったがライセンスの内容がよくわからない・サイト特有のライセンスのものが多数。英語わからんわ…。

#2 [comic][zatta] _西洋では〜きっと本人の人格・行動と作品は別という考えが一般的なんだろう。

漫画の盗用問題に言及した記事。その中の一文。
音楽業界の場合、違法薬物で逮捕されたりすると、あっというまに同じように作品の回収・絶版の処分が下る。倫理的に考えたら「ダメ、絶対」なことをやってた人間に儲けさせるのはどうかって批判も多いだろうし、まぁ企業としては仕方ない選択かなとも思うんだが、海外でのそういう例を聞いたことがない。 (中略) 西洋では比較的麻薬に対して寛容という風潮があるにしても、きっと本人の人格・行動と作品は別という考えが一般的なんだろう。

日本では逆に、そのアーティストのファンまで「犯罪者の信者」的な侮蔑を受けてしまうケースも多い(中島らもとか勝新太郎とか例外もあるが)。人間やめますかってくらいで、麻薬に手を出す=人間失格というのがこの国の一般的な倫理観だと考えると、レコード会社の対応は至極当然なのかもしれない。

では、今回の講談社の決断を見ると、末次由紀は人間失格に値するひどいことをしでかしたのだろうか。

a site without a view より

以前、似たような違和感を覚えたことを思い出した :

2chの漫画板、だったかしら。 _「風光る」 の作者、渡辺多恵子氏について言及してたスレッドで。渡辺氏が、たまに各所でコラムを公開するわけだけど。そのコラムの内容 ―― たしか、「立ち読みはダメ」みたいな話だったと思う ―― に対し、スレ住民(スレッドの利用者)が異を唱えていて。と同時に作品そのものまで否定する言及が次々と出てきて。

当時、ソレを見て、首を捻ってしまったり。作者の主張・人間性・人格と、作品に対する評価は、分けて考えるべきだろうと。それを何故、同一なものとして扱ってしまうのか。そういう人種が多数存在してるのは何故だろう。てな疑問が湧いたり。

で、ここからは偏見バリバリな話になるのだけど :

前述の、渡辺氏を非難していた大多数は、作品の掲載誌等を鑑みると、主に女性で構成されてる、と想像するのが妥当かなと思うのだけど。また、今回の末次氏関連でも、叩いてる側の各種文章には、どこか女性らしさを感じる場面が多数だったり。というか、これまた掲載誌が少女漫画雑誌だったっけ。

ということで。女性には(あるいは、女性の感性に極めて近いものを持ってる男性も含むのかもしれんけど)、作品と作者を切り離して評価するために必要な、何らかの能力が欠落している人が多いのではないか、みたいな仮説を。 *1 *2 *3

とか想像しちゃったりもしたけどさして根拠もなくその手の境界線を引けるはずもなく。そもそもそういう見方自体に、それらの人種と共通するマズさ・短絡さを感じないでもないし。…まあ、そんなことを思ってしまったりもしたけれど実際はどうなんだろう、ってだけの話で。

話は飛ぶけど。今回の件を見ていて、女性の集団の中ではよく見られると伝え聞く「陰湿さを持ったイジメ」云々も連想したり。いや、イジメは須らく陰湿なものだけど。しかし、女性のソレは男性のソレとは違って妙な陰湿さがある、とどこかで耳にした記憶もあって。ホントかどうかは知らないけど。しかし、異分子は排除する、みたいな流れは日本の企業等でもよく見られる光景であるし。すると日本社会は、幾分女性的な性質を持った社会、とでも言えるのだろうか。とそんなことを。…まあ、これまた別の話になりそうな。

「信じる/信じない」の話とも共通するところがあるのかしら :

作者と作品を分けて評価するというのは、「作者」と「作品」に、それぞれbitを振り分ける作業ではないか、と思うのだけど。日本人は、「作者」と「作品」を同一のbitの中に収めてしまう、杜撰な民族なのだろうか。

と思ったが、「進化論」と「現人神」を同時に認めてしまう・八百万の神を別々の1bitに割り振ってしまえるぐらいにアバウトな民族 = 日本人、でもあったのだったか。それを考えると、「作者」と「作品」を分けて評価できない日本人、という姿には矛盾がありそうな。

