2004/05/07(金) [n年前の日記]
#2 [zatta] チャチャチャ
近所の中学校で、運動会だか体育祭だかをやってるらしい。校舎のスピーカから「頑張れ!」の連呼が聞こえてくる。しばらく耳を傾けた。バリエーションがあるらしい。女子の放送担当者は「頑張れ!」と叫んでるが、男子の担当者は「頑張ってください…」
*1
と叫んでる。女子は命令、男子は懇願か。男女の違いがこんなところにも。…考えすぎか。
「頑張れ!」にしろ、「頑張ってください」にしろ、聞いていてテンポが悪い。時々、「x年生、もっと応援してください!」と叱咤の声が混じる。仕方ないだろう。このテンポの悪さを何の工夫もなくそのまま強要して活気が増すわけがない。そもそも各々がランダムに発することしかできない種類の掛け声なのだから。
ふと。応援の掛け声と言えば、「ニッポン、チャチャチャ」というのもあったなと思い出した。…アレは賢い。
「頑張れ!」にしろ、「頑張ってください」にしろ、聞いていてテンポが悪い。時々、「x年生、もっと応援してください!」と叱咤の声が混じる。仕方ないだろう。このテンポの悪さを何の工夫もなくそのまま強要して活気が増すわけがない。そもそも各々がランダムに発することしかできない種類の掛け声なのだから。
ふと。応援の掛け声と言えば、「ニッポン、チャチャチャ」というのもあったなと思い出した。…アレは賢い。
- リズムが含まれてる。
- リズムがあれば、全員がソレに合わせて発声しやすい。
- 難易度が高くない。
- 事前に周到な学習が必要だったり、複雑なリズムを要求される応援では、参加者が限られてしまう。
- 言葉に意味がない。
- 命令でもないし、懇願でもない。言葉だけなら何の意味も含まない。意味のある言葉は、人によって発声しづらい時があるが、意味のない言葉は、その障壁がない。それでいて、応援してる様子はちゃんと伝わる。
◎ _ニッポン、チャチャチャ再々 :
「ニッポン、チャチャチャ」生みの親についての記事。考案者は、お坊さんだったのか。更に元々は、「イングランド、チャチャチャ」だったとは。トリビア。
◎ 君が代のリズム :
式典等で、君が代を生徒に歌わせるのは無理がありそうな気がしてきた。これも同じく、テンポというかリズムが悪い。「頑張れ!」のみを強要するのと同種の考えの無さを感じる。…国歌斉唱を強制してる方々は、例えば音楽の成績はどの程度だったのだろう。そのあたり、なんだか気になる。
もっとも、国歌がリズム感溢れる軽快な歌のはずがない。国歌を歌うたびに国民がハイテンションになったら、冷静な判断力を失う機会が多くなり、国単位で馬鹿げたことをしてしまう機会も多くなるだろう。特に日本人は何かと調子に乗りやすい民族だから、尚の事、軽快な歌は危ない。となると、その逆の歌 ―― スローテンポで、ノリが悪く、陰々鬱々として、やる気も感じられず、どこか不安で、いつも後ろ髪ひかれる感じがする、そんなどんよりとした歌こそ国歌としてふさわしいことになる。つまり、君が代は日本の国歌として最適なのだ。これほど日本の国歌にふさわしい歌はないだろう。
君が代をロック風だかパンク風だかにアレンジした曲が、マスコミから徹底的に否定・排除されるのも当然だろう。リオのカーニバルの如く盛り上がって死者が出るような、そんなはっちゃけた歌では国歌として危険過ぎるのだ。国歌は、国民を高揚させるほどにノリノリであってはいけないし、国民が積極的に歌ってしまうほど愛着を持たれてもいけない。聴いてるだけで、歌ってるだけで、国民のテンションが否応無くどんどん下がらざるをえない・クールダウンに繋がってくれる歌でないといけない。歌ってるうちに、過去の振舞いを思い返したり、周囲の目を気にし始めて、「ああ、俺達の国ってホントにダメだ…救いようがないくらいダメダメだ…」とウンザリゲンナリユウウツな気分になってこそ、君が代が日本の国歌であるその効果のほどが、正しく国民の身に現れている状態と言えよう。
というのは全部冗談ですが。 *4 それはさておき。音楽テクニック的(?)に、君が代をノリノリの曲にするのは可能なんだろうか。…TMN時代の小室哲哉+αは、カラオケで演歌の歌詞と演奏を利用しながら、その場で勝手にメロディ・リズムを考えてどれだけかっこよく歌えるか遊んでたらしいけど。優れたアレンジャーなら、演歌と同様、君が代ですらCOOLにできるのだろうか。…歌詞の量が少ないから、難しそうな気もする。試しに、鼻歌で適当なメロディつけて歌ってみた。あっという間に歌詞が無くなった。む、難しい。
