mieki256's diary



2007/11/05(月) [n年前の日記]

#5 [zatta] 子供の頃に見たコンテンツ・ジャンルは過大評価もしくは過小評価をしがちだなとなんとなく思ったり

前述の三国志を、実況スレを眺めつつ鑑賞していたのだけど。「所詮子供向け」等の書き込みが目について、なんだか考え込んでしまった。

もしかすると、そういう書き込みをしていた人は、子供の頃にリアルタイムで見ていた人、だったりするのかしら。自分などは、実はそういった人形劇をリアルタイムではしっかり見てなかったので、改めて見ると評価すべきポイントが発見できて面白かったりするのだけど。

なんとなく、 _半田健人氏が某番組で口にしたという「リアルタイムっていうのは油断してるんですよ!」 てな台詞が脳裏に浮かんだりもして。もしかすると人間には、子供の頃にソレを目にしている・聴いていると、ソレを目にしたというただそれだけで、ソレについて十分に理解できているつもりになってしまう、そういう傾向があるのかもしれないなと。

でも、子供の頃の評価眼なんてのは、まったく頼りにならないもので。子供の頃につまらないと思ったものが、大人になってから見ると面白かったり。あるいはその逆の感想を持つこともよくあることで。

三国志の映像を見て「なんだこの子供向け映像は」と語る人は、もしかすると、自分が子供の頃に見たコンテンツだからコレはつまらない・くだらないに違いない、てな思い込みを最初から持ってコンテンツに触れているのではないか、てな勝手な想像をしてみたり。もちろん、真逆の感想もあるはずで。子供の頃に夢中になって見ていたのだから、コレは面白い・素晴らしいに違いない、てな思い込みを持つ人も居るだろうなと。

そういや、映画CASSHERN(キャシャーンの実写版)の感想もそういうのが多かったなと。古臭くて評価に値しないマイナーアニメをよくぞここまで、という感想も見かけたし。コイツはキャシャーンのカッコよさが全然わかってねえこんなのキャシャーンじゃねえ、という感想も見かけたし。前者は、「古いアニメ作品だからダメダメに決まってる」と思い込んでるし。後者は、「俺が楽しんで見てたのだからもっと面白かったはずだ」と思い込んでるし。

1stガンダムなんかもそんなところがありそう。近年のガンダムシリーズと比較する際に1stが持ち出されたりするときもあるけれど。1stを過大評価、もしくは過小評価のどちらかに走りがちだったりするような、そんな気もする。

まあ、自分自身もそういう思い込みがあるわけで。「リアルタイムは油断している」ことを意識しながら昔のコンテンツを見なきゃいかんなとぼんやり思った、というだけの話なんですが。

年齢によってもそういう思い込みを持ってしまいがち。かもしれず。 :

ウルトラマンシリーズや仮面ライダーシリーズを幼稚園児の頃に見ていた子供が、小中高生になると「あんなのガキ向けじゃん」「つまんねえ」と言い放っちゃう、てな流れがあるけれど。それも、「リアルタイムは油断している」という話と似てるかもしれないなと。

「○○シリーズ」と呼ばれながらも、実態は、プロデューサー、監督、脚本家、演出家が違ってたりするのが常で。核になる作り手がそもそも違うのだから、その子供が見ていた番組とは、当然中身がベツモノになってたりするのだけど。しかし、中身を吟味することなく、自分が昔見ていたから自分はソレを知っている、てなつもりになって「ガキ向けじゃん」と言っちゃう、みたいな。

大人から見ると「ガキ向け」云々を発言する時点で「その物言いがまさしく子供だなぁ」と苦笑しちゃうけど。しかしそれもまた、その大人自身がそういう子供時代を体験してるからこそ持てる感想だったりもするわけで。これがもし、さらに卓見できた人なら、大人が苦笑するそのさまを見て、また次のレベルの感想を持つのかもしれない。…けど、自分はまだそこまで歳を取ってないのでどういう感想が次に出てくるのかはさっぱり判らないですが。

