mieki256's diary



2007/03/17() [n年前の日記]

#2 [ore_xxxxx] WoOのラストがどんなラストだったら自分は満足したのか

考え込んでしまった。…自分の場合は、こんな感じだろうか。恥ずかしいけど書いてみる。

怪獣を倒さず、「生物彗星」というタイトルを活かしてみるパターン。 :

怪獣はとにかく増殖を続け、地球上の全生物は怪獣に飲み込まれてしまう。WoOとの部分的融合を果たしていた少女はかろうじて飲み込まれずに済むが、結局は命を落としてしまう。WoOは、少女の亡骸をその身に取り込み、宇宙に飛び立っていく。

宇宙を飛び続ける彗星と化したWoOの映像に、ナレーションが重なる。「地球上の生命は、彗星や小惑星によって運ばれてきたという説がある。○○を含んだ彗星が地球と接触して、あるいは小惑星が地球に衝突して、○○が海に散らばった。その○○が元になって、生命が誕生したというのだ…」。

WoOはやがて、太古の地球によく似た惑星に辿りつく。海に落ちたWoOの中から、少女の亡骸が放出される。亡骸は飛散して…やがて、海の中に生命が生まれる。生命は進化を続け、陸に上り、様々な生物へと変わり…人間が生まれる。

地球とは異なる文化を持った、人間の集落が見える。その中に、愛を語らっているのであろう、少年と少女の姿が見える。二人の姿は、かつてWoOと共に居た少女と、少女が恋心を抱いていた少年の姿に、どこか似ている。

集落から離れた森の中。二人の姿を見つめている小さな生物 ―― WoOが居る。どこか悲しい…いや、喜びを感じさせる、小さくかすかなWoOの鳴き声が、青空へと消えていく。

とか?

怪獣を倒すが、人類絶滅パターン。 :

怪獣は増殖を続け…そして、地球上の酸素を取り込み始める。次々と倒れていく人間・動物たち。対するWoOは、怪獣を倒す力を得るべく、地球上の全ての水を取り込む。かろうじて怪獣を倒すWoO。しかし、地球からは酸素が失われ、海すらも消えた。死の星と化した地球。WoOは、生き残った少女一人をその身に内包して、宇宙へ飛び立つ。

何もない。誰も居ない。そんな宇宙(そら)を、少女とWoOは二人きり、何千年、何万年と旅を続ける。

やがて二人は、地球によく似た惑星に辿りつく。

その星で、少女はWoOの子を宿し(あるいは、WoOが少女の子を宿し)、その星に生命が満ちていくことを予感させる映像で、終わる。<アダムとイブパターン。

あるいは。辿りついた惑星には、地球人によく似た異星人が暮らしていた。少女とファーストコンタクトしたのは、異星人の少年。その顔は、少女が恋心を抱いていた(以下略)。集落に招かれる、少女とWoO。その集落で少女とWoOは、おそらくは平和に暮らしていけるのであろうことを予感させる映像で、終わる。

とか?

怪獣を倒すが、少女は悲惨なパターン。 :

怪獣が人間を飲み込むことで力を得るように、WoOもまた、怪獣を倒す力を得るためには、人間を飲み込む必要があった。それも、既に部分的融合を果たした人間 ―― 少女を飲み込むことが、怪獣を倒せる可能性がもっとも高い手段であると判明する。これ以上の犠牲者を出さんがために、少女はWoOと融合を果たす。倒される怪獣。しかし、少女は、人間の体に戻れない。少女の肉体は、WoOの肉体の一部として、完全に再構成されてしまっていた。

さらに、やはりWoOが怪獣を引き寄せていることが判明してしまう。地球上にWoOが居る限り、次々と怪獣は地球に向かってくる。地球を去ることを決意する少女。WoOと共に、地球を後にする。

夜。どこか遠い街。WoOと少女が光となって宇宙に向かう様子を、たまたま目撃してる親子が居る。
幼児「ママー、流れ星ー」
母親「あら、ほんとだ。…でも変な流れ星ねえ。ずいぶん長く光ってる。それに、物凄く明るいわね」
彗星(?)と化したWoO+少女の姿がアップで映る。
幼児「ねえ、ママ。あの流れ星、なんだか涙の形に似てるよ…」

とか?

