2007/09/16(日) [n年前の日記]
#1 _向いてないから辞めろって言ってたじゃん。普通に辞めさせてくれよ・・・。
「やる気あんのか?ないんだったら辞めちまえ!」と言う部活顧問や、「授業聞く気がないんだったら帰りなさい!」という教師たち。たしかに。理不尽だよなぁ…。
さんざん言われて、「やっぱ向いてないんだな」とか思って辞めることにして、「自分向いてないんで辞めまぁす」と言いに行くと
「人に言われたからって辞めるのか!」とか
「なんだ、もうあきらめるのか!この根性なし!」とか
「こんなことであきらめちゃうような奴一生逃げっぱなしだぞ!」とか
「もうちょっとがんばってみないか?」とか言うんだよね。
向いてないから辞めろって言ってたじゃん。普通に辞めさせてくれよ・・・。
それはともかくコメント欄が気になった。
でも、朝青龍の場合は傲慢な表情と謝罪がないのが納得いかないから、帰国できたとしてもバッシングされて欲しいわ。誰に対して一体何を謝罪しろというのか…。理解に苦しむ。朝青龍は何か悪いことをしたのか。客観的に見れば、つまるところ怪我したり病気になったりしただけではないのか。そこに謝罪とやらを求めることに自身が疑問をもたないあたりからして、まさしく体育会系の悪しきノリを感じる。なるほど、元記事の視点の正しさ ―― 日本人が体育会系の理不尽なソレに支配されていることを、件のコメント欄が補強・証明しちゃってるのかもしれない。と思ったりもして。
◎ _稽古すればうつ病は治る!? :
_謹慎意味ない、汗かけば治る…理事から疑問の声も
_「耳は裂け腿に「根性焼き」痕 17歳力士急死」
こういう「狂った世界」の中で、文化も言葉も違う異国人が名を上げるってのは、想像を絶する苦労があったのではないかなと思うのですが。そういったことにさほど考えを巡らすこともなく、とにかくバッシングする日本人という民族性。そりゃ故国に逃げ帰り(?)たくもなるわな。と思ったり。
大島巡業部長(元大関・旭国)は(中略)「ストレスなら汗をかけば治る」とピシャリ。
_「耳は裂け腿に「根性焼き」痕 17歳力士急死」
こういう「狂った世界」の中で、文化も言葉も違う異国人が名を上げるってのは、想像を絶する苦労があったのではないかなと思うのですが。そういったことにさほど考えを巡らすこともなく、とにかくバッシングする日本人という民族性。そりゃ故国に逃げ帰り(?)たくもなるわな。と思ったり。
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#2 [zatta] _サッカーの指導方法が間違っている
_速さが変わるのは角運動量と半径の関係によるものです。
_角運動量保存の法則 - Wikipedia
_檜山正幸のキマイラ飼育記 - 子供も大人も変わらない -- 考えるって難しい
_はてなブックマーク - mmpoloの日記 - サッカーの指導方法が間違っている
_角運動量保存の法則 - Wikipedia
_檜山正幸のキマイラ飼育記 - 子供も大人も変わらない -- 考えるって難しい
_はてなブックマーク - mmpoloの日記 - サッカーの指導方法が間違っている
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#3 [anime] _世の中には絵の描けないアニメーターというのも多数存在している。
演出・コンテ担当者から見た、アニメーターの画力のなさに対するぼやき記事。かしら。
◎ 素人なりになんだか考え込んでしまう。 :
全てが3DCGによる作画・動画に置き換われば解決するところもあるのだろうなぁ。いや、それはそれで、別の技術的課題が発生して右往左往するのだろうけど。
各分野の技術向上・クオリティ追及をおろそかにしてもいいという前提があるなら、解決策もあるのだろうかと妄想。パースを意識せずに作画できるコンテ・レイアウト・作品世界にしちゃうとか。バンクをとにかく多用するとか。全身は極力出さずに、手・足・目等、体の一部分の画を多用するとか。人物を描かず、エフェクトと背景画のみでカットを繋いじゃうとか。縦線と横線だけを画面に出したり、脚本をそのまま画面に出したりとか。<どこかで見たぞ。
