2012/03/07(水) [n年前の日記]
#1 [neta] 「防災グッズデー」で「バレンタインデー」「ホワイトデー」を飲み込むことはできないだろうか
夕食時、ヨークベニマルで防災グッズフェアが始まっている、という話になった。なるほど、震災から約1年、時期的にもちょうどいいし、備えあれば憂いなしでもあるし、商品が売れればお店も儲かる。皆が救われる良い企画だ、商売とはかくあるべし、と感心した。
毎年必ずやってほしいぐらいだ、と口にしたら、妹からは、1年に2回はやってほしいという要望が。賞味期限が半年の食品もあったりするから、半年間隔でチェックするキッカケになれば都合がいいとのことで。なるほど。それも一理ある。…何にせよ、今年限りではなく、毎年その手のフェアが開かれるのが定番になってくれたらいいのに、と思った。
ふと。3月のその手のイベントと言えば、ホワイトデーがあるなと気が付いた。
ホワイトデーは、バレンタインデーとセットになっているイベントなわけだけど。バレンタインデーにチョコを贈るのは、日本人だけが行っている奇異な慣習で、何故そうなったかといえば、チョコレート会社の宣伝戦略に日本人全員がまんまと乗せられてしまったから…という歴史を今ではほとんどの人が知っていて。
いっそ、バレンタインデーやホワイトデーを融合して、防災グッズを贈りあうイベントに変質させられないものだろうかと夢想してしまったりして。たびたび地震と津波に襲われる日本と言う国土の特性を考えた場合、チョコレートその他をプレゼントするより、防災グッズをプレゼントし合ったほうが、はるかに実利的・合理的・理に適っていて、なおかつ、立派な心遣いになるのではあるまいか。「何か大変なことが起きた時には、貴方の身を案じます」「いざという時は、これを役立ててください」…そういう思いを込めた防災グッズのプレゼントは、真に心がこもったメッセージになり得ないか。
「バレンタインデー? あんなの企業のヤラセだろ。馬鹿馬鹿しい。くだらない」と毒づく男性が日本には多々居ると想像するが、「防災グッズ? そんなの無駄だろ。くだらない」と毒づいたらどう考えてもアホの子。あれだけの被害映像を見ておきながら何ら危機感を持たないなら真性の馬鹿だろう。つまり、バレンタインデー等に比べれば、防災グッズデーはイベントの存在を否定しづらい。「…うん…まあ…たまにはそういうアレコレを揃えておくのも…必要だよね…」としぶしぶ肯定せざるをえない。イベントの存在自体を否定されにくいという点では強みがあるように思える。
などと書いてみたものの。「防災グッズデー」なんて呼称のままでは、オシャレ感ゼロなので、普及しないわな。ナイスなネーミングが必要になるような気がする。コピーライターさんなら何かひらめくのかもしれないが、自分にはそういう才はないので、このまま馬鹿話の一つとして終わってしまう予感。
チョコレート会社が、防災時にも使える、長期保存のできるチョコレートを売り出す、という戦略もありかもしれない。今回の震災とバレンタインデー・ホワイトデーを結び付けることができたら、イベントをより強固に固定できそうな気もするし。バレンタインデーのチョコがあったことで命を繋ぐ可能性がわずかでも高まるなら、そのイベント・宣伝戦略は否定されるものでもないだろう。
毎年必ずやってほしいぐらいだ、と口にしたら、妹からは、1年に2回はやってほしいという要望が。賞味期限が半年の食品もあったりするから、半年間隔でチェックするキッカケになれば都合がいいとのことで。なるほど。それも一理ある。…何にせよ、今年限りではなく、毎年その手のフェアが開かれるのが定番になってくれたらいいのに、と思った。
ふと。3月のその手のイベントと言えば、ホワイトデーがあるなと気が付いた。
ホワイトデーは、バレンタインデーとセットになっているイベントなわけだけど。バレンタインデーにチョコを贈るのは、日本人だけが行っている奇異な慣習で、何故そうなったかといえば、チョコレート会社の宣伝戦略に日本人全員がまんまと乗せられてしまったから…という歴史を今ではほとんどの人が知っていて。
いっそ、バレンタインデーやホワイトデーを融合して、防災グッズを贈りあうイベントに変質させられないものだろうかと夢想してしまったりして。たびたび地震と津波に襲われる日本と言う国土の特性を考えた場合、チョコレートその他をプレゼントするより、防災グッズをプレゼントし合ったほうが、はるかに実利的・合理的・理に適っていて、なおかつ、立派な心遣いになるのではあるまいか。「何か大変なことが起きた時には、貴方の身を案じます」「いざという時は、これを役立ててください」…そういう思いを込めた防災グッズのプレゼントは、真に心がこもったメッセージになり得ないか。
