mieki256's diary



2012/03/05(月) [n年前の日記]

#1 [neta][anime][comic] 願望充足漫画、願望充足アニメ

思考メモ。

昔どこかで、ヒットする娯楽コンテンツは、えてして読者視聴者の願望を満足させる形になっている、という言説を目にした記憶があるのだけど。はて、どこで見たのだったか。

それ以前に、その言説は正しいのだろうか。…ググってみたら、それらしい話にいくつか遭遇。

_物語は世相を反映している・ラノベ文学史
_■vol.6: 「物語が書きたいッ!」ブログ  ストーリー&キャラクター創作講座♪
_赤松健「バクマンは原作者の願望充足漫画」:アルファルファモザイクだった
_サルでも描けるまんが教室 - Wikipedia

もしかすると、自分はサルまんあたりでそれを知ったのだろうか。それともマンガ夜話のような番組で…どうも記憶が怪しい。

何はともあれ、それを踏まえて、事例を思い浮かべてみたりして。
  1. デスノート … 一介の学生が、ある日特殊能力を手にして、世界を揺るがす存在にまで登り詰める。
  2. コードギアス … 上に同じ。
  3. ハイスクールDxD … 上に同じ。
  4. はじめの一歩 … 不良にボコられる程度の主人公が、ボクシングを通じて世界チャンピオンにのし上がる。
  5. バクマン … 一介の学生が、漫画家として大成功。
  6. めぞん一刻 … さえない浪人生が、美人の未亡人をゲット。
  7. 水戸黄門 … 庶民のことをわかっているお偉いさんが腐った役人を一喝して問題解決。
水戸黄門だけちょっと違うけど、大体は、主人公が何かに成功して、どんどん成り上がっていく様子を描いてる。読んだことはないけれど、課長島耕作、サラリーマン金太郎も、その系譜なのだろうか? わからんけど。 *1 何にせよ、そこには読者視聴者の願望を満足させる展開がある、のは間違いなさそうだなと。

成り上がるタイプは、受け手側がある種の「万能感」を持っていたらウケるのかなと想像したりもして。「自分には、自分すら気づいていない隠れた能力があるのだ」「チャンスさえ与えられれば、有名になったり、世間から賞賛される立場になれるのだ」みたいな? 例えば、はじめの一歩は、まさにそんな感じ。

で。願望、理想があるなら、現実もあるはずで。「隠れた能力? あるわけないだろ」「チャンスが与えられても、ことごとく失敗して、痛い目見て終わるに決まってる」みたいな。そういう作りでありながら、ヒットした作品も存在するはずで。…デビルマンとか? EVAとか? ちょっと違うか。いや、合ってるか。どうなんだろ。漫画やアニメをたくさん見てる人なら、「アレなんかそうじゃないか?」と思いつくのだろうけど。

なんでこんなことを急に思い出したかと言うと、とあるアニメが、最初から一貫して後者の作りだったことに今頃気付いてゾッとしてしまったからなのですが。たぶん、アレ、わざとやってる…。見ているこっちが試されてる気がする。感想が、全部ブーメランになって視聴者側に飛んでくる。あのアニメ、怖い。そこが面白い。
*1: 水戸黄門も、視聴者の願望を満足させるタイプ。下々の生活を理解してくれる頭のいいお偉いさんが、酷い上司・役人達を一喝してくれたらなあ、という願望を満たす展開。お上意識が強くて他力本願な日本人向けの作品だよなと常々思っているのですが。いや、韓国の時代劇(?)ドラマ ―― チャングムあたりでもそういう展開を見かけたので、日本に限った話じゃないのかもしれないけれど。

#2 [pc] モードについてメモ

_モードレスな UI としての Clear | OVERKAST
_アップル ヒューマンインタフェースガイドライン
_「モーダル」と「モードレス」 ? Website Usability Info
_Modeless and Modal | Just another Modeless Design site

