2006/12/09(土) [n年前の日記]
#9 [zatta] _主流派気分を捨てること
文法的に間違っていないのにさっぱり面白くならない論説やエッセイに共通する特徴として、「自分は主流派であり、そのことは当然である」ということが無意識に前提となっているというのがあるような気がする【責任取らぬおれカネゴン】。(中略)逆にいじけたネガティブな文章であっても同様で、「自分は才能に恵まれない弱者の一人であり、そのことは何らかの形で誰かが償うのが当然の権利である」という考えが底にあるものも同様に面白くなることがない。
_よくできた小説や面白いエッセイなぞを読むと、本人の劣等感を実に上手に見世物にして読者を楽しませていたりする。
ああいうふうに劣等感を魅力に転じるのは、材料がありふれた劣等感だから誰でもできそうに見えるのだけど、肝心なのは劣等感の方ではなく魅力を作り出すことの方なので、材料が何であっても、それができる人はやはり限られてしまう。
色川武大の「うらおもて人生録」より記憶から:なるほど…。と思ったもののちょっとだけ天邪鬼な自分なので「世の中が嫌味ではない文章のみで満たされたらどんな感じになるのだろう」と想像して考え込んでしまった。
悩みや劣等感にもいろいろあって、アハハと笑って済ませられるものもあれば、じわあっと嫌味なものもある。せめて、自分の悩みや劣等感を、嫌味でないものにしようとする努力は必要なんだな。
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以上です。