もっとも、小中学校なんてのは、個と集団の間にある、爪の垢ほどの微妙な差異をめざとく見つけ、その差異を用いて相手の全人格を否定する、てな不条理なことが日常的に行われている場所であり。周囲が「ガキ向けじゃん」と言っているなら、個もそれに合わせないと、場合によっては個の生命が危険に晒されかねない。そういう体験をすることで、個は社会性とやらを身につけるので、「ガキ向けじゃん」はある種の通過儀礼にならざるをえないのかもしれないな、とも。…そのへん鑑みると、小中学生になっても「○○シリーズ」を見てる子供は、「自己の確固とした評価眼」が成熟しつつあるが、「社会性・空気を読む能力」は未だに育っていない、と言えるのかもしれないし。逆に、「ガキ向けじゃん」と言い放つ子供は、「社会性・空気を読む能力」が成熟しつつあるが、「自己の確固とした評価眼」は未だ育っていない、と言えるのかもしれない。…いや、単に惰性で見続けてる子供や、周囲には「ガキ向けじゃん」と言い放ちながらも家ではこっそり見ている「仮面をつけることを覚えた」子供も居るかもしれんから、単純に二極化はできないよな。たぶん。

時代によってもそういう思い込みを持ってしまいがち。かもしれず。 :

「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」てな言葉が明治時代にあった、てな話を教科書で読んだ記憶があるけれど。明治時代というのは、「日本文化はとにかくダメダメだ」「欧米文化は素晴らしいものだ」的思い込みを持ってたところもありそうだなとなんとなく想像。日本文化にも、それぞれ個別に良し悪しがあったはずと思うのだけど。自分が生まれてこのかたずっと見てきたものだから、価値など無いに違いない、と思い込んでた人も居るのではないか、みたいな。…そういや、浮世絵なんかが実は代表例だったりするのかもしれんか。アレは幸い欧米が「何コレ?」と言ってくれたからどうやら価値があるものらしいと日本人も認識できたけど。中には、実は独自性・価値があったが、誰にも認識されずに消滅してしまった日本文化も存在していたのかもしれない。

太平洋戦争直後、敗戦直後や戦後も、そういう流れがありそうな予感。「アメリカに日本は負けた」「日本文化はダメダメなんだ」「アメリカ文化は素晴らしいんだ」みたいな。

…ウチの洋間には「偽暖炉」があるのだけど。これなんかも「日本はダメダメ」「欧米は素晴らしい」の典型例かもしれないなと思うときが。両親は農家育ちなので、欧米風の内装に結構憧れを持っていたようで、その場の雰囲気で「あれがいい」「これがいい」と内装を選んでいったら偽暖炉が出来てしまったわけで。「何に使おうとしたの?」と今になって尋ねても、「あの頃はそういうのが良かったと思ってたから…」「皆そういうのに憧れてたから…」と苦笑いするだけという。

まあ、そういった空気・ブームによって、商売人はそれら商品が売れるわけで。たとえば、「ガキ向けじゃん」と言ってる子供も、フラフープ、ダッコちゃん、ルービックキューブ、スーパーカー消しゴム、ガンプラ、たまごっち、TVゲーム等々、周囲が持ってるからという理由だけで欲しがってたわけだし。 *1 中身を吟味せず特定の志向性に流れていくことは、経済的には意味があることなのかもしれんので、肯定や否定ができる類のものではないのだろうな。ただそこに、そういう現象があるだけ、という話なんだろう。たぶん。

*1: ただ、それら商品は、コミュニケーションツールとしての側面もあるので、そのへん考えるとまた別の話が出てきそうだけど。

この記事へのツッコミ

Re: 子供の頃に見たコンテンツ・ジャンルは過大評価もしくは過小評価をしがちだなとなんとなく思ったり by けいと    2007/11/07 01:18
でも、いいものはやっぱり良い訳でして…

ドリフのDVDがバカ売れしたり、
ルービックキューブがいまだに愛好されてリバイバルっぽくなっていたりと、
単なる流行にとどまらないエポックメイキング的なものは強いと思いますよ。

最近、NHKの「スプーンおばさん」にハマってたりします。
(Yahoo!動画で見る事が出来ます)
今見ても十分耐えられる、というか、
アニメ全盛???の今だからこそむしろ際立つ感じがします。
面白おかしい、じゃなくて「楽しい」ってこういうことなんだよね、
っていう感じだし。

以上です。

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