mieki256's diary



2005/10/13(木) [n年前の日記]

#3 [zatta] 信じるか否かの1bit思考で八百万の神を認識してしまう日本人と一つの神を信じてはいるが信じるか否か以外の認識方法を持っているのであろう欧米人

てなことを思ったりして。各要素について1bitで捉えるから八百万も神を生み出せるのか、八百万も居るから1bitしか割り当てられなかったのか。とか。卵が先か鶏が先か。

科学的知識・事象に対しては、本来「信じる/信じない」で判断すべき内容ではない、のだけど、日本人はそれすら「信じる/信じない」という1bitに落とし込んでしまう。かつ、あるbitとあるbitが排他になっている・あるbitのNOTが別のbitになってる、という関係がある場合にも、それぞれのbitを分離して捉えてしまう。てなところが仮にあるとしたら、それは欧米と比較して優れてる点とは到底言えないだろうと。…そんなことをを思ったりもしたのだけど、しかし欧米における科学ってのは元々宗教的なところから発生してると聞いた記憶もあるので、実はあまり違いはないのかもしれんとも思い直したり。

最終的には全てが「信じるか/信じないか」になってしまう、と言う人が居るかもしれんけど、「信じられないが、正しい」とか「信じたくはないが、それが得だ」とか、他にも判断に用いるbitは存在すると思うんだよなぁ。合理的判断に用いるbit、とでもいうか。日本人はそのへんのbitがないような、あるいは重み付けがそれほどないような気もする。

まあ、そんなことを、コメント欄の、「1bit = 1神」とか、「1bit思考ではなく1bit決断」とか、そのあたりの言葉を目にしてるうちにぼんやり思ったというだけの話なんですが。

以上です。

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