mieki256's diary



2005/09/29(木) [n年前の日記]

#5 [zatta] 桃鉄、キライ

_桃鉄コワイ - outsider reflex を読んで、「そういや某友人は桃鉄大好きだったな」とぼんやり思い出した。

以下、単に自分語り。ていうか思考メモ。

社会人になったばかりの頃。件の友人の部屋に人が集まり、酒を飲んだりすると、えてして「桃鉄やろうぜ」という話になったのだけど。それなりに盛り上がる(?)周囲の雰囲気とは裏腹に、自分は桃鉄の魅力についてピンとこなかったり。というか。桃鉄に限らず、プレイヤーであるユーザ間に勝ち負けが発生するTVゲームは ―― 例えば格闘ゲームなども含めて ―― どうもピンとこなくて。

そういや、以前勤めてた会社の中でカードゲームが大流行したときもピンとこなかった。それら要素を取り込んだ企画を書かないといけないとか、これは仕事に繋がるかもしれないとか、そういう理由付けを自分に課してプレイしてみても、面白さが判らなくて困った記憶が。

そういえば、学生時代、研究室でボンバーマンの対戦が流行ったときも、やっぱりちょっとそんな感じが混ざってたかしら。

おそらく、自分がそれら遊戯に乗れない理由は2点ほどありそうな。

自分、その手のゲームでまかり間違って勝ってしまったときに、ついつい、「相手は悔しさを味わっているのだろうか」といったことを考えてしまう習性があって。そういうことを想像してしまうと途端に萎えてしまう。…ぶっちゃけ、子供の頃から身体的能力や出来の悪い頭のせいもあって、勝負事では負けてばかりの自分だったわけで。負けたときのなんともやるせない気分はよく知ってるが故か、相手がそれを味わってることを想像しただけで、たちまちこちらまで気が滅入ってしまってゲームの展開・勝敗なんかそっちのけになってしまう。たぶん、それが一点。

もう一点は、相手がどんなカードを切ってくるか、何を狙って選択肢を選んでくるか、読み取るのが非常に苦手なことかもしれず。そもそも自分には、相手の意図を読むなどといった思考がまったく身についてない感も。「予想」をしないままプレイするから、自分の予想が当たったか外れたかという楽しさも感じられず、「こう来たら、こう返そう」等のシミュレーションの面白さも判らない。

ということで、何かにつけて負けてばかりの人生を味わってきたことや、大多数の人間が備えているであろう能力が著しく欠落してることを、つい自覚させられてしまうその手のゲームは、結構キライだったりするのかもしれんなぁ、と思ったのでありました。うむ。キライだ。たぶん。自分のアレなところを再認識させられるのがコワイから、桃鉄、キライ。

敵はCPUだけがいいな。感情なるものを持たない相手が敵であれば、勝負にのめり込めそうだし。逆に、たとえ気軽な遊戯であっても、対人間の勝ち負けに遭遇すること自体、あまり嬉しくない。ような気も。…まあ、「だから何?」って話ですな。

全然関係ないけどコレ書いてて、ふと、「要するに子供時代のトラウマが絡んでるとかそういう話なのかな。…む。『トラウマン』てなローカルヒーローはどうだ! <何が?」と思ったんだけど。既に居たのね、 _トラウマン って。しかもググってみたら _結構話題になってた らしく。…ホントに全然関係ない話だな。

この記事へのツッコミ

想像力 by けいと    2005/10/04 01:34
人間って予想が出来ないから怖いのよ(byメーテル)

てなもんで、CPU相手だとある程度やりこんだ時点で
つまらなくなるんですよね。

あと、ゲームってゲームに勝つことが目的なんじゃなくて
人間同士が同じゲームに参加して勝ったり負けたりすることで
「勝っても驕らない」「負けても恨まない」っていう
信頼感が生まれるんだと思うんですけどねぇ。

いわゆる「テレビゲーム」って出来すぎてて遊びの幅が広がらない感じがします。

古い人間だからかもしれませんが、
トランプのようなカードゲームや
マージャン、オセロ、囲碁、将棋のようなテーブルゲームの方が
ルールも簡単、想像力が入り込む余地も大きい分飽きないと思いますよ。
同じゲームですら初代ファミコンゲームの方が息が長いのも
ハリウッド映画に限界が見えてきて、
マンガにスポットが当たりだしているのも
想像力が入り込む余地の大きさじゃないかと思います。

