2003/12/11(木) [n年前の日記]
#2 原作なんか読まなきゃよかった
白い巨塔。失敗した。原作なんか読まなきゃよかった。原作とドラマの違いが気になって、純粋にドラマを楽しめなくなった。
小説は、登場人物の心情・背景を、行動・言動の記述と同時に解説する事ができる。それによって、より多くの情報量を読者は得られ、作品の深みも出てくる。しかし、ドラマの場合、視聴者が得られるのは役者の演技・セリフ以外には無く。演技の向こう側にそれら行動・言動の発生する理由は隠されてしまい、視聴者はそれら理由を役者の演技の中から自分自身で想像・推測しつつ鑑賞しなければならない。であるから、原作と比較して映像化されたソレが浅く感じられるのは必然。情報量がそもそも足りてないのだから。しかも、原作を読んだ時点で、読者の脳裏に読者自身の理想的映像が作られてしまうので、他者の作った映像に対し高い確率で拒否反応を示しかねない。原作と全く異なる展開にして視聴者の脳裏に作られた原作のイメージをクリア・リセットするという回避策もあるけど、そうそうオリジナルの要素を加えていたのでは、新たに別作品を作るのと同じ作業量になってしまう。などと考えると、原作を映像化スタッフが台無しにした等の主張は的外れ。映像の特性からしてそもそも原作に忠実な映像化なんて不可能。
何にせよ失敗した。ドラマを見終わってから原作を読めばよかった。
小説は、登場人物の心情・背景を、行動・言動の記述と同時に解説する事ができる。それによって、より多くの情報量を読者は得られ、作品の深みも出てくる。しかし、ドラマの場合、視聴者が得られるのは役者の演技・セリフ以外には無く。演技の向こう側にそれら行動・言動の発生する理由は隠されてしまい、視聴者はそれら理由を役者の演技の中から自分自身で想像・推測しつつ鑑賞しなければならない。であるから、原作と比較して映像化されたソレが浅く感じられるのは必然。情報量がそもそも足りてないのだから。しかも、原作を読んだ時点で、読者の脳裏に読者自身の理想的映像が作られてしまうので、他者の作った映像に対し高い確率で拒否反応を示しかねない。原作と全く異なる展開にして視聴者の脳裏に作られた原作のイメージをクリア・リセットするという回避策もあるけど、そうそうオリジナルの要素を加えていたのでは、新たに別作品を作るのと同じ作業量になってしまう。などと考えると、原作を映像化スタッフが台無しにした等の主張は的外れ。映像の特性からしてそもそも原作に忠実な映像化なんて不可能。
何にせよ失敗した。ドラマを見終わってから原作を読めばよかった。
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以上です。