mieki256's diary



2012/02/19() [n年前の日記]

#1 [anime] 録画してたアニメを消化中

どんどん見て消し。

#2 [anime] 「キルミーベイベー」というアニメを視聴

見ていて不安になった。間を入れる場所がほとんどずれている。かつ、間の挿入だけで削除が皆無。例えば、間髪入れずツッコミすれば笑えるシーンで、何故か一呼吸入れる。見ていて何度も「えっ? なんでそうするの?」と思ってしまった。わざとやってるのか、わかってないのか、どっちなんだろう。奇妙なアニメだなあ…。

#3 [anime] ギャグアニメについてなんとなく思ったことをメモ

もしかしてこういうことを意識するとその手のジャンルは作りやすくなったりせんかなあ、とド素人が根拠なく妄想しただけの話なのでアレなのだけど、一応メモ。

「間」は、挿入と削除を両方含む。 :

落語や漫才ではそれぞれ別の用語で呼ばれているのではという気がするけれど、自分は無学なのでどっちも「間」と言っちゃっているのですが。何にせよ「間」には挿入と削除があるよなと。一呼吸入れることで笑いが取れる場面もあるし、矢継ぎ早に間髪入れず畳みかけることで笑いが取れる場面もある。

しかし、「笑いは間が命」等の言葉を耳にした時、一呼吸入れることだけをイメージしてしまう人が多かったりしないか。だとしたら、ちょっとマズイ。

たぶん片方だけじゃダメで、コントラストがそこに生まれないと、笑いにならないのかもしれない。緊張と緩和、とでもいうか。

シナリオの分量がそもそも少ない。 :

無駄な間が多い=そもそもシナリオ分量が少ない。分量の少ない脚本を無理矢理一定時間にぴっちり引き延ばしたら間延びして当然。

ギャグアニメの種類にもよるのだろうけど、単純にシナリオの分量を増やしておけば後の作業が楽にならないか。通常の1.x倍ぐらいでちょうどいいテンポになったりしないか。

とあるギャグアニメは、声優さんの音声の無音部分を編集技術で削除して異様なテンションを作ってたっけ。時間内に収めるシナリオ分量を増加させるための策だろうけど、結果、偶然生まれた微小な間すら事前に全消去しておくことで作品中の間を完全に作り手の制御下に置いていた、とも考えられる。そこまで行けば、ここはどうしても間の挿入をしないと笑いにならない、等の絞り込みもできるので、漫然としたテンポにはならないのだろう。…にしても、そこまでやるか、という気もする。でも、実際にやってみせた監督さんが居るわけだし。

コーナーを作る。 :

シナリオ分量を増やそうにも、原作ストックの消化速度の関係でそれが無理な場合もありそう。そんな時は、コーナーを作ってみるとか。

例えば、京アニ作品のギャグアニメ「日常」には、フィルム撮影風の日常的風景や、幼女とお姉さんのじゃんけんする様子が時々挿入される。また、タイムボカンシリーズでは、本編と無関係なギャグの数々が挿入される。「豚もおだてりゃ木に登る」「おろカブ」「シュビビン、シュビビン、シュビビンビーン」「全国の女子高生ファンの皆様」等々。それらは「コーナー」なのだけど。

本編の間の取り方を煮詰めて時間が余ってしまっても、コーナーがあれば穴埋めできる。作る際に気が楽なのでは。少なくとも、本編を間延びさせるよりマシ。

更にコーナーがそれぞれ独自発展を遂げる可能性も期待できる。本編とは無関係な、極めて無責任なコーナーだから、予算と期間と枚数と放送コードの許す限り、やりたい放題のはず。そこだけ別の誰かに丸投げもできる。

例えば、タイムボカンシリーズのソレなどは、最初のうちは単なるバンクシーンだったのに、いつのまにかスタッフが暴走を始め、新作が当たり前になり、作品の面白さを増す結果に繋がっていた、ような気がする。…当初、斜めにスライドするだけだったのに、画面奥から手前に向かって空中で捻りを加えながら飛んでくる新作「シュビビンビーン」を見た時は、その凝り具合に大笑いした記憶が。

作る側の遊び心さえ失われていなければ、それらの穴埋めコーナーも有効活用できる。…まあ、スタッフの疲れ具合が伝わるコーナーもたまに見かけるけど。

他にも色々あるんだろうな。 :

経験豊富な監督さんやプロデューサーなら、色々な手管を知っている予感。そういうアレコレが書籍にならないものだろうか。富野監督の「映像の原則」のギャグアニメ版。無理か。飯の種だもんな。

#4 [anime] 落語を分析することは勉強にならないのかな

実況板で「このスタッフは落語とか見てないのかな」と書き込んだら馬鹿にされてしまって首を捻ってしまったのだけど。落語を分析することは、勉強にならないのかな?

落語は、 という、ストイックな見せ方であらゆるものを表現するとんでもないジャンルなので、余計な枝葉がついてない分、手法の存在に気付きやすいのではと想像しているのだけど。また、使える道具の少なさは、どこかしらアニメと共通する感もあるし。

また、漫画家さんは落語に詳しい人が多い、という話をどこかで聞いた記憶も。それらの先生方は、漫然と見ていたわけではないはずで。ある程度は、趣味と実益を兼ねてたんだろうけど、どこらへんがコンテンツを制作するうえで肝になるのか、分析しながら見ていたはず。何にせよ、漫画業界には落語から学んで成功した人達が結構居る。では、アニメはどうか。

なので、アニメオタクが馬鹿にしていいジャンルではないだろう? と自分は思ったのでした。まあ、漫才でも、映画でも、分析や勉強に使えるものは落語以外にもあるだろうから、「落語より漫才のほうが参考になるだろ」等の意見を元に馬鹿にされたならまだ分かるんだけど。

というか。アニメばかり見て育ってきた層が作ってるから、全然笑えないギャグアニメがこうして出来上がってしまうんじゃねえの、という不安もあって。

日本のアニメは、他ジャンルから色んな要素を取り込んでくることで発展してきた歴史があるので、他ジャンルを無意味に否定する傾向が作り手にもファンにも蔓延しつつあるのだとしたら、アニメの未来は暗いかもしれぬと。そういう傾向が出てくると、そのジャンルはえてして衰退する。邦画も、TV業界も、特撮業界も、そんな感じだった。前例はたくさんある。

他ジャンル・他作品から「学ぶところ」を見つける力すら失ってしまった業界はヤバイ。と思うので、落語を馬鹿にする、増長したアニメ業界の空気が仮にあるのだとしたら、それはマズい傾向かもしれぬ。…と無駄に話を大きくしてみたり。

でもまあ忙しくて他のアレコレを見ている時間なんてないよね…。義務感で見ても身につかないし。それを考えると、趣味と実益を兼ねる自分だけの何かを発見できた人は、それだけで戦闘力が高いのだろう。落語を見るよりソレを探したほうがいいのかも。学ぶ気持ちさえあれば、何を見ても学び取れる、と思いたいし。

余談。 :

なんとなく思ったけど、落語家を呼んできて監修してもらうのはどうか。「今の会話はこうしたほうがいいね」と言ってもらえるだけでもガラリと変わりそうだし、「○○亭○○監修」は多少なりとも宣伝文句にならないか。でも、つまんない落語をする人も居るから、誰にお願いするかで結果が全然違ってしまいそう。それに、優れた落語家は忙しくて、協力してくれる時間なんて無いわな。

分業化が進めば、「笑い」だけを担当する職種が登場したりするのだろうか。編集と監督の中間のような感じ? わからんけど。

以上、1 日分です。

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