「バレンタインデー? あんなの企業のヤラセだろ。馬鹿馬鹿しい。くだらない」と毒づく男性が日本には多々居ると想像するが、「防災グッズ? そんなの無駄だろ。くだらない」と毒づいたらどう考えてもアホの子。あれだけの被害映像を見ておきながら何ら危機感を持たないなら真性の馬鹿だろう。つまり、バレンタインデー等に比べれば、防災グッズデーはイベントの存在を否定しづらい。「…うん…まあ…たまにはそういうアレコレを揃えておくのも…必要だよね…」としぶしぶ肯定せざるをえない。イベントの存在自体を否定されにくいという点では強みがあるように思える。
などと書いてみたものの。「防災グッズデー」なんて呼称のままでは、オシャレ感ゼロなので、普及しないわな。ナイスなネーミングが必要になるような気がする。コピーライターさんなら何かひらめくのかもしれないが、自分にはそういう才はないので、このまま馬鹿話の一つとして終わってしまう予感。
チョコレート会社が、防災時にも使える、長期保存のできるチョコレートを売り出す、という戦略もありかもしれない。今回の震災とバレンタインデー・ホワイトデーを結び付けることができたら、イベントをより強固に固定できそうな気もするし。バレンタインデーのチョコがあったことで命を繋ぐ可能性がわずかでも高まるなら、そのイベント・宣伝戦略は否定されるものでもないだろう。
この記事へのツッコミ
[ ツッコミを読む(1) | ツッコむ ]
#2 [neta] 1000年維持できる記録媒体ってあるのかな
「何年何月に、これだけの地震と津波があったぞ」「ここまで津波が来たぞ」「約1000年間隔で来ることが分かってるぞ」と、1000年後まで伝えるためにはどうしたらいいのだろう。
石碑が妥当なのかな? いや、石碑では、そこまで持たない気もする。親父さんの実家の墓石は、まだ数百年経ってないはずだけど、表面に掘られた文字や家紋は、もはや読み取ることが難しい。では、他に何があるのだろう…。ちょっと思いつかない。
須賀川市には、 _松明あかし という祭りがある。戦死者の霊を弔うため、という名目で行われている祭りだけど。途中で誰かが何かを捏造していなければ、400年ほど続いている祭り、ということになる。1000年には全然足りていないが、それでもかなり長く続いていると言える。
今回の震災も、ある段階まで来たら、「祭り」にしたほうがいいのかもしれない。そうなれば、最低限、これだけの地震と津波が来たんだぞ、また来るんだぞ、という歴史的事実と予測だけは後世にも伝わる可能性が高い。もちろん現時点では、「あの酷い震災を『お祭り』にするだと? 不謹慎にもほどがある! ふざけるな!」とボロクソに叩かれるのは間違いないけれど。しかし、いつかは記憶も風化し、体験した人も亡くなり、危機感も薄れ、また元の木阿弥になって、そして地震と津波に襲われて、また同じ悲劇が繰り返される。そうなる前に、「祭り」にするのも、アリなのかもしれない。…不幸な出来事を祭りにしてはいけない、という道理は存在しない。それを言ったら、松明あかしは、来年から止めなくてはいけないことになる。…でもまあ、「祭り」にはならないのだろう。誰だって、叩かれるのは嫌だし。
せめて、「また来るぞ!」だけでも伝えていかなければ。でも、何に記録すればいいのだろう。
文書で残してもダメだろう。今回、文献は残ってたのに、全く活かされなかった。一部の専門家しか知らなかった。もちろん、残しておかなければ、間隔・周期すら見出せないので、記録はしっかり残しておくべき。しかし、それが全ての人に把握してもらえるとは思えない。
DVDやブルーレイに映像を残しても、1000年後まで残らないだろう。自分達は、押し入れの中から発掘したFDやMOを、今のPCで読み込むことができない。そもそもドライブが無い。ドライブがあっても、中に入っているファイルのフォーマットが分からない。たった十数年〜数十年でこうなるのだから、DVDやブルーレイも同じ展開になるのは間違いない。そのうち、再生することすらできなくなる。しかもコピー防止まで盛り込まれている規格だ。どこかの時点で最新のメディアとフォーマットに変換することを忘れてしまったら、そこでお終いだ。そもそも、勝手にコピー防止機能が働いて、技術的に変換できないかもしれない。
