2005/12/09(金) [n年前の日記]
#3 [zatta] まともな先生につくというのは大事なことなのだな
朝、たまたまTVをつけてたら、プロのバスケ選手が一人の小学生にバスケを教える映像が流れていて。「ゴール(?)の板の白枠の角に、ボールをあてると入る」という話が。
愕然。そんな…そんな程度の話なのか。その程度の知識の有無でシュートが決まる確率が上がったのか。知らなかった。自分、学校の授業でそんな話を教わった記憶もないわけで。なんだか悲しくなってきた。
まともな先生に教えてもらう・知識を与えてもらうと言うのは大事なことというか、非常に幸運なことだよなとぼんやり思ったり。
と思ったけど、それは件の番組のように、マンツーマンで教えてもらえる状況でないと実現できないことかもしれないなと思えてきたりもして。学校の授業のように、一人で40人以上を相手にしてたら、落ちこぼれに目をかけてる余裕などないだろう。などと考えると、少子化云々は喜ばしい状況かもしれんなと。…ホントかしら。
ふと。もしかすると自分、授業で教わってはいたけど、単に忘れてるだけかもしれんなと。スポーツは興味なかったし。 *1 …となると、当人に興味がなければ、どんな素晴らしい教えも意味がない、ということであらうか。
愕然。そんな…そんな程度の話なのか。その程度の知識の有無でシュートが決まる確率が上がったのか。知らなかった。自分、学校の授業でそんな話を教わった記憶もないわけで。なんだか悲しくなってきた。
まともな先生に教えてもらう・知識を与えてもらうと言うのは大事なことというか、非常に幸運なことだよなとぼんやり思ったり。
と思ったけど、それは件の番組のように、マンツーマンで教えてもらえる状況でないと実現できないことかもしれないなと思えてきたりもして。学校の授業のように、一人で40人以上を相手にしてたら、落ちこぼれに目をかけてる余裕などないだろう。などと考えると、少子化云々は喜ばしい状況かもしれんなと。…ホントかしら。
ふと。もしかすると自分、授業で教わってはいたけど、単に忘れてるだけかもしれんなと。スポーツは興味なかったし。 *1 …となると、当人に興味がなければ、どんな素晴らしい教えも意味がない、ということであらうか。
◎ 思い出話 :
バスケは大嫌いだった自分。体育の授業で試合とかあるわけだけど。運悪くボールが回ってきたら、いかにして早く別の人へパスして肩の荷を下ろすか、いかにしてチームの迷惑にならないよう振舞うか、つまりはどうやってボールから逃げるか、しかしサボってるようには見られないよう振舞うか、そればかり考えてた。…どうせシュートなんか入らないし、ドリブルのやり方すらわからんし。2歩より多く歩いてしまう = トラベリングとやらでチームに迷惑をかけることの恐怖心で、ボールを持ったら足がピタリと動かなくなるしで。拷問以外の何者でもなかったなぁ。社会システムによって作られた合法的なイジメ空間。それが体育の授業。なんちてぽっくん。
社会人になったら、拷問タイム=スポーツとはオサラバできたので、今更な話。ではあるのだけど。未だにスポーツに対する憎しみ・恨みの念はくすぶっていたりして。体育の授業は自分にとって何かプラスになったのかしら。マイナスにしかなってなかったような。
アレって、スター選手を発掘するための事前調査みたいなものなんだろうな。その他大勢にとっては何の効能もない時間。なのだらう。
社会人になったら、拷問タイム=スポーツとはオサラバできたので、今更な話。ではあるのだけど。未だにスポーツに対する憎しみ・恨みの念はくすぶっていたりして。体育の授業は自分にとって何かプラスになったのかしら。マイナスにしかなってなかったような。
アレって、スター選手を発掘するための事前調査みたいなものなんだろうな。その他大勢にとっては何の効能もない時間。なのだらう。
*1: や、妹にそのへん尋ねたら、「どこかの時点で教わった」と言うのだよなぁ…。自分も妹も、同じ小学校・中学校に通ってるわけで。すると自分も教わっていた可能性が高くなる。
この記事へのツッコミ
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以上です。
わかるわかる(笑)私もバスケット苦手でした。
でも、私の場合、クラス中が私のことを「あいつはスポーツが得意ではない」
っていう認識があったので絶対にパスが回ってきませんでした。
なので、専ら敵ゴール下ぐらいの辺りでひたすらディフェンス。
バスケットはゴールチャンスがなくなると即攻守が切り替わるので
シュートミスやらリバウンドミスのボール拾い専門でしたし、
暗黙の了解で
「あいつのポジションはあれでいい」
っていう感じでしたね。
仲間だ!
> 絶対にパスが回ってきませんでした。
考えてみれば、自分も滅多にパスは回ってこなかったなぁ…。
ボールを持ってる人が窮地に陥ってるとき、
やぶれかぶれ? 一か八か?で回ってくるとか、
そんな感じでしかなかったような気がしてきました。
なんとなくですが、高校ぐらいになると、
大体そのへんのポジションは決まってきますな。
そういった「各自のポジションを把握する」というのが、
大人に近づいてるということなのだろうか、などとぼんやり思ったり。
そう考えると、体育の授業も一応効能はあったのだろうか…。