細田守の同ポ多用なんてのは、もしかするとそういった撤退戦?の中から生まれてきたものなんだろうか。…そういやあの人は、元々アニメーターだったか。原画・動画・レイアウトの作業を経験してるからこそ、どこにリソースを再配分するかについて再考できる視点を持てたのかもしれないか。 *1 …いや、学生時代からそういう演出方法を意識してた可能性も。となるとアニメーター体験はあまり関係なかったりして。知らんけど。
画に関して独自性を持つ演出・表現手法は、アニメーター出身者からしか生まれてこないてな状況があったらなんだか面白いかもしれない。や、そんなわけないと思うんだけど。…たとえば _出崎演出における代表的な技法・手法 はどういう過程で生まれてきたのか等、ちょっと気になったりもする。 *2 む。Wikipediaを読む限りでは、出崎氏は元々プロの漫画家だったのか。だから劇画的な表現手法を考案できたのかしら…。
漫画絵と言うのは基本的に「パターン化」によって描かれるけれど、その「パターン化」を成そうとする流れ自体が、細田演出や出崎演出のソレにも見られるような気もしてきた。元々漫画絵を描く人間は、演出・コンテにおいても「パターン化」をしたくなる傾向があったりはしないだろうか。…となると、絵を描かない人間が描いたコンテに対して、アニメーターは不満を持ってたりするのかもしれない。「どうしてカメラ位置が特に理由もないままあちこちに動くのか」「どうして似たような構図が出てこないのか」等々。無意識下で、コンテの中にパターンが存在することを望んでたりして。いや、勝手な想像ですけど。まったく根拠なし。
1stガンダムの頃は、MS戦のシーンで背景がいきなり模様?になるといった見せ方も頻繁にあったような気もする。少なくとも該当カットにおいては、背景とのパースの整合性は取らなくてもいいのだろうな。ああいう画作りは今でも生き残っているのだろうか。アレって、登場人物の心情を画で表現するとか、注目してもらいたい対象のみを画面に残すことで観客の心理を誘導するためにやってると思うのだけど。アニメの作画というものが現実のソレのデフォルメであるとしたら、1stガンダムに見られたソレは、演出におけるデフォルメに相当するのだろうな。…背景がなくなるのが昔の演出なら、新海監督の見せ方 ―― 人物がなくなり背景だけを見せたりするのは、今風の演出・画作りだったりするのだろうか。
矛盾のない画面を作りたいなら、実写か3DCGに進むべきなのかもしれないと思ったりもする。人間の手が描き出すものは、必ず歪みが残るし。その歪みを抹殺していくことが映像制作においては必ずしも正義であり進歩なのだろうか。現実の風景の模倣をしたいなら、現実をそのままカメラに収めたほうがてっとり早くないか。もしくは計算機で生成したほうが理想的な画を得られるのではないか。…でも、今の視聴者の大半は、どのみち歪みを許容しない感もあるし、実写映像が含まれたアニメ作品にえてして批判的だったりもしそうだし。すると行く着く先はロトスコープか。まあ、3Dモデルとモーションキャプチャーという、デジタル版ロトスコープに落ち着くのだろうけど。
_タップ割り もある種のロトスコープと呼べるのかしら。全然違うか。…デジタル技術を利用した次世代タップ割りとかできないかしら。や、そういうフレーズを思いついたので書いてみただけです。具体的イメージが湧きません。
どうしても作画関連にのみ注目してしまうあたりが素人なんだろうな。>自分。映像の場合、撮影段階で工夫できることも多いはずなのに、そっちにはまったく意識がいかない。…たとえば、「電脳コイル」あたりを見ていると、デジタル撮影・合成が作画を補完・補強してるところが多々あったりもするし。本来、映像表現手法というものは、そこらへんまで意識して捉えないといけないのだろうと想像したりもする。