そもそも最初から終わりまでコメディにするパターン。 :

怪獣なんかいらない。WoOが巨大化する必要もない。1話からラストまで日常を舞台にして展開させちゃったほうが良かったのかもしれん。

少女の住む家の屋根をブチ割って、突然現れた謎の生物、WoO。見た目は可愛いが、とにかく騒動を引き起こす。冷蔵庫をサイコキネシスで開けて、勝手にビールを飲んで酔っ払って、町内で騒動を起こしたり。学校まで勝手についてきて、学校内を探検して大騒ぎになったあげく、理科室で大爆発を起こしたり。NHKにもぐりこんで芸能人相手に一騒動起こしたり。…オバQパターンというか、ロボコンパターンというか。

WoOの尻拭いばかりさせられる少女。しかし、その尻ぬぐいをする過程で、出会ったときの第一印象は最悪だった、特撮&フィギュアオタク少年が、毎回毎回どことなく男らしい面を見せ。少年に、次第に心惹かれていく少女。

もちろん(?)ラストは、バカップル誕生でハッピーエンド。キスをしようとするその間にWoOが割り込んで、「こら〜WoO〜!」みたいな追いかけっこで終わる。てなベタな感じのラストとか。

何が何でもハッピーエンドにしたいのであれば、最初からそういう企画にしちゃっても良かったんではなかろうかと。

どれもこれも、どこかで見たようなラストだなぁ。 :

所詮コピー世代。>自分。「涙の形」なんて特にヤバイ。松本零士先生から訴えられる! *1

なんだか、全員生き返ってしまうラストが正解のような気もしてきた。そのほうが一般視聴者からは文句も出ないだろうし。映像化もまだ楽だろうし。…宮崎駿だってナウシカ生き返らせているし。ましてや天下の円谷作品なんだから、数十人ほど生き返ってしまってもいいよな。

宮崎駿は、ナウシカを生き返らせることについて、悩んだらしい。ビジュアルと音楽でソレっぽくはなったけど、これじゃまるで宗教みたいだと、自身の案に嫌悪しつつ、でもこれしか思いつかない、映画館で嫌な気持ちになったまま、お客さんを帰らせるわけにはいかない、と…。どこかのインタビュー記事でそういう内容を読んだ記憶がある。対して、WoOは、生き返る人間の数が何倍にもなってる。宮崎駿より、何倍も悩んだうえで、あのラストを選んだのだろうか。

本当は一番最初の企画書どおりのウーが見たかった。 :

中年カメラマンが、行く先々で奇怪な事件に巻き込まれ。スタイル抜群の女性が毎回ゲストとして登場して、妙にアダルトなシーンが入ってて。ウーは、形がよくわからないモヤモヤした存在で。そういう企画のままで、見たかったなぁ。

「不定形なウーの映像化は難しい」みたいな話を、Pの書いたコラムで見かけた気もするけど。映像化の手段はありそうだけどな。演劇的な見せ方にしたっていいんだし。CG使うのでもどうにかなりそう。アナログ素材でもできそうな感も。かつて味噌汁から発想して火山の噴火まで作ってみせたという、日本の特撮魂はどこに消えてしまったのか。…既存・既知の特撮技術の枠内でしか物事を考えられない、そんなスタッフが集まってしまった、ということなんだろうか。誰も作ったことの無い映像を作ろうと、頭を悩ませる仕事が、特撮ってもんじゃないのだろうか。「これなら出来そう」と思える手段ばかり選んでたんでは、それはもう特撮じゃないような気もする。まあ、自分の中の特撮の定義はそういう感じってだけの話なんですが。…もしかして、スケジュールや予算面から考えられる「無理」だったのかな。あるいは企画が通りやすいかどうかでの「無理」なんだろうか。そうなってくると、もう大人の事情云々だろうから、どうにもならんのかもしれんけど。

そもそもウルトラマンのカラータイマーだって、大人の事情で生まれたものだしなぁ。単なる一設定ではあるけど、それが生まれたことで、話を作るうえでの様々なメリットも得られたわけで。…制限があるからこそ、新しい何かが生まれてくることもあるといえばあるのだろうけど。さて、WoOはその点、どうだったんだろう。制限の中から、新しい何かが生まれたんだろうか。見ていた自分にはよく判らなかったけど、スタッフの中では新しい何かが生まれたのであれば、作られた意義はあったと言えるのかもしれないが。さてはて。

*1: 999のクレアさんだよなぁ。>涙の形。

以上です。

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