mieki256's diary



2014/02/06(木) [n年前の日記]

#1 [anime] 幸福充填プリキュア、1話を視聴

「ハピネスチャージプリキュア」を日本語で読んだら、巨大ロボットアニメっぽいタイトルになりそうな。と思ったのだけど、実際試してみたら、全然それらしくないな…。「幸福武装プリキュア」とか「幸福装填プリキュア」だったら、もうちょっと…。

さておき。プリキュアが社会に認知されてる設定というのは面白いなと。前作のラストのあたりで、「世界を守っているのだから、隠す必要などない!」てな台詞があって感心したけれど。ソレをさらに発展させた感じの設定だなと。

考えてみれば、アメコミヒーローもそういう感じだったりするので、別に全然おかしくはないような。正義の名の元に行動を起こすが、しかし社会的には認知されないようコソコソ活動するってのは、むしろ不自然だなと思えてきたり。フィクションではあっても、社会に対する働きかけをしている人物なのだから、社会から認知されていて当然、というアメリカのソレのほうが、まだ健全性があるように思える。日本人は一体どんだけ闇とか裏とかが好きやねん。みたいな。ということで、プリキュアも、ン周年を迎えて、若干健全な設定に変化してきた、てのは考え過ぎかしらん。

感想記事を眺めていたら、「史上最弱のプリキュア」というフレーズを見かけて、なるほどと思ったり。色んな部分で冒険してるなあ…。

#2 [anime][neta] アニメの実時間と体感時間

思考メモ。

「東京レイヴンズ」というアニメを見ていたら、なんだか妙なコンテ・演出を目にして。たぶん17話だと思いますが。話としては…。続々出現する巨大モンスター。次々に迫る予想外の事態。主人公側、大ピンチ。精神的に追い込まれた主人公の、隠された能力が、今、発動する…! みたいなソレだったのですが。どうも緊迫感が無いなと。(意見には個人差があります。)

島本和彦先生の漫画作品の対極に位置する作りかもしれないなと。島本漫画って、かなりどうでもいい実にくだらないことでも大ピンチに見えるじゃないですか。アレの逆だなと。状況的にはどう考えても大ピンチのはずなのに、そうは見えないという。(意見には個人差があります。)

これはこれで勉強になるコンテかもしれぬ、と思えてきたのです。何かが欠落してるのだろう、抑えるべきところを抑えてないのだろう。さて、ソレは何だろうと。 以前、どこかの新聞社が、「この娘に萌えない理由を3つ挙げよ」てなお題を出してたけど。「このコンテではピンチに思えてこない理由を3つ挙げよ」みたいなお題が出されたも同然、かもしれんと。…島本漫画が、ひたすら手管を駆使して大ピンチシーンを成立させちゃってることを考えると、単純に、手管・技が足りてないのだろうと予想するのですが。

そんなことを、もやもや考えていていたのですが。所詮自分は素人なので、そんなのさっぱり分からんわ、と。が、しかし、もしかすると、そのコンテは実時間と体感時間のスイッチングがよろしくなかった可能性はないか、てなことをもやもやと思い始めちゃったのでした。

あくまで思考メモです。

実時間と体感時間。 :

小説や漫画は持ってない、映像作品の特長として、時間の制御ができる・時間を提示できるという点があるわけで。そのあたり、音楽と似てるのですが、それはちょっと横に置いといて。

「時間を提示」と言っても、大別すると2種類あって。実時間を見せてる場面と、体感時間(心理描写)を見せてる場面がある、と思うわけですよ。

実時間ってのは、1秒の動作を撮影したら、1秒かけて再生するソレ。現実の風景を等速撮影して等速再生する。これは映像作品の基本。例えば、御家庭でお父さんが撮影した子供のビデオは、えてして実時間しか入ってない。そのくらい、誰でもカメラを回せば作れてしまう。それが、実時間の映像。

対して、体感時間ってのは、そこに居るキャラがその風景をどのように感じているか、その瞬間何を考えているか、そういった部分を説明する映像。1秒の動作でも、3秒、3分、30分、いくらでも長い時間をかけて見せられる。
  • (自分は未見ですが)「巨人の星」で、一球投げるのに丸々一話使った回があるそうで。それはどう考えても、体感時間の映像だよなと。
  • 1stガンダムで、アムロがララァを殺してしまったシーンは、体感時間の映像。本来は一瞬の出来事だけど、アムロとララァの意識の交錯が描かれる。これは実時間を見せてるわけじゃない。
  • 聖闘士星矢で、敵が星矢に殴り飛ばされる直前に、「何ィ…! このコスモは…まさか…」とか色々ブツブツ言ってたりするけど、アレも体感時間。実時間では、音速だか光速だかで殴り飛ばされてるはずですから、ブツブツ言ってる余裕なんてない。
  • 出崎演出の3回PANは、体感時間。正確には、1回目は実時間、2回目3回目は体感時間なのかなと思いますが。…アレって、文法を知らない人が見ると、「この人は3回殴られてるんだな」「この人どうして一瞬のうちに3回もボールを打ち返してるんだろう」と勘違いするのかしらん。

