2014/02/19(水) [n年前の日記]
#1 [movie] うさぎドロップ実写版を視聴
昨日TV放送されてたので一応録画、していたので視聴。
自分、原作→アニメ版の順で既に見てしまっているので、どうしてもそれらと比較しちゃって評価は悪くなるわけだけど。また、キャラ設定が原作から変更されたと聞いていたので、これはかなりダメなんじゃないかなーと期待せずに一応見始めたのだけど。
意外と原作通りの台詞が多くて、脚本の人はちゃんと原作を読んだ上で書いてるっぽいなと感心。や、失礼ながら実写畑って、原作すら読まずに脚本書いてるんじゃないの? と首を捻る時もたまにあったりするので…。そういう事例と比べれば、まだ、原作を尊重してるほうかもしれないなと思えたり。
とはいえ、モデル設定はやっぱり謎。何を考えてたんだろう…。意図が見えない…。あるいは、どんな大人の事情があったのだろう…。まあ、この映画から入る人にとっては、この設定でも別に問題無いかも、という気もするのですが。
漫画原作は、主人公の心情・思考をことごとく _モノローグ ? _傍白 ? で説明していたので、ほとんどのシーンの意味合いが伝達できていたわけだけど。アニメ版は、そういった手法を結構排除していたし、特に実写版は徹底的に排除していたので、そのあたりの変換作業が興味深かったり。「これで伝わるのか…?」「ああ、ここは上手いなあ」とチラチラ思ったりして。
りん役の子役さんがリアル幼女なので、見てるだけで可愛いなと。もっとも、原作が活用していた漫画の記号的表現は一切使えないわけで、そっち方向の可愛らしさは提示できるわけもなく。また、生きている役者さんが演じることで発生する説得力という面もあって、実写ならではのメリット・デメリットを各所で感じたり。
最後のあたりでオリジナル展開を入れたのは、となりのトトロあたりと似た効果を狙って入れてきたのかしら。「このままじゃさっぱり盛り上がらずに映画が終わってしまう…どうしよう…」てな悩みは、例えば宮崎駿監督も毎回抱えて、結果ああなってしまうらしいし…。映画の脚本って大変だなと。
総じて、「これは見るべき」とまでは言えないけれど、「まあ…フツーに見れるよ」と言えそうな映画になっていた気もしたり。もちろんそれは、この映画から入るなら、という前提で。原作やアニメ版を見てる人には、ちとオススメできないかもしれず。細かい部分の改変理由がうっすら見えるならまだしも…。
実写版→アニメ版→原作、の順で見ていけば、楽しめるかもしれない、と思えました。自分は一番損をする順番で見ちゃったので、ちと失敗。
自分、原作→アニメ版の順で既に見てしまっているので、どうしてもそれらと比較しちゃって評価は悪くなるわけだけど。また、キャラ設定が原作から変更されたと聞いていたので、これはかなりダメなんじゃないかなーと期待せずに一応見始めたのだけど。
意外と原作通りの台詞が多くて、脚本の人はちゃんと原作を読んだ上で書いてるっぽいなと感心。や、失礼ながら実写畑って、原作すら読まずに脚本書いてるんじゃないの? と首を捻る時もたまにあったりするので…。そういう事例と比べれば、まだ、原作を尊重してるほうかもしれないなと思えたり。
とはいえ、モデル設定はやっぱり謎。何を考えてたんだろう…。意図が見えない…。あるいは、どんな大人の事情があったのだろう…。まあ、この映画から入る人にとっては、この設定でも別に問題無いかも、という気もするのですが。
漫画原作は、主人公の心情・思考をことごとく _モノローグ ? _傍白 ? で説明していたので、ほとんどのシーンの意味合いが伝達できていたわけだけど。アニメ版は、そういった手法を結構排除していたし、特に実写版は徹底的に排除していたので、そのあたりの変換作業が興味深かったり。「これで伝わるのか…?」「ああ、ここは上手いなあ」とチラチラ思ったりして。
りん役の子役さんがリアル幼女なので、見てるだけで可愛いなと。もっとも、原作が活用していた漫画の記号的表現は一切使えないわけで、そっち方向の可愛らしさは提示できるわけもなく。また、生きている役者さんが演じることで発生する説得力という面もあって、実写ならではのメリット・デメリットを各所で感じたり。
最後のあたりでオリジナル展開を入れたのは、となりのトトロあたりと似た効果を狙って入れてきたのかしら。「このままじゃさっぱり盛り上がらずに映画が終わってしまう…どうしよう…」てな悩みは、例えば宮崎駿監督も毎回抱えて、結果ああなってしまうらしいし…。映画の脚本って大変だなと。
