mieki256's diary



2013/06/26(水) [n年前の日記]

#1 [prog] emacsはリファクタリング作業が厳しい

emacs 使って Rubyスクリプトを書いているのだけど。リファクタリング?がやりづらいなと。まあ、「“エディタ”にそんな機能求めるな」と怒られそうだけど。

NetBeans を使ってそのあたり試してみたものの。名前変更すら時々怪しい結果になってしまって…。まあ、「Rubyサポートのソレは動作が怪しいぞ。まだちゃんと作ってないぞ」と誰かが言ってた記憶もあって、たしかにそのとおりかも、という話でしかないのですが。

#2 [zatta] 糸井重里さんは凄いなあ

_「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる:日経ビジネスオンライン
糸井 もはや、性欲みたいな個人の持ち物ですら、法律で縛られていくような気がする。そのうち「こんなことを考えてしまったんですけど」って仮に人前で言ったら、言った途端から捕まる時代になるんです。

「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる:日経ビジネスオンライン より

_(via インターネットと「私刑化」する社会(藤代 裕之) - 個人 - Yahoo!ニュース)

2007年末の記事なのだけど。見事に予想が当たってる気がしたり。…糸井氏が現代ではなくはるか昔に生まれていたなら、たぶん何かの宗教の教祖様になってたんじゃないかとすら。そのくらい、ぼんやりした状況を予見する能力が高い印象。

#3 [pc] フラットデザインを眺めていると昔のカプコンの2D格闘ゲームの画面を思い出す

昔のカプコンの2D格ゲーって ―― 例えばスト2等が出ていた時期は、きっちりと影まで丁寧に打った、いかにもなドット画だったわけですけど。ある時期から、フラットな塗りを推した見た目に変わっていったわけで。

おそらく、時代が進むにつれ、あまりにもアニメパターンが増え過ぎちゃって、全てに対して几帳面なドット打ちをしてたら製品が完成しない、という事情があったのかなと想像してるのですが。 *1

もしかしたら、昨今流行りの「フラットデザイン」てのも、そういう背景があって流行り始めたのかなと邪推しちゃったりもして。スマホの普及に伴って、とにかく膨大なアイコンその他を制作しないといけない、という状況になってしまったので、リアル調は無理だよ、制作時間的に間に合わないよ、だけどベタ塗りならまだどうにかできるかも、てなムードになってきたのかなあ、と。

この邪推が当たってるのだとすれば…。

今のカプコンの格ゲーは、見た目は3Dに移行したことで、リアルな見た目はもちろん、静止画で見れば手塗りの絵に見えるような方向もできていたりするわけで。 *2

だとしたら、スマホ等のソレも、何か技術的ブレイクスルーがあれば、また違ったデザインの方向性が流行り始めたりするのだろうかと。

もっとも、ゲームの場合は、3Dに移行したことでアニメパターンをコンピュータが自動生成してくれるようになった、てなあたりが大きいわけで。スマホだのUIだのの場合は、そういう問題じゃないからなあ…。ゲームに喩えれば、キャラ数が爆発的に増えました、みたいな状況だろうし…。

あ、そうか。キャラを自動生成でもするかのように、アイコンその他を自動生成する技術が発達すれば、スマホやUIの世界でも、カプコンの格ゲーの見た目のような変化があり得るのかな?

待てよ。自動生成しやすいデザインの方向がフラットデザイン、なのかもしれないか。元々、自動化が大好きなMSあたりが打ち出してきたモノだろうし。つまりフラットデザイン自体が、技術的ブレイクスルーに含まれている要素、なのかもしれず。…どうなんだろうなあ。

なんかコレ、前にも似たようなことを書いたような気がしてきた…。
*1: セル画調のほうが動きがよくわかるとか、ユーザが一番慣れ親しんでる動画はセル画調である、なんてのは後付けの理由だったりしないかと。
*2: ちなみに、カプコンの格ゲー、と言っても、今現在はカプコンで作ってるわけじゃないらしいけど…。まあ、カプコンブランドで発売された格ゲー、という分類で一つ…。