実写作品の場合、実時間を忠実に再現してる場合がほとんど。せいぜいスローモーションが時々入るかどうか、ぐらいなもんで。もっとも最近は、視聴者側の、映像に対する文法の理解が進んだので、早回し映像や、連続した動きを分断して繋ぎ直す映像もOKになっていますが。

アニメの場合、実写と同様、実時間の映像を見せることもできますが。実写以上に、体感時間の映像を見せやすいという性質があって。
  • 日本のTVアニメは、漫画原作の映像化で発展してきたので、漫画で多用される体感時間の表現を多く取り込んできた。
  • そもそも人が描いた絵が動いてるから、現実の風景をそのまま見ているわけではなく、実時間から体感時間に切り替わる際の拒否反応が少ない。
  • ずっとそういう作りを続けてきたので、作る側も、見る側も、文法として慣れてしまっている。
他にも理由はあると思いますが…。

実時間系の作家と体感時間系の作家。 :

例えば、宮崎駿監督は、作家性としては実時間系だろうと。明らかな体感時間映像を見せてるシーンは、かなり少ない印象で。まあ、宮崎駿監督は、体感時間を実時間のように見せてしまう魔術師、てなところもあるのですけど。

勝手な印象だけど、昔の東映動画出身者は、実時間系の作家性を持つ人が多いような気もしますな。東映動画は、映画会社が作ったスタジオ、だからなのかな…。あまり関係ないかな…。

体感時間系の監督と言うと…たくさん居るだろうけど、例えば、故・出崎監督などはそうだったのかなあ。

これもまた、虫プロやタツノコプロ出身者は、体感時間を見せることに躊躇しない印象が。元々、虫プロも、タツノコプロも、漫画をアニメにするために作ったスタジオだったので、漫画の各種表現を再現することも課題として与えられてた…てな点も関係してるのかなと。

さらに、虫プロから分かれて作られた、マッドハウスやサンライズも、その傾向があるような。そしてそれらのスタジオ作品を見て育った今の作り手も、同じ傾向が…と想像しますが。

実時間と体感時間の切り替えスイッチ。 :

てなわけで、アニメというジャンルは、やたらと実時間ではない映像が挿入される傾向がある、と、自分は思っているのですけど。

しかし、無頓着に、体感時間を実時間の中に入れてしまって構わないというわけでもなくて。「今まで実時間映像を見せてたけど、このカットは体感時間を見せてますよ」と、映像のモードを切り替えてることを伝えるための、スイッチ・記号的表現が必要で。
  • 1stガンダムで、ガンダムハンマー(?)をゴッグが受け止めちゃうシーンがあるけれど。受け止めた直後、ガンダムとゴッグが静止しますが、背景が謎模様になったり、色指定が通常時と変わったりしてた…ような記憶が。謎模様の背景、あるいは、いつもと違う色指定が、「体感時間を見せてますよ」のスイッチ、だろうなと。そういう見せ方は、ダンバイン、エルガイム、Zガンダムでも見かけた記憶もあり。
  • 「風の谷のナウシカ」で、ナウシカがユパ様の腕に剣を刺しちゃった直後、ナウシカの周囲がどんどん暗くなって、ユパ様のテレパシー音声が聞こえてくるシーンがあるけれど。真昼間なのに背景が急激に暗くなっていくあたりが、スイッチ。
  • 出崎演出のハーモニー効果は、セル画タッチから、手塗りタッチにオーバーラップしていく見せ方だけど。塗りの質感が変化するあたりが、スイッチ。
てな感じで、「このカットは実時間じゃないよ。体感時間だよ」と伝えるための手管を、過去の名作は駆使していて。それらスイッチが用意されてるから、見ている側は、無意識下で、実時間と体感時間をパチパチ頻繁に切り替えつつ、それでいて混乱することなく、各作品を楽しめてる。キャラが長々と心の声で喋っていても、「これは一瞬のうちに起きてることなのだ」「のんびり戦ってるわけじゃないのだ」と脳内補完・理解してくれるわけですな。

