2013/02/20(水) [n年前の日記]
#1 [movie] 「schola 坂本龍一 音楽の学校」を視聴したことをメモ
NHK教育で放送されてた番組を数日前に見て消ししたことをメモ。音楽に関する色々なことを解説する番組。自分が見たのは映画音楽の歴史をざっくりと解説していく回だった。
若い作曲家を3人呼んできて、写真や映像、岩井俊二監督の撮り下ろし短編などに音楽をつけてみる、というコーナーも興味深かった。3人+坂本龍一氏の作家性が結構違うので、同じ映像も音楽次第で全く違う映像に見えてくる。なんとなく予想はしていても、実際やってみるとここまで変わってしまうものなのかと軽くショックを受けたりもして。教材としては、とても分かりやすかった。
ということで、見れてよかったです。勉強になりました。
- 無声映画からトーキー映画になった頃。映画制作者は、「音」という新しい武器の威力にすっかりやられてしまい、映像中のありとあらゆるアクションに逐一音楽をつけていった。その頃の映画音楽は、BGMというより、SEとしての側面が強い。
- そのうち、音楽に感情面の演出を持たせるようになる。映像が出てこないうちに、不安を煽る曲を流してみたり等々。台詞や映像だけでは伝えにくい部分を、音楽に担ってもらうようになる。
- 時代が経つにつれ、音楽の使い方が変わってくる。既存曲をいきなり流し、いきなり打ち切る流し方とか。一見無神経で杜撰なのだけど、その杜撰さも含めて、映画の印象を確立させることに繋がっていく。
- 映像中で役者が鳴らしている音楽と異なるリズムで、別途BGMを流す映画も出てきたり。映像に従属し、映像のタイミングにひたすら合わせていた映画音楽が、次第に映像から独立していく事例として紹介していた。
若い作曲家を3人呼んできて、写真や映像、岩井俊二監督の撮り下ろし短編などに音楽をつけてみる、というコーナーも興味深かった。3人+坂本龍一氏の作家性が結構違うので、同じ映像も音楽次第で全く違う映像に見えてくる。なんとなく予想はしていても、実際やってみるとここまで変わってしまうものなのかと軽くショックを受けたりもして。教材としては、とても分かりやすかった。
ということで、見れてよかったです。勉強になりました。
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#2 [anime] カリ城とトーキー映画
「schola」を見た後で、なんとなくもやもやと思い出したのだけど。「ルパン三世 カリオストロの城」って、音楽に関してはトーキー映画のソレだったのかなあ、と。いや、このあたりの話は、誰かが言ってたことの受け売りのような気も。どこでそういう話を見かけたのだったか…。
例えば、ルパンが 撃たれるシーン。
これは、映像内で起きていることの一つ一つに、音楽でムードをつけていく、という手法なわけだけど、おそらくトーキー映画のソレだよなと。やり方としては古い。古いけど、めちゃくちゃ分かりやすい。観客のほとんどが、「ああ、そういうシーンか」と、音楽の力で瞬時に理解してくれる。
そういう分かりやすい手法が、宮崎アニメの活気溢れる映像作風に乗ってくるので、あのアニメは冒険活劇として名作になったんじゃないかなー、と思えてきたり。
ところが、ナウシカになると、音楽関係の演出は高畑勲監督(ナウシカではプロデューサーだったはず)が担当することに。高畑監督は、名作映画もたくさん知ってるし、音楽も詳しいので、音楽の使い方がどちらかというとオシャレ過ぎで。全編シリアス内容だったナウシカなら、おそらくソレが合っていたけれど…。