オチはないです。
各分野の技術向上・クオリティ追及をおろそかにしてもいいという前提があるなら、解決策もあるのだろうかと妄想。パースを意識せずに作画できるコンテ・レイアウト・作品世界にしちゃうとか。バンクをとにかく多用するとか。全身は極力出さずに、手・足・目等、体の一部分の画を多用するとか。人物を描かず、エフェクトと背景画のみでカットを繋いじゃうとか。縦線と横線だけを画面に出したり、脚本をそのまま画面に出したりとか。<どこかで見たぞ。
細田守の同ポ多用なんてのは、もしかするとそういった撤退戦?の中から生まれてきたものなんだろうか。…そういやあの人は、元々アニメーターだったか。原画・動画・レイアウトの作業を経験してるからこそ、どこにリソースを再配分するかについて再考できる視点を持てたのかもしれないか。 *1 …いや、学生時代からそういう演出方法を意識してた可能性も。となるとアニメーター体験はあまり関係なかったりして。知らんけど。
画に関して独自性を持つ演出・表現手法は、アニメーター出身者からしか生まれてこないてな状況があったらなんだか面白いかもしれない。や、そんなわけないと思うんだけど。…たとえば _出崎演出における代表的な技法・手法 はどういう過程で生まれてきたのか等、ちょっと気になったりもする。 *2 む。Wikipediaを読む限りでは、出崎氏は元々プロの漫画家だったのか。だから劇画的な表現手法を考案できたのかしら…。
漫画絵と言うのは基本的に「パターン化」によって描かれるけれど、その「パターン化」を成そうとする流れ自体が、細田演出や出崎演出のソレにも見られるような気もしてきた。元々漫画絵を描く人間は、演出・コンテにおいても「パターン化」をしたくなる傾向があったりはしないだろうか。…となると、絵を描かない人間が描いたコンテに対して、アニメーターは不満を持ってたりするのかもしれない。「どうしてカメラ位置が特に理由もないままあちこちに動くのか」「どうして似たような構図が出てこないのか」等々。無意識下で、コンテの中にパターンが存在することを望んでたりして。いや、勝手な想像ですけど。まったく根拠なし。
1stガンダムの頃は、MS戦のシーンで背景がいきなり模様?になるといった見せ方も頻繁にあったような気もする。少なくとも該当カットにおいては、背景とのパースの整合性は取らなくてもいいのだろうな。ああいう画作りは今でも生き残っているのだろうか。アレって、登場人物の心情を画で表現するとか、注目してもらいたい対象のみを画面に残すことで観客の心理を誘導するためにやってると思うのだけど。アニメの作画というものが現実のソレのデフォルメであるとしたら、1stガンダムに見られたソレは、演出におけるデフォルメに相当するのだろうな。…背景がなくなるのが昔の演出なら、新海監督の見せ方 ―― 人物がなくなり背景だけを見せたりするのは、今風の演出・画作りだったりするのだろうか。
矛盾のない画面を作りたいなら、実写か3DCGに進むべきなのかもしれないと思ったりもする。人間の手が描き出すものは、必ず歪みが残るし。その歪みを抹殺していくことが映像制作においては必ずしも正義であり進歩なのだろうか。現実の風景の模倣をしたいなら、現実をそのままカメラに収めたほうがてっとり早くないか。もしくは計算機で生成したほうが理想的な画を得られるのではないか。…でも、今の視聴者の大半は、どのみち歪みを許容しない感もあるし、実写映像が含まれたアニメ作品にえてして批判的だったりもしそうだし。すると行く着く先はロトスコープか。まあ、3Dモデルとモーションキャプチャーという、デジタル版ロトスコープに落ち着くのだろうけど。
_タップ割り もある種のロトスコープと呼べるのかしら。全然違うか。…デジタル技術を利用した次世代タップ割りとかできないかしら。や、そういうフレーズを思いついたので書いてみただけです。具体的イメージが湧きません。