#4 [pc] 怪しいプログラムまでインストールするフリーソフトが増えているような気がする

あくまで印象論だけど。

つまるところ、スマホアプリのように、広告で収益を得ることが出来る仕組みがPCのフリーソフトの世界にはさっぱりないことが原因なのかなあ、と思ったりもして。フリーソフトであることを維持しつつ、どうにか少しでも収益を上げようとしたら、その手のスパイウェアもどきをバンドルする以外にない、みたいな悲しい状況があるのではないかと。

日本の広告代理店さんなどが、そのへん頑張ったりはしないのかなあ…。「ウチと契約して、フリーソフトにも広告入れてみませんか?」みたいな。まあ、TVに比べたら旨味が少なくてやる気が出ないのかもしれないけど。広告データを提供するサーバはどうするんだとか、どんなライブラリ・APIを提供すればいいのか等、技術も絡んでくるから面倒臭そうだし。

でも、ネット上の広告に関して今から参入しても結構なシェアを握れるとか、フリーソフトがインストールされるたびにユーザに広告を送り付けることができちゃうとか、ユーザ側としては広告を見るだけで有償ソフト並みの機能を利用することができるとか、微妙に夢を感じる話のような気もするのだけど。

でもまあ、仕組みを用意して軌道に乗せるまでがとにかく大変だろうから、フツーはやらないよな…。あるいは、以前やってみた・今もやってるけど上手く回らなかった可能性もありそうな。

スマホの世界では、その仕組みが回っているように見えるのは何故なんだろう…。PCと比べたら、回線も細いしスペックも低いだろうに…。PCの世界とは異なる、大きな要因があるのだろうけど、それって、何だろう?

#5 [zatta] 書評ブログ≒アニメ感想ブログみたいなものじゃないのかな

_「書評ブログ」という闇 という記事(?)を読んで、少々考え込んでしまった。要するに、「書評blogを書いてる人は、たくさん本を読んでるのに、人間として成長してるようにはさっぱり見えない。読書って意味ないんじゃね?」という疑問かなと思うのだけど。

それはまあ、仕方ないよなあ…と思えてきたり。読書って、単に趣味の一つだろうから。「趣味はなんですか?」「読書です」…こんな会話が成立するぐらいだから、やっぱり趣味なのだろうと思う。鉄道オタク、映画オタク、邦楽オタク、洋楽オタク、コンピュータオタク…○○オタクが存在するように、読書オタクというジャンルも存在してるだけ。じゃないのかなと。

たくさんアニメを見て、たくさんの感想をblogにアップロードしたところで、その当人が人間として成長するかと言えば全くしないのと同様に、たくさん本を読んで、たくさんの感想をblogにアップロードしたところで、その当人が人間として成長するかと言えば全くしないのではないかなと。むしろ、しないのが自然な姿で、変化したら、逆に怖い気も。

読書如きで人間性が変わるなら、若い頃にレモンピープル読んでた自分は実際に幼女に手を出して今頃死刑になってなきゃおかしいよなと。

「だったらなんで読書なんかするんだよ」と疑問が湧くかもしれないけど。「趣味だから」としか…。例えば、新幹線見て喜んでる人に「なんで新幹線なんか凝視してるの?」と尋ねたところで…。

もちろん、役に立つ場面もあるのだろうけど。作る側の人なら、知識量が効いてくるのだと思う。アニメだの映画だのはそういうところがあるような気もするので、読書も、本を書く人なら役立つのではないかなあ、てな素人考えを。

#6 [anime][neta] 「働けないヤツは死ね」設定

某アニメにそういうシーンが出てきて、なんだか今の日本社会みたいだなあ、あちこちで見かけるその手の言に傾聴して実践してみたらこういう光景になっちゃうだろうな、てなことをぼんやり思ってしまったり。

それはさておき。そのアニメの中では、宇宙船やその他でそういうことが行われてたりするという設定だったけど。なんだかもったいないなと。

「あの子供はどうなるんだ?」
「解体されて、食用として再利用される。宇宙空間においてはたんぱく質の確保も重要なのだ」
「なるほど…。合理的だ」
「だが、味は今一つなので苦情が多い」
「そんな…味如きで文句を言うやつが居るのか! 贅沢な!」

みたいな会話はどうかなあ、と。

味に対する不満をどうにかするために、宗教的な行為と絡めることで消費させようと考える頭のいい人が上のほうに居る、てな設定になるんだろうか?

なんだか藤子F作品を連想してしまった。

以上、1 日分です。

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