その後、宮崎アニメでは、宮崎駿監督が音関係も演出、ということになっているけど。実質、久石譲氏と鈴木Pがやってたりしないかと。でも、久石氏は優れた作曲家なれど、演出家じゃないわけで。鈴木Pに至っては、ますます期待できそうにない。また、仮に宮崎駿監督が、ちゃんと音関係の演出をやってたとしても。高畑監督は演出面の師匠でありライバルだから、高畑監督がナウシカその他で見せてきた音のつけ方が、ある種の目標・正解に見えてたりしないかと。本当は、自身の作風に合わせてやり方を変えなきゃいけないのに、合わないやり方を当てはめてないか…てなことを邪推したり。
それに、どこぞで、宮崎駿監督は音関係にとにかく無頓着、という話を見かけた気もするし…。声優選びを鈴木Pに任せてるのもそのせい、とかなんとか。だとしたら…。
ということで、宮崎アニメが、「カリ城」あたりと比べたらどんどん今一つな感じになってるのは、ひょっとして音の使い方も関係してたりせんかなー、てなことを思ったりもしました。勝手な想像を並べてるだけなので外してるかもしれんけど。
そのうちまた宮崎アニメがTV放映されるだろうけど。その時は、このあたりも少し意識しながら見てみようかな、なんて思ったりもして。「ここは久石センスなのかなー」とか。「ここは鈴木Pが余計な口挟んだ予感!」とか。そんな楽しみ方を。…楽しいのかソレ。
例えば、ルパンが 撃たれるシーン。
- 直後に「ジャジャーン」と、ショックを受けたかのような音楽が流れて。
- 屋根を滑り落ちる時に「チャラチャラチャラチャラ」で不安を煽り。
- クラリスが止めたところで「チャラララーン」で少し落ち着かせ。
- 血が広がっていく様子を映したタイミングで「ドドーン」。
これは、映像内で起きていることの一つ一つに、音楽でムードをつけていく、という手法なわけだけど、おそらくトーキー映画のソレだよなと。やり方としては古い。古いけど、めちゃくちゃ分かりやすい。観客のほとんどが、「ああ、そういうシーンか」と、音楽の力で瞬時に理解してくれる。
そういう分かりやすい手法が、宮崎アニメの活気溢れる映像作風に乗ってくるので、あのアニメは冒険活劇として名作になったんじゃないかなー、と思えてきたり。
ところが、ナウシカになると、音楽関係の演出は高畑勲監督(ナウシカではプロデューサーだったはず)が担当することに。高畑監督は、名作映画もたくさん知ってるし、音楽も詳しいので、音楽の使い方がどちらかというとオシャレ過ぎで。全編シリアス内容だったナウシカなら、おそらくソレが合っていたけれど…。
その後、宮崎アニメでは、宮崎駿監督が音関係も演出、ということになっているけど。実質、久石譲氏と鈴木Pがやってたりしないかと。でも、久石氏は優れた作曲家なれど、演出家じゃないわけで。鈴木Pに至っては、ますます期待できそうにない。また、仮に宮崎駿監督が、ちゃんと音関係の演出をやってたとしても。高畑監督は演出面の師匠でありライバルだから、高畑監督がナウシカその他で見せてきた音のつけ方が、ある種の目標・正解に見えてたりしないかと。本当は、自身の作風に合わせてやり方を変えなきゃいけないのに、合わないやり方を当てはめてないか…てなことを邪推したり。
それに、どこぞで、宮崎駿監督は音関係にとにかく無頓着、という話を見かけた気もするし…。声優選びを鈴木Pに任せてるのもそのせい、とかなんとか。だとしたら…。
ということで、宮崎アニメが、「カリ城」あたりと比べたらどんどん今一つな感じになってるのは、ひょっとして音の使い方も関係してたりせんかなー、てなことを思ったりもしました。勝手な想像を並べてるだけなので外してるかもしれんけど。
そのうちまた宮崎アニメがTV放映されるだろうけど。その時は、このあたりも少し意識しながら見てみようかな、なんて思ったりもして。「ここは久石センスなのかなー」とか。「ここは鈴木Pが余計な口挟んだ予感!」とか。そんな楽しみ方を。…楽しいのかソレ。