どうしても作画関連にのみ注目してしまうあたりが素人なんだろうな。>自分。映像の場合、撮影段階で工夫できることも多いはずなのに、そっちにはまったく意識がいかない。…たとえば、「電脳コイル」あたりを見ていると、デジタル撮影・合成が作画を補完・補強してるところが多々あったりもするし。本来、映像表現手法というものは、そこらへんまで意識して捉えないといけないのだろうと想像したりもする。
オチはないです。
◎ _出崎統演出作品愛好研究会 :
それにしても、アトムの作り方って、徹底していますね。さきほども書きましたがほとんど止め絵(絵で動いているのは、口だけ)で、最後のほうでアトムが活躍する場面だけは動かす、という手法がいい効果をあげています。最初から、全編を動かすのは無理だという前提で作ってますから、絵の見せ方や物語の進め方など、非常にうまい(極端に言えば、今のアニメの動くだけとか特殊効果だけとかいうのよりはずっと見ごたえがある)と思います。もしかすると、出崎さんの演出もこのアトムで研究したのではないでしょうか?興味深い。リソースに限界があることを意識せずにはいられない、そんな環境に置かれていたために、技法を生み出していくことにつながった、ということなんだろうか。出崎統演出作品愛好研究会 より
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#4 [anime] _WebLab.ota - 世代間で共有するアニメが日本では流行らない
コメントで「何故か日本の企業やエスタブリッシュメントは情報を共有しようとしない」といったことを書いた.また「何故か日本の業界はアメリカと比べて,新しい価値観を持った人々を排斥しようといった動きが強い」といった旨も書いた.興味深い話。
しかしこういった新しい価値観(自分とは違う価値観)や共有の財産にしようといった動きに対してネガティブに捕らえるのは,企業やエスタブリッシュメントや業界だけでなく,オタクも含めた日本人全体の持つ資質に問題があるのかも知れない.
もちろん”萌えのデータベース化”による萌えの共有やニコニコ動画を含めむ「一緒に楽しむ」といった価値観を持った人々が多いオタクは,どちらかというと情報の共有化や新しい価値観に対して寛容であると思っていたのだが,そういった面ばかりでもないのかも知れないなぁと考えている.
◎ _WebLab.ota - ハイブリッドP2Pを使ったアニメビジネスを考えてみる :
この記事へのツッコミ
- 世代間で共有するアニメが日本では流行らない by がんした 2007/09/29 00:01
- 元々アニメって、
『好きなキャラの攻受が異なるだけで、大親友だったはずの女友達同士が流血事件を起す』
ぐらい嗜好品だから、世代間を越えて共有化は難しいだろうと。
つーか、アメリカの場合「スーパーマン」とか原作漫画だけど、日本みたく漫画雑誌掲載じゃなくて
新聞の日曜版に掲載されてたハズ。元々、購買層が違うし単純比較出来ない。
又、日本の場合、映画という表現手段が難問なので、本当は自主制作映画として作りたいネタだけど、
キャストも小道具も機材も予算も時間も無いので断念して、仕方なしに
一人でシコシコと漫画書いて漫画賞に送る、、、。みたいな
クリエイターが漫画業界に集中しちゃう状況もねあるよね。 - Re: 世代間で共有するアニメが日本では流行らない by mieki256 2007/10/02 20:11
- > 「スーパーマン」は日本みたく漫画雑誌掲載じゃなくて
> 新聞の日曜版に掲載されてたハズ。購買層が違うし単純比較出来ない。
なんと。新聞掲載の漫画だったとは…。これは勉強になりました。
なるほどなぁ…。たしかに比較は難しいものがありそうですな。
映画制作に関して障害が多い→漫画業界が発展、というのもなるほどです。
実際、漫画家として成功した後、
映画制作に注力した作家も何人か思い浮かびますし、
やはり、できれば映画を作りたかったけど…的な理由で
漫画を描いてたんだろうなと想像しますな。
