2005/07/31(日) [n年前の日記]
#9 [anime][game] _見ようよ!ウルトラマンネオス - 『ウルトラマンネオス』の監督さんは『サラダの国のトマト姫』の開発スタッフ
神澤監督は「ウルトラマンA」のころに、この撮影現場にいた友達に誘われて手伝いに来て、そのまま50話の特撮監督(当時は"特殊技術"といった)でデビュー。このころはまだ大学生だったらしいよ。! マジ? 知らなかった…。
「ウルトラマンA」が終わったあとは映画「日本沈没」「ノストラダムスの大予言」「ゴジラ対メカゴジラ」の特撮をやったんだけど、その後は特撮映画自体がほとんどなくなっちゃって(オイルショックだね)、「サラダの国のトマト姫」っていうPCゲームの絵とお話をやったりしてたんだって。
しかし、検索してもそれらしい情報が見当たらない。
◎ _謎の監督・冬木椴とは? :
謎の監督・冬木椴とは? - 実は神澤監督の変名。平成ウルトラシリーズは本編と特撮を同一の監督が担当する事が多いが、違う人が担当しても良い事もあるという気持ちをこめて、わざと本編と特撮の名前を変えたらしい。尚、監督・冬木椴で「かんとくふゆきとどき(監督不行き届き)」と読むらしい。む。すると別名で参加してる可能性もあるのか。
◎ _『ウルトラマンネオス』の監督さんは『GAME KING/高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』の監督さんでもあるらしい :
1986年の映画。とある。
サラトマは… _ファミコン版が1988/5/27に発売 という情報はあった。でも、PC版の発売日がわからんなぁ。
ハドソン関係の仕事を請けたことで繋がりができて、「こういうゲーム作るんだけど手伝ってよ」みたいな展開があったのだろうかと想像したりもしたけど。さて。
_PC版は1984年7月 という情報に辿りついた。…すると時系列は逆で、PC版『サラトマ』発売 → 『高橋名人VS毛利名人』公開、なのか。
結局、『ネオス』の監督さんが『サラトマ』の開発に関わってたかどうか、他のソースは見つからなかった。残念。
サラトマは… _ファミコン版が1988/5/27に発売 という情報はあった。でも、PC版の発売日がわからんなぁ。
ハドソン関係の仕事を請けたことで繋がりができて、「こういうゲーム作るんだけど手伝ってよ」みたいな展開があったのだろうかと想像したりもしたけど。さて。
_PC版は1984年7月 という情報に辿りついた。…すると時系列は逆で、PC版『サラトマ』発売 → 『高橋名人VS毛利名人』公開、なのか。
結局、『ネオス』の監督さんが『サラトマ』の開発に関わってたかどうか、他のソースは見つからなかった。残念。
◎ _ちなみに今のサラトマ(携帯アプリ) :
完全に今風のグラフィックになってるのだなぁ。
◎ _サラトマ、ファミコン版とPC版の違い :
個人的にはPC版の「アップルリサ」のほうが好み。
PC版は line + paint で画を作っていただろうから、比較的自由にデザインできたのだろうけど。ファミコン版はキャラ単位で画面を構成しなければならないから、デザインを根本から変える必要があったのだろうと想像。
あの頃のPCのスペックで、「ドロー方式(?)」で作れと、今現在言われたら…。ベジェ曲線やパターン塗り等を盛り込んで、少ないデータ量でも同等 or 高密度な画を作れるようにするのだろうな。いや、それら処理を実装して、充分な速度で描画できるほど、CPUの処理速度は足りてないか。
PC版は line + paint で画を作っていただろうから、比較的自由にデザインできたのだろうけど。ファミコン版はキャラ単位で画面を構成しなければならないから、デザインを根本から変える必要があったのだろうと想像。
あの頃のPCのスペックで、「ドロー方式(?)」で作れと、今現在言われたら…。ベジェ曲線やパターン塗り等を盛り込んで、少ないデータ量でも同等 or 高密度な画を作れるようにするのだろうな。いや、それら処理を実装して、充分な速度で描画できるほど、CPUの処理速度は足りてないか。
[ ツッコむ ]
以上です。