いや、矛盾はしてないのかも。自分が何か、別の視点・特性として注目すべき要素を見落としてるだけ。たぶん。

_ハロー効果(後光効果)はとても複雑 :

単にコレかな。記事中の「ハローエラー」なるものが関係してたりして。

元々の話題からかなりズレてる :

インスパイアされまくり。

こういうのはインスパイアって言うのであらうか。よーわからん。

*1: そういや、ヨン様ブームのときも違和感を覚えた気も。「冬ソナ」という作品における「ヨン様」の役と、「ヨン様」という役者は、別の存在だけど。おばさん達の熱狂ぶりを見ていると、もしかして同一視してないか、という不安がムクムクと。いや、でも、そのへんはまた別の話になりそうか。
*2: ヨン様で思い出したけど。昔、「おしん」の子供時代本放映時、「おしんに食べさせてやってくれ」と、NHKに、視聴者から米が届いた、なんて話もあったっけ。まあ、今考えるとヤラセっぽい気もするけど。作品と現実の混同の、象徴的なエピソードではあるなと。で、仮にその話が本当だとしたら、米を送ったのは男性なのか、女性なのか。…しかしこの件に関しては、個人的にはなんとなく、高齢の男性じゃないか? というイメージにもなるんだよなぁ。何故だろう。何故そのように、自分は想像するんだろう。
*3: や。もちろん、女性は全員そういう特性を持つ、というわけでもなくて。例えばウチの妹などは、「作者と作品は別だろ。馬鹿馬鹿しい」と斬って捨てるタイプだったり。つまり、女性でもそのへん分けて評価する人はちゃんと居る。実際身近に居るから、それは自信を持って言える。…ただ、小中学校では女性集団内で迫害されたクチらしく。>ウチの妹。それを考えると、もしかすると少数派だったりするのかもしれない予感。

#3 [comic] _信長 - 池上遼一・工藤かずや

1986年10月15日号のビッグコミックオリジナル増刊号より戦国時代の英傑・織田信長を工藤かずや・原作で池上遼一が描き始める。池上遼一にとって初の実在した歴史上人物を扱った長編時代劇となるこの作品は、今までの映像・コミックでは表現できなかった迫力・リアル感をともなって日本史上最大の人気を誇る織田信長の生きざまを描くという、池上遼一ファンは元より織田信長ファンには堪えられない作品に仕上がっている。

信長 より


_信長像はこうして創られる!
数々の名作を世に送り出している、工藤かずや・池上遼一の名コンビによって、実在した歴史上人物、しかも日本史上希代の英傑・織田信長を扱う始めての長編時代劇として、昭和61(1986)年10月15日号のビッグコミック・オリジナル増刊号より連載が開始された。
この作品は、工藤かずやの原作によって、それまでに織田信長を描いたあらゆる文学・映像作品が大いに参考され、それらの見所を巧みに取り込んでいるだけでなく、まったく新たな解釈をもふんだんに盛り込み、これまでにない別世界を豪快に展開することに成功している。

信長像はこうして創られる! より

こんな作品があったのか。知らなかった。

特徴 :
池上遼一氏は、作画に際しては写真をもとにしたデッサン、トレース等の作業に加え、独特のデフォルメや大胆な構成、カットを使用した描写を得意としており、本作品に於いても衣装・背景・建造物などの資料を豊富に使い、織豊期という独特の雰囲気を見事に再現して見せている。織田信長を描いたコミックスの中では究極の一作と言えよう。

盗作問題及び雑感 :
城の描写に際し、参考にした資料の関連で問題が発生し、8巻目の出版(発売)が見送られ、それに伴って既存の1〜7巻も回収されることとなる。盗作との訴えを出したのは城郭関係のイラスト(挿し絵)等では名の知れた藤井尚夫氏だと言う。立場や環境は多少違うにせよ、織田信長やその時代をを絵画としてどう描き、それによって信長という人間を一般の人々に考えさせるという、同じ歴史を描写する業界人でありながら、話し合いでの解決が出来ず発刊差し止めという最悪の結果となってしまったことは、今後二度と繰り返されるべきではないと思う。(中略)