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#5 [anime] _MISSION SCHOOL - 監督:望月智充
_毎週土曜22:55-23:00にデジスタプチ劇場という番組がNHK教育で流れて
いて、基本的にはアマチュア制作の映像作品が延々と紹介されているので、一応毎週録画して目にしてはいるのだけど。昨日録画していたソレを再生してビックリ。何故に望月監督作品が…。
昔の少女漫画っぽい瞳の描き方にグッときた。また、曲の歌声が非常に独特で。…学生時代にサークルの先輩から聴かせてもらって気に入ってしまった、「窓ガラスのへのへのもへじ」をなんとなく思いだしたり。イイ感じ。
昔の少女漫画っぽい瞳の描き方にグッときた。また、曲の歌声が非常に独特で。…学生時代にサークルの先輩から聴かせてもらって気に入ってしまった、「窓ガラスのへのへのもへじ」をなんとなく思いだしたり。イイ感じ。
◎ _さそり座〜SWAYの発表作品リスト :
_SWAY - Wikipedia
_さそり座&SWAY ディスコグラフィー
全然知らんかった。もうCDとか売ってないんだろうな…。売っててもCCCDだったりするんだろう…。つーか少女漫画の世界ですら _「頭がフットーしそうだよおっっ」 _「そのキレイな顔をフッ飛ばしてやる!!」 とか書かれちゃってる現代においてあの手の歌詞が受け入れられる可能性はほとんどないわな…。
_さそり座&SWAY ディスコグラフィー
全然知らんかった。もうCDとか売ってないんだろうな…。売っててもCCCDだったりするんだろう…。つーか少女漫画の世界ですら _「頭がフットーしそうだよおっっ」 _「そのキレイな顔をフッ飛ばしてやる!!」 とか書かれちゃってる現代においてあの手の歌詞が受け入れられる可能性はほとんどないわな…。
◎ _眉タン保管庫 :
見てるうちに頭がフットーしそうになる。
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#6 [web] _サーバメンテ中の適切なHTTPレスポンスは?
色気(?)を出して、Apache の ErrorDocument 設定を変更すると、妙なステータスコードを返しちゃう場合もあるから注意すべし、という記事だらうか。
◎ _辛辣インターフェース評議会 - アメブロのフィードが昨晩は403でしたけど、どう考えても503の方が適切 :
HTTPステータスコードの4XXはクライアント側の問題、5XXはサーバー側に問題があったときに使われる。メモ。
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以上、1 日分です。
そういう危機的なこととか逆境に一度も出会わないと、
そもそも本気になることがなくなるんじゃないのかなぁ。
若いときの苦労は金を出してでも買えっていう言葉も死語になりつつあるのかな。
あと、いずれ自分が上の立場になって下を育てなければならないというときに
自分がヘタレじゃダメでしょっていう意味があったり、
人を動かす力とか指導力を鍛える必要もあるんじゃないかと。
死ぬまでコンビニのバイトで生計を立てるような人なら
「いやなら辞めろ」→「はい辞めます」
でもいいかもしれないけどね。
いや、私も体育会系の理不尽な説教とか罵声とかノリは嫌いだけど、
親の薦めもあって学生時代いやいやながらもスポーツやってました。
でも、今頃になって親のいうことは正しかったな、と思ってます。
歳食ってから体動かそうと思っても絶対動かないけど、
若い頃やってたスポーツだけは体が覚えているからすぐ甦るし、
それが歳食ってからの生きる楽しみになっていくんです。
朝青龍の場合、そもそも本当に病気なの?っていう疑いが
「正々堂々としていない」ように見えるから腹が立つのでは。
都合が悪くなると病気になるのは政治家だけにしてくれ、とか
スポーツマンたるもの「正々堂々戦う」ことを誓って欲しかったとか、
そんな感じなのでは。