石碑だって怪しい。前述の通り、風雨に晒されて文字は少しずつ消えていくし。更に、自分達は、身の回りの石碑に何が記されているか、ほとんど知らない。いざその時が来てから、実は当の昔に警告されていたのだと気付くのが関の山。石碑は、存在自体忘れ去られることも多い。
どんな手段で伝えていけばいいのだろうか。何か考え出さないといけないが、自分如きの頭では思いつかない。
石碑が妥当なのかな? いや、石碑では、そこまで持たない気もする。親父さんの実家の墓石は、まだ数百年経ってないはずだけど、表面に掘られた文字や家紋は、もはや読み取ることが難しい。では、他に何があるのだろう…。ちょっと思いつかない。
須賀川市には、 _松明あかし という祭りがある。戦死者の霊を弔うため、という名目で行われている祭りだけど。途中で誰かが何かを捏造していなければ、400年ほど続いている祭り、ということになる。1000年には全然足りていないが、それでもかなり長く続いていると言える。
今回の震災も、ある段階まで来たら、「祭り」にしたほうがいいのかもしれない。そうなれば、最低限、これだけの地震と津波が来たんだぞ、また来るんだぞ、という歴史的事実と予測だけは後世にも伝わる可能性が高い。もちろん現時点では、「あの酷い震災を『お祭り』にするだと? 不謹慎にもほどがある! ふざけるな!」とボロクソに叩かれるのは間違いないけれど。しかし、いつかは記憶も風化し、体験した人も亡くなり、危機感も薄れ、また元の木阿弥になって、そして地震と津波に襲われて、また同じ悲劇が繰り返される。そうなる前に、「祭り」にするのも、アリなのかもしれない。…不幸な出来事を祭りにしてはいけない、という道理は存在しない。それを言ったら、松明あかしは、来年から止めなくてはいけないことになる。…でもまあ、「祭り」にはならないのだろう。誰だって、叩かれるのは嫌だし。
せめて、「また来るぞ!」だけでも伝えていかなければ。でも、何に記録すればいいのだろう。
文書で残してもダメだろう。今回、文献は残ってたのに、全く活かされなかった。一部の専門家しか知らなかった。もちろん、残しておかなければ、間隔・周期すら見出せないので、記録はしっかり残しておくべき。しかし、それが全ての人に把握してもらえるとは思えない。
DVDやブルーレイに映像を残しても、1000年後まで残らないだろう。自分達は、押し入れの中から発掘したFDやMOを、今のPCで読み込むことができない。そもそもドライブが無い。ドライブがあっても、中に入っているファイルのフォーマットが分からない。たった十数年〜数十年でこうなるのだから、DVDやブルーレイも同じ展開になるのは間違いない。そのうち、再生することすらできなくなる。しかもコピー防止まで盛り込まれている規格だ。どこかの時点で最新のメディアとフォーマットに変換することを忘れてしまったら、そこでお終いだ。そもそも、勝手にコピー防止機能が働いて、技術的に変換できないかもしれない。
石碑だって怪しい。前述の通り、風雨に晒されて文字は少しずつ消えていくし。更に、自分達は、身の回りの石碑に何が記されているか、ほとんど知らない。いざその時が来てから、実は当の昔に警告されていたのだと気付くのが関の山。石碑は、存在自体忘れ去られることも多い。
どんな手段で伝えていけばいいのだろうか。何か考え出さないといけないが、自分如きの頭では思いつかない。
この記事へのツッコミ
- Re: 1000年維持できる記録媒体ってあるのかな by がんした 2012/04/12 23:33
- 普通に「紙」と「墨」でイイような。
日本は湿気とか厳しいから保存が難しいかもしれないが、
石碑だって乾燥してれば軽く千年持つよ。
エジプトのピラミッドとかそうだもの。
[ ツッコミを読む(1) | ツッコむ ]
#3 [anime][neta] 「○○屋ケンちゃん」ってリメイクできないのかしら
昔、「○○屋ケンちゃん」という実写ドラマがあったようなおぼろげな記憶が。子供が主人公なのだけど、家が○○屋さんという設定で。1年単位、番組が変わるごとに、別の店・別の業種になっていく、てなシリーズだったような。…たしか、そんな感じ。たぶん。記憶が怪しいけれど。
アレをリメイクできないものだろうか。当時は子供向けのドラマだったと思うけど、今なら大人向けとして。業種は…漫画家とか。アニメーターとか。ミュージシャンとか。それ、店なのか?