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#3 [movie] 音に限っては「世界のクロサワ」を反面教師にしないと
以下、完全に間違ったことを書いてる可能性が高いですが。思考メモってことで。
「○○監督は音に対して無頓着」てなソレを書いてるうちに、以下の記事を思い出したり。
_黒澤明監督はジョージ・ルーカスを泣かせていた! 山田洋次監督が述懐 - シネマトゥデイ
黒澤監督は完璧主義でよく知られた監督さんだけど、何故か音だけは例外で。音質が悪くて台詞すら聞き取れない状態でも平気だった、という記事を昔どこかで読んだ記憶があり。実際自分も、一応黒澤作品ぐらいはちゃんと見とかないとダメかなーと思って、大昔に義務感だけで見てみたけれど。台詞が聞き取れなくて、「ああ、本当に酷いわコレ。擁護できん」と閉口した記憶が。もちろん、カット割り等、映像に関してはスゲエと思いましたけど、音だけは別。アレは酷い。どうしてこの音質でOK出したんだろうと不思議に思ったぐらい。
*1
それに対してジョージ・ルーカスは、何せ STAR WARS のために、音響設備の認定規格 ―― THXを作って映画館に働きかけてしまったぐらい、音に拘ってた監督さんなわけですよ。邦画界に、そんな監督さんが居ますか? 居ないでしょ。でも、海の向こうには、そこまで音に神経使って状況改善することに努力した監督さんが居たのです。当然音楽に関しても、彼なりに細やかな演出を加えてたんだろう、それぞれに意図がしっかりあったんだろうと想像するわけですが。
しかし、台詞すら聞き取れないダメ音質な映画を平気で作ってる黒澤監督に、音の良さだの、音楽的な演出だの、いくらアピールしても理解できるわけないですわ。そりゃルーカスだって泣きますよ。自分が尊敬してた監督が、音に関してはまったく全然これっぽっちも何一つ分からないダメダメな監督だったと判明してしまったんだもの。崇めていた分、失望しちゃって泣きますって。こんなダメ監督とは思わなかった! 絶望した! 俺の今までの尊敬の念を返せ! みたいな。や。分かんないですけど。 *2 *3
それはともかく不安なのは、どうも山田洋次監督と久石譲氏が、黒澤監督のほうが正解だと思ってるらしき会話をしてることで。
そこは逆じゃないですか、気を付けろー、と言いたい気分。件のエピソードを耳にしたら、「黒澤監督に音の話したって分かるわけないよね、アハハ」とか「黒澤監督みたいなこと言ってちゃいかんよなあー」と感想を持つべき、ではないのかと。
あくまで音に限っての話ですけど、黒澤監督は反面教師にしないといかんのではないかと。これは暴論ですが、「黒澤監督が『音が多い』と言ったということは、つまり邦画はもっと音を増やすべきなのでは!?」と思ってみてもいいぐらい…ってさすがにソレは短絡的過ぎるけど、そのくらい、黒澤監督の音に対する発言は、ちょっと疑ってみたほうがいいような気がするのでした。
「世界のクロサワ」という権威に惑わされて、目が曇ってないかと。いや、この場合、目じゃなくて耳か…。
まあ、山田洋次監督作品でハリウッドみたいな音をつけられても困惑するので、それはそれで。結局は、作品や作風に合わせてそれぞれ考えていかないとね、という話でしかないのかもと思い直したり。「映画音楽はこうでなきゃいかんのだ」ではなくて「色々手管は持ってるけど、今回はコレだろう」みたいな。さて、どうなんでしょうね。
「○○監督は音に対して無頓着」てなソレを書いてるうちに、以下の記事を思い出したり。