ざっくり読んでみたけれど、わかったような、わからないような…。何にせよ、現代のUI設計において、モードの排除を検討することは、もはや常識になっている、のかな。たぶん。

vimをバラバラにしたら直観的に使えるのだろうか。 :

「vimのモードは便利」という意見を読んで、それはモードが便利なのではなく機能が便利という話で、モードがあるとわかりやすいとか、モードがあることで直観的に使えるとか、そういう話と繋がっておらず、UIにおけるモードと機能としてのモードが混同される現状がありそうだと思ったわけだけど、そのようなことを考えているうちに、先日ちらりと思った、モードと道具の違いをまたぼんやり考え始めたわけで。仮にモードと道具が別の概念であり、モードを道具に変換することで異なる印象を利用者に与えられるのだとしたら、vimをモード毎にバラバラにして、多数の道具の集合体としてvimを再設計したら印象がガラリと変わるのだろうかと妄想を。操作している時のイメージとしては、閲覧時はlessモドキを使って、文字列挿入時は別プログラムをその都度起動する感じ、ではどうかと。

妄想してみたものの、便利になる気が全くしない。それどころか、不便になりそうな気がする。どうしてこうなった…。

モードと道具は違うという前提が間違っているのだろうか。それとも、コンピュータ上におけるプログラムと言う分類が、現実世界に存在する道具に相当しているわけではない、ということだろうか。あるいはvimでモードと呼ばれているものが実はモードではないということだろうか。

いや、違う。今、自分も混同していた。便利さと、わかりやすさは、違う。vimをバラバラにすれば、わかりやすくなる。しかし、それは便利ではない。わかりやすいのに、便利ではない。これはおかしい。両立するのが優れたUIのはず。どうやらどこかで考え方を間違えている気がする。

vimの挿入モード、iだのaだのを押して切り替えた状態を、別の見せ方にするだけでも印象が変わったりはしないだろうか。例えば挿入箇所に吹き出しが表示され、吹き出しの中で文字を打ち込み、確定キーを押せば文字列が挿入される、とか。

どう考えても、それもまたモードか。ダイアログが表示され、そこで作業し終わるまで他の操作が一切できない、悪しきUIと変わらない。そこには「不自由」がある。アプリという奴隷が、ユーザという主人を、奴隷側のルールに従わせている。やっぱりモードだ。しかし、vimが何を主と捉えているエディタなのか、そこは明確になりそうな気がする。一般的なエディタは、キーを打てば文字が打てる。vimは違う。キーを押しても文字が打てない。文字を打つこともできるけど、それはオマケ。「俺は文字を打つために作られたエディタじゃない! テキストを“編集”するためのエディタなんだ!」と、利用者に対してメッセージを発信することぐらいはできるのかもしれない。

どうしてvimだのemacsだののアレコレを考えてるかというと、それらを通じて、やってはいけないUI設計、ダメなインターフェイスの特徴が見えてくるのではないかと予想しているから、なのですが。でも、今のところ、まだ全然見えてないです。

#3 [pc] カーソルキーの十字配置と逆T字配置

「esdx( _ダイヤモンドカーソル ) という配置もあるでよ」と教えてもらって勉強になったのだけど。その配置で指を置いてみたら、なんだか違和感が。…なぜだろう?

esdxは十字配置。 _MZ-700 を使ってた自分にとっては、懐かしい。おそらく、 _MSX を使ってた方々も同様のはず。8bitPC時代は、この配置を結構見かけた。見た目が十字なので、キーの役割がわかりやすい。配置だけでキーの役目を明確に伝えていると言う点では、結構珍しい事例のようにも思える。

現在のカーソルキーは、逆T字配置。上キーが一段上にあることで、どれが上下キーなのか伝わるけれど、仮に上キーが無くなったら、各キーの役割が途端に伝わりにくくなる。ギリギリのバランスで成功している配置かもしれない。