「○○屋」という基本設定があることで、それぞれの業種・業界のアレコレを、その業界を知らない人にも紹介する作りが実現できそう。そしてそれは、娯楽コンテンツとしては強みになるような気がする。
娯楽コンテンツというものは、基本的に、「読者・視聴者が知らない世界を紹介する」ことで商品価値が生まれる、と自分は捉えていて。例えば、ちょっと前に大ヒットした「ゲゲゲの女房」は、一般視聴者がまず知らないであろう、紙芝居・貸本・漫画業界を丁寧に紹介していたし。もやしもん、のだめカンタービレ、美味しんぼ、動物のお医者さん等々、読者が知らない業種・業界・うんちくを披露することでヒットした作品も多々存在する。…もっとも、より大きく捉えれば、異世界ファンタジーモノ、SFモノ、スポーツモノも、「読者の知らない世界」を見せることで商品になり得ているわけだけど。また、「世界」は、「設定」にも「展開」にも置き換えて考えることができるのだけど。
故に、「○○屋ケンちゃん」という縛りは、現代においても効果的に働くのではないかと予想するわけで。…もちろん、スタッフが、その業種・業界について、丹念に調べて映像化することが前提ですが。…ああ、そう考えると、実現は難しいかも。おそらく、リサーチが大変。NHK総合で放送されるような6話構成のドラマを作ったあたりでネタ切れしそうです。
いや、単に、「特撮屋ケンちゃん」って作れないかなーと思いついて書いてみただけなのです。スイマセン。
アレをリメイクできないものだろうか。当時は子供向けのドラマだったと思うけど、今なら大人向けとして。業種は…漫画家とか。アニメーターとか。ミュージシャンとか。それ、店なのか?
「○○屋」という基本設定があることで、それぞれの業種・業界のアレコレを、その業界を知らない人にも紹介する作りが実現できそう。そしてそれは、娯楽コンテンツとしては強みになるような気がする。
娯楽コンテンツというものは、基本的に、「読者・視聴者が知らない世界を紹介する」ことで商品価値が生まれる、と自分は捉えていて。例えば、ちょっと前に大ヒットした「ゲゲゲの女房」は、一般視聴者がまず知らないであろう、紙芝居・貸本・漫画業界を丁寧に紹介していたし。もやしもん、のだめカンタービレ、美味しんぼ、動物のお医者さん等々、読者が知らない業種・業界・うんちくを披露することでヒットした作品も多々存在する。…もっとも、より大きく捉えれば、異世界ファンタジーモノ、SFモノ、スポーツモノも、「読者の知らない世界」を見せることで商品になり得ているわけだけど。また、「世界」は、「設定」にも「展開」にも置き換えて考えることができるのだけど。
故に、「○○屋ケンちゃん」という縛りは、現代においても効果的に働くのではないかと予想するわけで。…もちろん、スタッフが、その業種・業界について、丹念に調べて映像化することが前提ですが。…ああ、そう考えると、実現は難しいかも。おそらく、リサーチが大変。NHK総合で放送されるような6話構成のドラマを作ったあたりでネタ切れしそうです。
いや、単に、「特撮屋ケンちゃん」って作れないかなーと思いついて書いてみただけなのです。スイマセン。
◎ _ケンちゃんシリーズ - Wikipedia :
当時のソレは、別にその業種について紹介するような作りではなかったようだなあ…。自分、何故か、1時間ドラマと思い込んでたけど、30分番組だったのだな。考えてみれば、子供が1時間も集中していられるわけがないか。
それにしても、「チャコちゃん」シリーズもカウントすると、1962〜1982年まで続いていたなんて。それなりの長寿シリーズなのでは…。今からリメイクしてそんなに続いたら、美味しいな。でも、子供の数が少ないと言われてる現在では、そのままの形でリメイクするのは難しい予感。
それにしても、「チャコちゃん」シリーズもカウントすると、1962〜1982年まで続いていたなんて。それなりの長寿シリーズなのでは…。今からリメイクしてそんなに続いたら、美味しいな。でも、子供の数が少ないと言われてる現在では、そのままの形でリメイクするのは難しい予感。
この記事へのツッコミ
- Re: 「○○屋ケンちゃん」ってリメイクできないのかしら by 名無しさん 2012/03/08 00:41
- てっきり洗濯屋ケンちゃんの考察かと思い飛んできたところ……
すみませんでした。
[ ツッコミを読む(1) | ツッコむ ]
#4 [anime][neta] 石ノ森章太郎を主人公にしたドラマについて妄想