_黒澤明監督はジョージ・ルーカスを泣かせていた! 山田洋次監督が述懐 - シネマトゥデイ
久石は「映画音楽では、映像に映った画面をなぞっただけの音楽が多すぎる。誰かが走ったら速い音楽。誰かが泣いたら悲しい音楽。あれじゃ効果音の延長。特にハリウッドはひどいね。観客をバカにしているんじゃないかと思いますよ」と昨今の映画音楽の現状を痛烈に批判。
すると山田監督は、黒澤明監督が明かしたというジョージ・ルーカス監督とのエピソードを述懐。「ルーカスが黒澤さんを『スター・ウォーズ』の試写会に招待したらしいんですけど、黒澤さんは『スター・ウォーズ』にはまったく興味がない。リムジンか何かに乗せられてしきりと感想を求められたんで、しょうがないから『とにかく音楽が多い』と言ったそうです。そうしたらルーカスがとにかく弁解し続けるから、『多いから多いんだ!』と言ったら、ルーカスが泣き出して、ちょっと言いすぎたかなと反省したという。そんな話を思い出しましたね」と名監督の意外なやり取りを明かした。ちょっとヤバイかもな、邦画界、と思ったり。
黒澤監督は完璧主義でよく知られた監督さんだけど、何故か音だけは例外で。音質が悪くて台詞すら聞き取れない状態でも平気だった、という記事を昔どこかで読んだ記憶があり。実際自分も、一応黒澤作品ぐらいはちゃんと見とかないとダメかなーと思って、大昔に義務感だけで見てみたけれど。台詞が聞き取れなくて、「ああ、本当に酷いわコレ。擁護できん」と閉口した記憶が。もちろん、カット割り等、映像に関してはスゲエと思いましたけど、音だけは別。アレは酷い。どうしてこの音質でOK出したんだろうと不思議に思ったぐらい。
*1
それに対してジョージ・ルーカスは、何せ STAR WARS のために、音響設備の認定規格 ―― THXを作って映画館に働きかけてしまったぐらい、音に拘ってた監督さんなわけですよ。邦画界に、そんな監督さんが居ますか? 居ないでしょ。でも、海の向こうには、そこまで音に神経使って状況改善することに努力した監督さんが居たのです。当然音楽に関しても、彼なりに細やかな演出を加えてたんだろう、それぞれに意図がしっかりあったんだろうと想像するわけですが。
しかし、台詞すら聞き取れないダメ音質な映画を平気で作ってる黒澤監督に、音の良さだの、音楽的な演出だの、いくらアピールしても理解できるわけないですわ。そりゃルーカスだって泣きますよ。自分が尊敬してた監督が、音に関してはまったく全然これっぽっちも何一つ分からないダメダメな監督だったと判明してしまったんだもの。崇めていた分、失望しちゃって泣きますって。こんなダメ監督とは思わなかった! 絶望した! 俺の今までの尊敬の念を返せ! みたいな。や。分かんないですけど。 *2 *3
それはともかく不安なのは、どうも山田洋次監督と久石譲氏が、黒澤監督のほうが正解だと思ってるらしき会話をしてることで。
そこは逆じゃないですか、気を付けろー、と言いたい気分。件のエピソードを耳にしたら、「黒澤監督に音の話したって分かるわけないよね、アハハ」とか「黒澤監督みたいなこと言ってちゃいかんよなあー」と感想を持つべき、ではないのかと。
あくまで音に限っての話ですけど、黒澤監督は反面教師にしないといかんのではないかと。これは暴論ですが、「黒澤監督が『音が多い』と言ったということは、つまり邦画はもっと音を増やすべきなのでは!?」と思ってみてもいいぐらい…ってさすがにソレは短絡的過ぎるけど、そのくらい、黒澤監督の音に対する発言は、ちょっと疑ってみたほうがいいような気がするのでした。
「世界のクロサワ」という権威に惑わされて、目が曇ってないかと。いや、この場合、目じゃなくて耳か…。