大ヒット作のDQやFFだって1年もすれば飽きちゃうけど
こういうゲームは長い人だと死ぬまでやってますからねぇ。


まぁ、そういう意味では、インターネットもこうして
文字だけのコミュニケーションをしているうちは
想像力で補う部分が大きいので楽しいんでしょうけど、
動画やら音声が入り込んできてリッチになってくると
実は飽きるのも早くなるんじゃないのかなぁ…

携帯電話も通話よりメールの方がよく使われますし、
テレビ電話なんて誰も使わないですし。

桃鉄はほんのちょっぴり市かやったことありませんが、
基本はすごろくですよね。
想像力が入り込む余地が大きいという意味で
ロングランヒットしたのかも知れません。
Re: 想像力 by mieki256    2005/10/04 10:54
> CPU相手だとある程度やりこんだ時点でつまらなくなる
> 想像力が入り込む余地
> 動画や音声が入り込んでリッチになると飽きるのも早くなる

なるほどなぁ…。興味深い考察であります。

そういや自分、基本的には覚えゲーが好きなことを思い出しました。
予測不可能なモノに対して不安が先に立ってしまう性格が
絡んでるのかもしれないなぁ。ある種、保守性が強いほうなのかも。

> 携帯電話も通話よりメールの方がよく使われますし、
> テレビ電話なんて誰も使わないですし。

うーむ。ここはちょっと、想像力云々とは違う印象が。
そのあたりの利用頻度は、
料金、簡便さ、占有時間、利用場所に関する制限、転送速度等…
経済面やUI設計、スペックの問題、社会風潮に起因してそうな感じも。
また、TV電話あたりは、「それが何に使えるか」の魅力的なビジョンを
未だ提示できてない点が大きい印象も。

例えば携帯のデジカメ機能は、結構利用頻度が高い機能だと思うのですが、
想像力の余地という点では、文字情報オンリーに比べて
かなり想像力を限定してしまうほうだろうと…。
でも、実際には使う人が多い。ということはそこに「実用性の有無」が
判断基準としてありそうな、そんな予感が…
あ。そうか。
ゲームという「娯楽」と、携帯という「実用機器」の間では、
利用頻度に影響を及ぼす要素が違ってるだけの話、
だったりするのかな。うーむ。

何にしても色々と興味深い話・考えてしまう話であります。
Re: 想像力 by けいと    2005/10/04 23:44
> 料金、簡便さ、占有時間・・・

でも、メールを頻繁に使っている人の
メール内容に「実用性」は余り無いような…
むしろメールをお互いに使うこと自体を
コミュニケーションの道具にしているといいますか。
携帯のデジカメもそうですよね。
きれいに写すことが目的なんじゃなくて
自分の網膜に映った情報を他の人にも共有して欲しいといいますか。

> ゲームという「娯楽」と、携帯という「実用機器」

ゲームはまぁ、ほぼ娯楽ですけど、
携帯は多機能なので使う人のニーズによっていろいろですかね。
娯楽と実用の境界線 by mieki256    2005/10/09 11:16
> メールを頻繁に使っている人のメール内容に「実用性」は余り無いような…

言われてみれば。
「娯楽」と「実用」の境界線がカッチリ引ける類の機能じゃない、
ということですかねぇ…。
というかコミュニケーションの道具自体、
「娯楽」なのか「実用」なのか判断が難しいということなのかしら。
Re: 娯楽と実用の境界線 by けいと    2005/10/10 18:58
> 「娯楽」なのか「実用」なのか判断が難しいということなのかしら。

かっこよく言えば、そこが人間の多様性ということなのかも。

端的な例が「性交」。

動物のそれは「ただ繁殖のため」=「実用」

人間のそれは「繁殖のため」=「実用」なのに
「わざわざ避妊する」=「娯楽」・・・
っていうと怒られそうですが^^;;

以上です。

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