「ゲゲゲの女房」というタイトルを打ち込んでいる時に、ふと気が付いた。水木しげる先生のアレコレは結構ドラマ化されているけど、石ノ森章太郎先生のドラマって見た記憶がないなと。なんでだろ。
戦地で片腕を失い、極貧生活も味わってきた水木先生と比べると、トキワ荘メンバーは順風満帆過ぎていてドラマ化しづらいのかしら。いや、NHKで、藤子A先生原作の「まんが道」のドラマを目にした記憶もあるので、脚色によってはなんとでもなりそうな気もする。「あの作品も石ノ森作品だったのか!」的な楽しみ方ができそうな気もするのだけど。
いや、石ノ森先生より、初代の仮面ライダー製作スタッフのアレコレをドラマ化したほうが面白いのかもしれないか。ウルトラセブンの制作現場を脚色したドラマを、NHKで見た記憶もあるし。ウルトラマンシリーズができるなら、仮面ライダーもできるだろう。
で。以下のようなことを馬鹿妄想。
なんだか既にありそうな気もするのだけど。自分が見たことないだけで。
戦地で片腕を失い、極貧生活も味わってきた水木先生と比べると、トキワ荘メンバーは順風満帆過ぎていてドラマ化しづらいのかしら。いや、NHKで、藤子A先生原作の「まんが道」のドラマを目にした記憶もあるので、脚色によってはなんとでもなりそうな気もする。「あの作品も石ノ森作品だったのか!」的な楽しみ方ができそうな気もするのだけど。
いや、石ノ森先生より、初代の仮面ライダー製作スタッフのアレコレをドラマ化したほうが面白いのかもしれないか。ウルトラセブンの制作現場を脚色したドラマを、NHKで見た記憶もあるし。ウルトラマンシリーズができるなら、仮面ライダーもできるだろう。
で。以下のようなことを馬鹿妄想。
- 仮面ライダーのデザインを決定するあたりは、「そんな流れでデザインが決まったのか」と視聴者が「へえボタン」を連打しそう。
- 変身前の役者さんが変身後の姿も演じるあたりは、役者の熱い思いを語る名シーンになる。…もちろん、当時はそれがアリだったとしても、そこは意図的に伏せておく・歴史を改竄する必要があるのだろうけど。
- 1号ライダーを演じる藤岡氏が事故を起こすあたりは、連続ドラマであれば「ヒキ」として使えるはず。…宙を舞う藤岡氏。監督が「藤岡ああッ!」と凄い形相で叫んだところで「続く」。
- 2号ライダーを演じる佐々木氏がバイクの免許を持っておらず、バイクに乗れないあたりは笑いを誘うシーンに。「待ってください、監督。…僕、バイクの免許を持ってません!」。静まりかえる現場。「な…なんだってー!」
- バイクに乗れない2号ライダーをどうやって変身させるのか。ここは、脚色する人の腕の見せ所。何のポーズを目にして、「これだ…これだよ!」と閃かせれば、劇的になるだろうか。
なんだか既にありそうな気もするのだけど。自分が見たことないだけで。
◎ 石ノ森章太郎自身が実はヒーローだったという設定はどうだろう。 :
彼の名は石ノ森章太郎。職業、漫画家。しかし彼には秘密があった。夜な夜な、人知れず悪と戦う、正義のヒーローだったのです!
どういう設定なんだか自分もよくわかりません。…ていうかコレ、どこかで誰かが書いてたネタのような気もしてきた。
悪のラスボスのほうが面白いのだろうか。でもそれだと、マイトガインになりそう。「この世界の創造主である私に逆らうというのか…!?」的な。
どういう設定なんだか自分もよくわかりません。…ていうかコレ、どこかで誰かが書いてたネタのような気もしてきた。
悪のラスボスのほうが面白いのだろうか。でもそれだと、マイトガインになりそう。「この世界の創造主である私に逆らうというのか…!?」的な。
この記事へのツッコミ
- Re: 石ノ森章太郎を主人公にしたドラマについて妄想 by がんした 2012/04/12 23:03
- 石ノ森先生は順風満帆に出世したからドラマにしても盛り上がりが欠けるから。
「手塚治虫」や「赤塚不二夫」みたいに、売れたり落ちたりプロダクション作っては潰したり、とか
人生に山と谷があった方が、ドラマとしちゃ面白い。
今ドラマ作るなら「松本零士」の自伝的作品である「男おいどん」とか面白いかも。
[ ツッコミを読む(1) | ツッコむ ]
以上、1 日分です。
市町村単位で半年に一回ぐらい、とつぜん訓練警報発動させて、学生も会社員も専業主婦も老人も
広域避難場所に避難。避難先では自衛隊の非常食が振舞われ、ゲスト芸能人とかが
ためになる話をしてくれるとか。
訓練は頻繁に行わないと効果薄いと思うの。