件の回のお題に対する仮説。 :

てなわけで。「東京レイヴンズ」の件のコンテって、もしかするとそこが欠けてたんじゃないのかなと疑問を持ったのでした。コンテ・演出は、それぞれのカットで体感時間を描いてるつもりでいたけれど。画としてのスイッチが足りてなくて、結果、こっちは実時間と勘違いしたまま見てしまったカットがいくつかあり、「緊迫してるように見えないなあ」と思ってしまったのかしら、と。 *1 まあ、分かんないですけど。

とりあえず、件の回をキッカケにして、映像作品中で実時間と体感時間の切り替えが上手く行ってないと緊迫感が出なかったりするのかもしれん、てな仮説を、こんな感じで捻り出してしまった…てなだけの話でした。この仮説、当たってるのか、外してるのか、分かんないですけど。

スイッチ云々は、誰でも知ってれば使えるだろうけど、知らないままだと使えないし、使ってないことをマズイとも思わない、てな話だろうなと。こういうのって、センス云々で片づけちゃいかん気もしてきたり。「技を知ってるけどあえて使わない」「(予算やスケジュールが足りなくて)状況的に使えない」のと、「知らないから使えない」のは、違うよなと。

余談。 :

件の回のコンテは、平池芳正氏だったようで。気になってググってみたら、「WORKING!!」「AKB0048」の監督さんだったり、「ポスト佐藤順一」と一部で呼ばれてたりする方だそうで。…変だな。監督さんクラスなのに。何か実験でもしてたのかな。あるいは単に、話の内容と作家性の相性なのかも、と思えてきたり。日常シーンが多めの回や、ギャグ回なら、イイ感じになったのかも。

企画・脚本と、コンテ・演出の相性って、絶対にあるよなと思うわけで。例えば、佐藤順一監督に「ブラックマジックM-66みたいなコンテ描いて」とお願いしても絶対無理だし。山田洋次監督に「トランスフォーマー実写版の監督して」とお願いしても絶対無理だし。相性って重要だよなと。

でも、何度か試しにやってみないと、向いてるか向いてないかも分からんですわな。

そう考えると…。なんだか、山田洋次監督のトランスフォーマーを見てみたい気もしてきたり。意外と面白かったり…いや…どうだろ…。

*1: もっとも、例えば主人公の能力覚醒直後などは、明確なスイッチが ―― 通常時と違う色の輪郭線で画を描いてる、等の工夫は入ってたので、そのあたりに気付いてないはずはないのですが。ただ、色んなシーンで主人公がブツブツと心の声をやたら喋ってるのに、スイッチの数・種類が妙に少なかった、そんな印象もあって…。スケジュールが厳しくて時間をかけてられない、等の事情もあったりしたのかなあ。

#3 [anime][neta] 「寅さん」のアニメ版

「山田洋次監督版トランスフォーマー」というフレーズを書いてるうちに、「逆に『寅さん』をロボットアニメにできんかな」とバカ妄想。コンボイ司令官みたいなロボットが「おいちゃん、久しぶり!」とか。スイマセン。イメージ湧きません。どんなロボットアニメなんだ。設定が分からん。

まだ、「トラック野郎」シリーズをトランスフォーマーにしちゃう方が…いや…それもどうなの…。

「寅さん」を、いかにもアニメらしくアレンジした版なら、「たまこまーけっと」がソレじゃないかと思ってるのですが、どうなんでしょうかね。当時、「『寅さん』も、こんな風にアレンジすると、結構楽しく見れるものだなあ」と、妙な感心をしていたのですけど。

そもそも「寅さん」って、一度もアニメ化されてないのだろうか。なんだかありそうな気もするけど。

気になってググってみたら、本家「男はつらいよ」のアニメ版が存在していたと今頃になって知りました。 _「アニメ 男はつらいよ〜寅次郎忘れな草〜」 だそうで。1998年に放映されたのか…。自分、その頃は色々あって、TVなんか見れてなかった気がする。

絵柄が気になってググってみたけど。あー。個人的には、そっちじゃないな…。リアル系のほうが良かったりしないか…。あの絵柄では、実写版を知ってる人、アニメオタク、両方からそっぽを向かれそうな。無難なところを狙って、どこにも引っ掛からない、ネタにすらしてもらえないソレが出てきちゃう、実に日本人らしい典型的な展開…。でも、当時はどんな反応だったのだろう。意外とウケたのか、それともスルーされたのか…。

以上、1 日分です。

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