見た目でわかりやすいのは、どう考えても十字配置。ところが指を置いてみると、「うーん?」と思えてくる。むしろ逆T字型のほうがしっくりくる。さて、なぜだろう? …まあ、実際やってみれば、10人中10人が「ああ、ハイハイ、そういうことね」と原因を見出せるだろうから答えは書かないけれど。

どうして昔のPCは、十字配置が見受けられたのだろうか? 勝手な想像だけど、PCに触れる人が初心者か否かを意識して配置を決めていたのかしら。思い返してみれば、初心者向けの機種は十字配置で、高額機種はそうではなかった印象もある。…と思ったが、 _昔のPCのキーボード を眺めると…ううーん。一貫性というか、傾向が見えてこない。一体全体何を考えて、カーソルキーをこんな配置にしていたんだろう? 製造技術の問題?

同じことは、ゲームのコントローラについても言えるのかもしれない。

ファミコンの十字ボタンは、わかりやすい。見ただけで、そのボタンの役割が瞬時に分かる。今もほとんどのゲームコントローラは、ソレに倣っている。しかし…。

もしかすると十字ボタンは、PCのキーボードで言うところの、esdx配置だったりしないか。本当は、逆T字配置に相当するボタンのデザインが、あり得たのではないか。例えば、十字ボタンは、えてして親指で操作するけれど。親指は、横方向にはよく動くが、前後には動かしづらい。しかし、今の十字ボタンの形は…。

まあ、慣れの前では、全ての合理性は否定されるので。今頃になって本来あるべき十字ボタンの姿を考えてみても、意味はないのかもしれないけれど。

キーボードの逆T字配置も、これが本当に正解なんだろうか。エルゴノミクスキーボードあたりでは、カーソルキーはどういう配置になってるんだろう。気になって画像検索してみたが、目から鱗が落ちるような配置には遭遇せず。現時点では、逆T字配置が正解なのかなあ…?

#4 [nitijyou] AmazonからCDが届いた

Appuntamento Con O Vanoni というCD。お袋さんが、「小さな村の物語 イタリア」という番組が好きで、そのOP曲が欲しいと言っていたので、購入しようと。該当曲について検索。

_BS日テレで放送中の「小さな村の物語」イタリア編の主題歌(曲名・歌手・発売レコ... - Yahoo!知恵袋
曲名:L'APPUNTAMENTO (邦題:逢いびき)
歌手:オルネラ・ヴァノーニ/ORNELLA VANONI

BS日テレで放送中の「小さな村の物語」イタリア編の主題歌(曲名・歌手・発売レコ... - Yahoo!知恵袋 より

この情報を頼りに更に検索したら、どうやら色んな版があるようで。廃盤CDがあったりするものの、冒頭タイトルのCDにも入っていると知ったので、数日前にポチッとな。で、今日届いたという。

考えてみたら、CCCDが導入されて以来、自分でCDを買うのは、これが初めてだな…。

業界がCCCDを導入した当時、「わざわざ金を払ってCDを買ってくれている、正規の客を泥棒扱いするなんて! しかも再生機器を壊したり、PCにrootkitを仕込むなんて!」と怒り心頭に発し、「金輪際、レコード会社にはビタ一文払わん! もちろん新曲も聴かない! 当然CDも買わない! 今まで買ってきて溜め込んだCDしか聴かないぞ!」と心に誓ったのだけど。…ああ、うっかりしてた。誓いを破ってしまった。

いや待て。別に自分が聴くわけじゃないし。聴くのはお袋さんだし。だったら、まだセーフじゃないか。よし、今後もレコード会社には金を落とさない方針を貫くぞ! って今回のソレでCD一枚分落としたのは事実じゃん。…本当にうっかりしてた。

まあ、いいか。お袋さんは喜んでくれたようだし。

そういや、ここ数年、音楽なんて滅多に聴いてないな…。携帯にデータを入れてあるけど、それすら再生しなくなった。聴かなくても、意外とどうにかなるものなんだな…。

以上、1 日分です。

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