追記 :
ここへ工藤かずや(原作)・池上遼一(作画)コンビの名作「信長」を復刊して欲しいという夢を綴り、恋い焦がれてきた復刊がついに成った。それは版権をメディアファクトリーに移し、未刊行の第8巻の問題となった箇所をすべて修正することで可能となったようだ。そして運命の日、平成15年7月23日に発売となった。正式な発行日は2003年7月31日。以降毎月1巻づつ発売となる。話題集中の8巻は来年の1月23日発売予定である。

信長像はこうして創られる! より

おお。どうやら復刊できたらしい。てことは、作品の出来が良ければ後に復刊できる可能性も残されているのか。

でも、キャンディキャンディの例もあるからなぁ。作者自身が自分の著作物について公開を望まないとなると、復刊の可能性も無くなってしまう。うーむ。 *1
*1: そういやキャンディキャンディの原作者・作画は、女性だったっけ。何かそのあたりでも男女の違いがあるのだろうか。ってまたそういう方向の話に。

#4 [anime] ジャスティライザー、最終回をビデオで見返し

もう何でもあり状態。これが超星神クオリティ、ってやつだろうか。いや、辻褄が合う設定に拘ってカタルシス(?)が半減するより、対象視聴者層であろう幼児がドキドキワクワクする展開を提示することに尽力するほうが正解だろうとも思うわけで。また、こういった作品では、大人向け作品ではなかなかできない破天荒なことをどんどん試せるという長所もあるわけだから、こういう無茶苦茶な展開もアリだろう、とも。 *1

次作品の予告映像がさほど流れなくて、首を捻ったり。ちゃんとした映像を流しておかないと、子供たちがこの時間帯から離れてしまったりはしないか。みたいな。まあ、特撮ヒーロー自体が今時は少ないから、そうそう人気がなくなったりはしないのかな。
*1: でも、大人の鑑賞にも堪えうる内容で、かつ、子供も楽しめる内容ってのは無理なのだろうか。まあ、それをやったところで、玩具等の売り上げ(?)が伸びるわけでもないだろうし。どっちつかずになるより、幼児向けなら幼児向け、と絞ったほうがいいよなぁ。

#5 [anime] エウレカセブン、再会の回をビデオで見返し

何度も見返してしまった。面白いなぁ。なんだか「トップをねらえ!」の、ガンバスター合体の回を思い出してしまったり。同じくらいに盛り上がってる。気がする。

作画がとにかくスゴイ。船を操縦するお姉さんの、髪の毛を吹く描写とか。ヒロインが波乗りしてるときの、上半身と下半身の動きの違いとか。コクピットに入れるときに、腰に手を伸ばして押さえ込んだり、ヒロインがとまどってたりとか。また表情が素晴らしい。眉なし・表面ボコボコの気味悪い顔のはずなのに、可愛く見えるというか。ヘッドホンを抜かれたときの、なんとも喩えようのない顔つきとか。コクピットの中で凄むランバラルの顔とか。素晴らしい。ありとあらゆるところに見所が。

ヒロインの左腕の使い方に、何か意味が込められてそうだなと思ったりもしたのだけど、どういう意味が入ってるのかまではわからなかったり。敵ロボット相手には使えず、少年相手には使える…。うーむ。ヒロインが積極的に、少年に近づこうとしてることの象徴的シーンだろうとは思うのだけど。今までは少年の側からしか握ってないのだろうし。 *1 …敵ロボットのソレは、少年とのシーンで不自然さをなくすための予備動作みたいなもので、意味が込められてるというのは考えすぎかしら。

2話と対比になっているという話をどこかで見かけて、ビデオに残しておけばよかったなと。細かいところは既に覚えてないや…。

前半、「ホランドは約束を守らない」のあたり、「ん?」と。ヒロインがボコボコ状態になったとき、ホランドは子供たちから絶対的な信頼を得てなかったっけか。ホランドに対する認識が、少年の家出移行、変化しているという描写か。それとも「約束」と「嘘」は違うのか。単に、シリーズ構成・監督さんのチェックミスか。あるいは意図的に矛盾を埋め込んでいるのか。何かの伏線か。何にせよ、どこに何が仕込まれているかわからんから気が抜けない。既に色々見落としてるだろうなぁ>自分。
*1: 最初のOPのラスト近くもそうだし、 OP直後、スポンサー表示時のイラストでも、少年の側から握ってたり。

以上、1 日分です。

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