2012/03/07(水) [n年前の日記]
#2 [neta] 1000年維持できる記録媒体ってあるのかな
「何年何月に、これだけの地震と津波があったぞ」「ここまで津波が来たぞ」「約1000年間隔で来ることが分かってるぞ」と、1000年後まで伝えるためにはどうしたらいいのだろう。
石碑が妥当なのかな? いや、石碑では、そこまで持たない気もする。親父さんの実家の墓石は、まだ数百年経ってないはずだけど、表面に掘られた文字や家紋は、もはや読み取ることが難しい。では、他に何があるのだろう…。ちょっと思いつかない。
須賀川市には、 _松明あかし という祭りがある。戦死者の霊を弔うため、という名目で行われている祭りだけど。途中で誰かが何かを捏造していなければ、400年ほど続いている祭り、ということになる。1000年には全然足りていないが、それでもかなり長く続いていると言える。
今回の震災も、ある段階まで来たら、「祭り」にしたほうがいいのかもしれない。そうなれば、最低限、これだけの地震と津波が来たんだぞ、また来るんだぞ、という歴史的事実と予測だけは後世にも伝わる可能性が高い。もちろん現時点では、「あの酷い震災を『お祭り』にするだと? 不謹慎にもほどがある! ふざけるな!」とボロクソに叩かれるのは間違いないけれど。しかし、いつかは記憶も風化し、体験した人も亡くなり、危機感も薄れ、また元の木阿弥になって、そして地震と津波に襲われて、また同じ悲劇が繰り返される。そうなる前に、「祭り」にするのも、アリなのかもしれない。…不幸な出来事を祭りにしてはいけない、という道理は存在しない。それを言ったら、松明あかしは、来年から止めなくてはいけないことになる。…でもまあ、「祭り」にはならないのだろう。誰だって、叩かれるのは嫌だし。
せめて、「また来るぞ!」だけでも伝えていかなければ。でも、何に記録すればいいのだろう。
文書で残してもダメだろう。今回、文献は残ってたのに、全く活かされなかった。一部の専門家しか知らなかった。もちろん、残しておかなければ、間隔・周期すら見出せないので、記録はしっかり残しておくべき。しかし、それが全ての人に把握してもらえるとは思えない。
DVDやブルーレイに映像を残しても、1000年後まで残らないだろう。自分達は、押し入れの中から発掘したFDやMOを、今のPCで読み込むことができない。そもそもドライブが無い。ドライブがあっても、中に入っているファイルのフォーマットが分からない。たった十数年〜数十年でこうなるのだから、DVDやブルーレイも同じ展開になるのは間違いない。そのうち、再生することすらできなくなる。しかもコピー防止まで盛り込まれている規格だ。どこかの時点で最新のメディアとフォーマットに変換することを忘れてしまったら、そこでお終いだ。そもそも、勝手にコピー防止機能が働いて、技術的に変換できないかもしれない。
石碑だって怪しい。前述の通り、風雨に晒されて文字は少しずつ消えていくし。更に、自分達は、身の回りの石碑に何が記されているか、ほとんど知らない。いざその時が来てから、実は当の昔に警告されていたのだと気付くのが関の山。石碑は、存在自体忘れ去られることも多い。
どんな手段で伝えていけばいいのだろうか。何か考え出さないといけないが、自分如きの頭では思いつかない。
石碑が妥当なのかな? いや、石碑では、そこまで持たない気もする。親父さんの実家の墓石は、まだ数百年経ってないはずだけど、表面に掘られた文字や家紋は、もはや読み取ることが難しい。では、他に何があるのだろう…。ちょっと思いつかない。
須賀川市には、 _松明あかし という祭りがある。戦死者の霊を弔うため、という名目で行われている祭りだけど。途中で誰かが何かを捏造していなければ、400年ほど続いている祭り、ということになる。1000年には全然足りていないが、それでもかなり長く続いていると言える。
今回の震災も、ある段階まで来たら、「祭り」にしたほうがいいのかもしれない。そうなれば、最低限、これだけの地震と津波が来たんだぞ、また来るんだぞ、という歴史的事実と予測だけは後世にも伝わる可能性が高い。もちろん現時点では、「あの酷い震災を『お祭り』にするだと? 不謹慎にもほどがある! ふざけるな!」とボロクソに叩かれるのは間違いないけれど。しかし、いつかは記憶も風化し、体験した人も亡くなり、危機感も薄れ、また元の木阿弥になって、そして地震と津波に襲われて、また同じ悲劇が繰り返される。そうなる前に、「祭り」にするのも、アリなのかもしれない。…不幸な出来事を祭りにしてはいけない、という道理は存在しない。それを言ったら、松明あかしは、来年から止めなくてはいけないことになる。…でもまあ、「祭り」にはならないのだろう。誰だって、叩かれるのは嫌だし。
せめて、「また来るぞ!」だけでも伝えていかなければ。でも、何に記録すればいいのだろう。
文書で残してもダメだろう。今回、文献は残ってたのに、全く活かされなかった。一部の専門家しか知らなかった。もちろん、残しておかなければ、間隔・周期すら見出せないので、記録はしっかり残しておくべき。しかし、それが全ての人に把握してもらえるとは思えない。
DVDやブルーレイに映像を残しても、1000年後まで残らないだろう。自分達は、押し入れの中から発掘したFDやMOを、今のPCで読み込むことができない。そもそもドライブが無い。ドライブがあっても、中に入っているファイルのフォーマットが分からない。たった十数年〜数十年でこうなるのだから、DVDやブルーレイも同じ展開になるのは間違いない。そのうち、再生することすらできなくなる。しかもコピー防止まで盛り込まれている規格だ。どこかの時点で最新のメディアとフォーマットに変換することを忘れてしまったら、そこでお終いだ。そもそも、勝手にコピー防止機能が働いて、技術的に変換できないかもしれない。
石碑だって怪しい。前述の通り、風雨に晒されて文字は少しずつ消えていくし。更に、自分達は、身の回りの石碑に何が記されているか、ほとんど知らない。いざその時が来てから、実は当の昔に警告されていたのだと気付くのが関の山。石碑は、存在自体忘れ去られることも多い。
どんな手段で伝えていけばいいのだろうか。何か考え出さないといけないが、自分如きの頭では思いつかない。
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以上です。
日本は湿気とか厳しいから保存が難しいかもしれないが、
石碑だって乾燥してれば軽く千年持つよ。
エジプトのピラミッドとかそうだもの。