まあ、山田洋次監督作品でハリウッドみたいな音をつけられても困惑するので、それはそれで。結局は、作品や作風に合わせてそれぞれ考えていかないとね、という話でしかないのかもと思い直したり。「映画音楽はこうでなきゃいかんのだ」ではなくて「色々手管は持ってるけど、今回はコレだろう」みたいな。さて、どうなんでしょうね。
◎ 余談。宮崎アニメ云々。 :
それはそうと、久石氏の発言がちょっと気になったり。もしかして宮崎アニメをつまらなくしてるのは、この人なんじゃないかという気が…。久石氏が良しとする映画音楽の方向性は、宮崎アニメに合ってないんじゃね? と。
試しに一度、宮崎駿監督は、「効果音の延長」で映画音楽に取り組んでる人と組み直してみたほうがいいのでは、とすら。もしかすると、「あの頃の宮崎駿が戻ってきた! 戻ってきてくれた!」と評判になるかも、てな展開を夢想したけど、たぶんもう色々と遅いんだろうな。
「効果音の延長」云々とは関係ないけど。個人的には、宮崎駿+田中公平とか、宮崎駿+ヒャダイン(前山田健一)とか見てみたい気もしますが…。前者は、映像の勢いを加速させたりスケール感を広げたりして、オシャレで高尚ぶったソレとはちと違う、胸躍る映画になりそうだし。後者は、映像のガシャガシャっぷりにマッチしちゃって狂気を感じる映画になりそう。
まあ、あり得ないですけど。毎回ヒットを出している、宮崎駿+久石譲の組み合わせを、鈴木Pが壊すはずもないでしょうし。
試しに一度、宮崎駿監督は、「効果音の延長」で映画音楽に取り組んでる人と組み直してみたほうがいいのでは、とすら。もしかすると、「あの頃の宮崎駿が戻ってきた! 戻ってきてくれた!」と評判になるかも、てな展開を夢想したけど、たぶんもう色々と遅いんだろうな。
「効果音の延長」云々とは関係ないけど。個人的には、宮崎駿+田中公平とか、宮崎駿+ヒャダイン(前山田健一)とか見てみたい気もしますが…。前者は、映像の勢いを加速させたりスケール感を広げたりして、オシャレで高尚ぶったソレとはちと違う、胸躍る映画になりそうだし。後者は、映像のガシャガシャっぷりにマッチしちゃって狂気を感じる映画になりそう。
まあ、あり得ないですけど。毎回ヒットを出している、宮崎駿+久石譲の組み合わせを、鈴木Pが壊すはずもないでしょうし。
*1: 一説には、当時使ってた機材が酷かったとか、リアリティを求めて音質その他を犠牲にしたのだ、なんて話もあるようだけど。完璧主義の黒澤監督が、音だけは杜撰な状態で放置してるのも解せないし。リアリティを求めた結果、台詞すら聞き取れない状態になるのでは、作劇における手段と目的を取り違えてると思うわけで。どっちにしても作品を見れば、音だけはダメダメな監督だったと結論付けられる、と思うのですが。
*2: もしかすると、劇場の音響設備を改善すれば良さが分かってくれるのでは、と期待して、後に THX を作ったのかもしれんと思えてきたり。
*3: しかし、 _THX - Wikipedia には、「第19回ゴールデンラズベリー賞にて「鼓膜が破れるほどうるさい殺傷兵器並の音響効果」として、最低作品傾向賞のノミネートを受けている。」という記述も…。たしかにルーカスは音に拘ってたけど、拘る方向はやっぱりアレだったのかしらん。
*2: もしかすると、劇場の音響設備を改善すれば良さが分かってくれるのでは、と期待して、後に THX を作ったのかもしれんと思えてきたり。
*3: しかし、 _THX - Wikipedia には、「第19回ゴールデンラズベリー賞にて「鼓膜が破れるほどうるさい殺傷兵器並の音響効果」として、最低作品傾向賞のノミネートを受けている。」という記述も…。たしかにルーカスは音に拘ってたけど、拘る方向はやっぱりアレだったのかしらん。
[ ツッコむ ]
以上、1 日分です。