総じて、「これは見るべき」とまでは言えないけれど、「まあ…フツーに見れるよ」と言えそうな映画になっていた気もしたり。もちろんそれは、この映画から入るなら、という前提で。原作やアニメ版を見てる人には、ちとオススメできないかもしれず。細かい部分の改変理由がうっすら見えるならまだしも…。
実写版→アニメ版→原作、の順で見ていけば、楽しめるかもしれない、と思えました。自分は一番損をする順番で見ちゃったので、ちと失敗。
◎ どうしてモデル設定がしっくりこないかと言うと。 :
以前、漫画家の渡辺多恵子先生が、「作品中で、一つの大きな嘘を成立させるためには、たくさんの事実を積み重ねないといけない」てな話をどこかで書いていて。自分も、その考え方というか、手法に同意するのですけど。
独身男が幼女を引き取って育てる、てのは、かなり大きな嘘だと思うわけで。その嘘を成立させるためには、周りは「リアル」で固めておかないと。そこに、モデル設定という大きな嘘を、また一つ入れてる余裕はないんじゃないの? と思ったわけです。身近にモデルさんが居るなんて、見てるこっちにとってはファンタジーなので。ファンタジーだらけにしたら、この作品の、(前半の)魅力は弱まるのではないか、と。
でも。りんの母親も、 漫画家設定だったか…。フツー、身近に 漫画家なんて居ないよな…。りんの出自にしても…。原作からしてファンタジー設定だらけ、だよなあ…。そう考えると今更かもしれず…。
それに、映画関係者にとっては、身近にモデルさんが居ることなんて、ファンタジーでも何でもなくて「リアル」だろうし。ただ、そういう感覚で改変したのだとしたら、ちとマズイのかも。お客さんにとっての「リアル」が見えなくなってる・想像できなくなってる状態で、ウケる娯楽作品を作れるものだろうか、という疑問も。あまりいい傾向ではないのかもしれず。
もっとも、「設定を変えることで、こういう効能が期待できる」「この部分を強化できる」等の理論武装がそこにあったのかもしれないし。その理論武装を知れば、自分の印象は変わる可能性もあるのですが。いや、意図が見えてこない時点で、その理論武装は外してた可能性もありそうですけど。
でもまあ、他のドラマや映画に比べたら、「リアル」を比較的混ぜていた方だろうし。このくらいなら許容範囲なのかなあ…。どうなんだろ。
変えることで面白くなるなら、全然OKなんですけど。「これは面白くなったのか?」と悩むソレだからアレなわけで。かといって、メディア自体が異なっている原作のソレをトレースして、映像作品として面白くなるかというと、悩んでしまうわけで。
なんでもそうだろうけど、こういった「見極め」って難しいですな。
独身男が幼女を引き取って育てる、てのは、かなり大きな嘘だと思うわけで。その嘘を成立させるためには、周りは「リアル」で固めておかないと。そこに、モデル設定という大きな嘘を、また一つ入れてる余裕はないんじゃないの? と思ったわけです。身近にモデルさんが居るなんて、見てるこっちにとってはファンタジーなので。ファンタジーだらけにしたら、この作品の、(前半の)魅力は弱まるのではないか、と。
でも。りんの母親も、 漫画家設定だったか…。フツー、身近に 漫画家なんて居ないよな…。りんの出自にしても…。原作からしてファンタジー設定だらけ、だよなあ…。そう考えると今更かもしれず…。
それに、映画関係者にとっては、身近にモデルさんが居ることなんて、ファンタジーでも何でもなくて「リアル」だろうし。ただ、そういう感覚で改変したのだとしたら、ちとマズイのかも。お客さんにとっての「リアル」が見えなくなってる・想像できなくなってる状態で、ウケる娯楽作品を作れるものだろうか、という疑問も。あまりいい傾向ではないのかもしれず。
もっとも、「設定を変えることで、こういう効能が期待できる」「この部分を強化できる」等の理論武装がそこにあったのかもしれないし。その理論武装を知れば、自分の印象は変わる可能性もあるのですが。いや、意図が見えてこない時点で、その理論武装は外してた可能性もありそうですけど。
でもまあ、他のドラマや映画に比べたら、「リアル」を比較的混ぜていた方だろうし。このくらいなら許容範囲なのかなあ…。どうなんだろ。
変えることで面白くなるなら、全然OKなんですけど。「これは面白くなったのか?」と悩むソレだからアレなわけで。かといって、メディア自体が異なっている原作のソレをトレースして、映像作品として面白くなるかというと、悩んでしまうわけで。
なんでもそうだろうけど、こういった「見極め」って難しいですな。
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以上です。