2013/02/17(日) [n年前の日記]
#1 [anime][neta] 受容体が無いと反応は起きないよな
ただの思考メモ。
某所で、某アニメについて、「このアニメは色々考えさせられる作りだなあ」てなことをつぶやいてみたら、「あの糞アニメに考えさせられる要素なんてないだろプゲラ」てな感じのレスがついて、あんだけ分かりやすく風刺が多々混ぜてあるのになーとガクッと来てしまったのだけど。
考えてみれば、見る側にある程度の知識が無いと ―― 言うなれば、受容体のようなモノを持ってないと、見ていても分かんねえよなと。まあ、それは、その某アニメに限った話じゃなく、あらゆる娯楽作品に当てはまる話だけど。
例えば。自分も小学生の頃は、新聞に載っている一コマ漫画の面白さがさっぱり分からなかった。その漫画が何を言わんとしているのか分からない。意味が分かっても一体どこが面白いのか分からない。そんな感じで。
しかし、歳を取るにしたがって、少しは面白さが分かるようになった。今の首相がどういう人物なのか、過去の日本がどんな事件を起こしたのか、現在の日本が抱えている問題は何か、そんなアレコレを知っていること前提で描かれた漫画なわけだから、そこを知らない子供では意味が分からなくて当然で。また、複雑な事象をある一面から切り取って断定してしまう、そんな爽快感を得るためには、扱う対象の複雑さを分かってないといけない。
要するに、知識が足りてないと、新聞の一コマ漫画、というジャンルはさっぱり楽しめない。…歳を取るにつれ、そのあたりの知識が溜まったから、面白さが多少分かるようになったのだろうなと。
歌舞伎や狂言、下手すると落語もそうで。自分は未だに歌舞伎等の何が面白いのかが分からないのだけど、それは、あのジャンルの見方に関して知識が圧倒的に足りてないからで。落語も、江戸時代を舞台にしたネタなどは出てくる単語からして知らないわけだから、状況がイメージできなくて当然で。あのジャンルも、やはり知識が足りてないと楽しむことができないジャンルだと言える。
「ドラえもん」も、少しそういうところがあるよなと。子供の頃は何も考えずに笑って読んでたけど。大人になってから読むと、藤子F先生が持っていた、シニカルさやマニア属性があちこちに散りばめられていたことに気付き、あの作品の黒さが魅力的に思えてくる。
ということで。見る側に受容体が無いと、いくら刺激を提示してみても反応は起きない。自分がつまらないと思った作品を、誰かが面白いと言及したなら、それは、自分は持ってない受容体が世の中に存在している証拠。
その、自分が持ってない受容体は、永遠にゲットできないのだろうか。そういうわけではないのかも。歳を取って知識や体験を得れば、その受容体が自分の中で自然に作られるのかもしれない。あるいは逆に、子供の頃は持っていても大人になると失ってしまう、そんな受容体があったりするし。
まあ、結局のところ、「この○○、つまんないな」と思っても、他の誰かが「これ面白いわ」と言ってたら油断しなさんな、てな話に過ぎないのだけど。数年後に見たら、「どうして俺はこの面白さが分からなかったのだ! これは名作じゃないか!」と驚愕するかもしれんよと。…や。その逆もあるけど。「当時は面白いと思ったが、見事に思い出補正だった。こりゃ酷い…」なんてことも結構ありますけどー。
子供の頃は食えなかった苦い料理も大人になると食えたりするけどソレと同じだよ、でサクッと済んじゃう話なんだろうか…? (´・ω・`)
某所で、某アニメについて、「このアニメは色々考えさせられる作りだなあ」てなことをつぶやいてみたら、「あの糞アニメに考えさせられる要素なんてないだろプゲラ」てな感じのレスがついて、あんだけ分かりやすく風刺が多々混ぜてあるのになーとガクッと来てしまったのだけど。
考えてみれば、見る側にある程度の知識が無いと ―― 言うなれば、受容体のようなモノを持ってないと、見ていても分かんねえよなと。まあ、それは、その某アニメに限った話じゃなく、あらゆる娯楽作品に当てはまる話だけど。
例えば。自分も小学生の頃は、新聞に載っている一コマ漫画の面白さがさっぱり分からなかった。その漫画が何を言わんとしているのか分からない。意味が分かっても一体どこが面白いのか分からない。そんな感じで。
しかし、歳を取るにしたがって、少しは面白さが分かるようになった。今の首相がどういう人物なのか、過去の日本がどんな事件を起こしたのか、現在の日本が抱えている問題は何か、そんなアレコレを知っていること前提で描かれた漫画なわけだから、そこを知らない子供では意味が分からなくて当然で。また、複雑な事象をある一面から切り取って断定してしまう、そんな爽快感を得るためには、扱う対象の複雑さを分かってないといけない。
要するに、知識が足りてないと、新聞の一コマ漫画、というジャンルはさっぱり楽しめない。…歳を取るにつれ、そのあたりの知識が溜まったから、面白さが多少分かるようになったのだろうなと。
歌舞伎や狂言、下手すると落語もそうで。自分は未だに歌舞伎等の何が面白いのかが分からないのだけど、それは、あのジャンルの見方に関して知識が圧倒的に足りてないからで。落語も、江戸時代を舞台にしたネタなどは出てくる単語からして知らないわけだから、状況がイメージできなくて当然で。あのジャンルも、やはり知識が足りてないと楽しむことができないジャンルだと言える。
「ドラえもん」も、少しそういうところがあるよなと。子供の頃は何も考えずに笑って読んでたけど。大人になってから読むと、藤子F先生が持っていた、シニカルさやマニア属性があちこちに散りばめられていたことに気付き、あの作品の黒さが魅力的に思えてくる。
ということで。見る側に受容体が無いと、いくら刺激を提示してみても反応は起きない。自分がつまらないと思った作品を、誰かが面白いと言及したなら、それは、自分は持ってない受容体が世の中に存在している証拠。
その、自分が持ってない受容体は、永遠にゲットできないのだろうか。そういうわけではないのかも。歳を取って知識や体験を得れば、その受容体が自分の中で自然に作られるのかもしれない。あるいは逆に、子供の頃は持っていても大人になると失ってしまう、そんな受容体があったりするし。
まあ、結局のところ、「この○○、つまんないな」と思っても、他の誰かが「これ面白いわ」と言ってたら油断しなさんな、てな話に過ぎないのだけど。数年後に見たら、「どうして俺はこの面白さが分からなかったのだ! これは名作じゃないか!」と驚愕するかもしれんよと。…や。その逆もあるけど。「当時は面白いと思ったが、見事に思い出補正だった。こりゃ酷い…」なんてことも結構ありますけどー。
子供の頃は食えなかった苦い料理も大人になると食えたりするけどソレと同じだよ、でサクッと済んじゃう話なんだろうか…? (´・ω・`)
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以上、1 日分です。