もっとも、国歌がリズム感溢れる軽快な歌のはずがない。国歌を歌うたびに国民がハイテンションになったら、冷静な判断力を失う機会が多くなり、国単位で馬鹿げたことをしてしまう機会も多くなるだろう。特に日本人は何かと調子に乗りやすい民族だから、尚の事、軽快な歌は危ない。となると、その逆の歌 ―― スローテンポで、ノリが悪く、陰々鬱々として、やる気も感じられず、どこか不安で、いつも後ろ髪ひかれる感じがする、そんなどんよりとした歌こそ国歌としてふさわしいことになる。つまり、君が代は日本の国歌として最適なのだ。これほど日本の国歌にふさわしい歌はないだろう。
君が代をロック風だかパンク風だかにアレンジした曲が、マスコミから徹底的に否定・排除されるのも当然だろう。リオのカーニバルの如く盛り上がって死者が出るような、そんなはっちゃけた歌では国歌として危険過ぎるのだ。国歌は、国民を高揚させるほどにノリノリであってはいけないし、国民が積極的に歌ってしまうほど愛着を持たれてもいけない。聴いてるだけで、歌ってるだけで、国民のテンションが否応無くどんどん下がらざるをえない・クールダウンに繋がってくれる歌でないといけない。歌ってるうちに、過去の振舞いを思い返したり、周囲の目を気にし始めて、「ああ、俺達の国ってホントにダメだ…救いようがないくらいダメダメだ…」とウンザリゲンナリユウウツな気分になってこそ、君が代が日本の国歌であるその効果のほどが、正しく国民の身に現れている状態と言えよう。
というのは全部冗談ですが。 *4 それはさておき。音楽テクニック的(?)に、君が代をノリノリの曲にするのは可能なんだろうか。…TMN時代の小室哲哉+αは、カラオケで演歌の歌詞と演奏を利用しながら、その場で勝手にメロディ・リズムを考えてどれだけかっこよく歌えるか遊んでたらしいけど。優れたアレンジャーなら、演歌と同様、君が代ですらCOOLにできるのだろうか。…歌詞の量が少ないから、難しそうな気もする。試しに、鼻歌で適当なメロディつけて歌ってみた。あっという間に歌詞が無くなった。む、難しい。
*1: 語尾になんとなく覇気がない。嫌々やらされてるのかも>男子。
*2: 最後のがわかりづらいかも。たとえば自分は、「頑張れ」という掛け声が大嫌いだったり。走者は既に全力で走ってるのが当たり前だし、全力で走ってない走者は全力で走れないだけの理由・事情を抱えているからで。走者が全力を出してる様子を真摯に受け止め認識してやることもなく、また、全力で走れないその理由に考えを巡らせてやることもなく、相手に対し今以上の成果をある種無責任・無頓着に要求し続ける「頑張れ」の掛け声はちょっとどうかと思うわけで。これ以上、何をどう頑張れというのか。既に彼等は全力で頑張ってるじゃないか。それとも彼等の姿が頑張ってないように見えるのか。…そんなことを考え始めると「頑張れ」なんて迂闊に言えなくなってしまう。こちらは応援してることを伝えたいだけなのに、「頑張れ」にはそれ以外の意味も含まれている。そこがマズイ。使いづらい。意味のある言葉は、人によっては使いづらいのだ。
*3: もっとも、そこまで意識して考案していたのか、怪しい気もするけれど。単にまぐれ当たりだったのかもしれん。
*4: そもそも既出ネタのような気も。どこで読んだのだろう、この手の意見。
*2: 最後のがわかりづらいかも。たとえば自分は、「頑張れ」という掛け声が大嫌いだったり。走者は既に全力で走ってるのが当たり前だし、全力で走ってない走者は全力で走れないだけの理由・事情を抱えているからで。走者が全力を出してる様子を真摯に受け止め認識してやることもなく、また、全力で走れないその理由に考えを巡らせてやることもなく、相手に対し今以上の成果をある種無責任・無頓着に要求し続ける「頑張れ」の掛け声はちょっとどうかと思うわけで。これ以上、何をどう頑張れというのか。既に彼等は全力で頑張ってるじゃないか。それとも彼等の姿が頑張ってないように見えるのか。…そんなことを考え始めると「頑張れ」なんて迂闊に言えなくなってしまう。こちらは応援してることを伝えたいだけなのに、「頑張れ」にはそれ以外の意味も含まれている。そこがマズイ。使いづらい。意味のある言葉は、人によっては使いづらいのだ。
*3: もっとも、そこまで意識して考案していたのか、怪しい気もするけれど。単にまぐれ当たりだったのかもしれん。
*4: そもそも既出ネタのような気も。どこで読んだのだろう、この手の意見。
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以上です。