2012/03/05(月) [n年前の日記]
#2 [pc] モードについてメモ
_モードレスな UI としての Clear | OVERKAST
_アップル ヒューマンインタフェースガイドライン
_「モーダル」と「モードレス」 ? Website Usability Info
_Modeless and Modal | Just another Modeless Design site
ざっくり読んでみたけれど、わかったような、わからないような…。何にせよ、現代のUI設計において、モードの排除を検討することは、もはや常識になっている、のかな。たぶん。
_アップル ヒューマンインタフェースガイドライン
_「モーダル」と「モードレス」 ? Website Usability Info
_Modeless and Modal | Just another Modeless Design site
ざっくり読んでみたけれど、わかったような、わからないような…。何にせよ、現代のUI設計において、モードの排除を検討することは、もはや常識になっている、のかな。たぶん。
◎ vimをバラバラにしたら直観的に使えるのだろうか。 :
「vimのモードは便利」という意見を読んで、それはモードが便利なのではなく機能が便利という話で、モードがあるとわかりやすいとか、モードがあることで直観的に使えるとか、そういう話と繋がっておらず、UIにおけるモードと機能としてのモードが混同される現状がありそうだと思ったわけだけど、そのようなことを考えているうちに、先日ちらりと思った、モードと道具の違いをまたぼんやり考え始めたわけで。仮にモードと道具が別の概念であり、モードを道具に変換することで異なる印象を利用者に与えられるのだとしたら、vimをモード毎にバラバラにして、多数の道具の集合体としてvimを再設計したら印象がガラリと変わるのだろうかと妄想を。操作している時のイメージとしては、閲覧時はlessモドキを使って、文字列挿入時は別プログラムをその都度起動する感じ、ではどうかと。
妄想してみたものの、便利になる気が全くしない。それどころか、不便になりそうな気がする。どうしてこうなった…。
モードと道具は違うという前提が間違っているのだろうか。それとも、コンピュータ上におけるプログラムと言う分類が、現実世界に存在する道具に相当しているわけではない、ということだろうか。あるいはvimでモードと呼ばれているものが実はモードではないということだろうか。
いや、違う。今、自分も混同していた。便利さと、わかりやすさは、違う。vimをバラバラにすれば、わかりやすくなる。しかし、それは便利ではない。わかりやすいのに、便利ではない。これはおかしい。両立するのが優れたUIのはず。どうやらどこかで考え方を間違えている気がする。
vimの挿入モード、iだのaだのを押して切り替えた状態を、別の見せ方にするだけでも印象が変わったりはしないだろうか。例えば挿入箇所に吹き出しが表示され、吹き出しの中で文字を打ち込み、確定キーを押せば文字列が挿入される、とか。
どう考えても、それもまたモードか。ダイアログが表示され、そこで作業し終わるまで他の操作が一切できない、悪しきUIと変わらない。そこには「不自由」がある。アプリという奴隷が、ユーザという主人を、奴隷側のルールに従わせている。やっぱりモードだ。しかし、vimが何を主と捉えているエディタなのか、そこは明確になりそうな気がする。一般的なエディタは、キーを打てば文字が打てる。vimは違う。キーを押しても文字が打てない。文字を打つこともできるけど、それはオマケ。「俺は文字を打つために作られたエディタじゃない! テキストを“編集”するためのエディタなんだ!」と、利用者に対してメッセージを発信することぐらいはできるのかもしれない。
どうしてvimだのemacsだののアレコレを考えてるかというと、それらを通じて、やってはいけないUI設計、ダメなインターフェイスの特徴が見えてくるのではないかと予想しているから、なのですが。でも、今のところ、まだ全然見えてないです。
妄想してみたものの、便利になる気が全くしない。それどころか、不便になりそうな気がする。どうしてこうなった…。
モードと道具は違うという前提が間違っているのだろうか。それとも、コンピュータ上におけるプログラムと言う分類が、現実世界に存在する道具に相当しているわけではない、ということだろうか。あるいはvimでモードと呼ばれているものが実はモードではないということだろうか。
いや、違う。今、自分も混同していた。便利さと、わかりやすさは、違う。vimをバラバラにすれば、わかりやすくなる。しかし、それは便利ではない。わかりやすいのに、便利ではない。これはおかしい。両立するのが優れたUIのはず。どうやらどこかで考え方を間違えている気がする。
vimの挿入モード、iだのaだのを押して切り替えた状態を、別の見せ方にするだけでも印象が変わったりはしないだろうか。例えば挿入箇所に吹き出しが表示され、吹き出しの中で文字を打ち込み、確定キーを押せば文字列が挿入される、とか。
どう考えても、それもまたモードか。ダイアログが表示され、そこで作業し終わるまで他の操作が一切できない、悪しきUIと変わらない。そこには「不自由」がある。アプリという奴隷が、ユーザという主人を、奴隷側のルールに従わせている。やっぱりモードだ。しかし、vimが何を主と捉えているエディタなのか、そこは明確になりそうな気がする。一般的なエディタは、キーを打てば文字が打てる。vimは違う。キーを押しても文字が打てない。文字を打つこともできるけど、それはオマケ。「俺は文字を打つために作られたエディタじゃない! テキストを“編集”するためのエディタなんだ!」と、利用者に対してメッセージを発信することぐらいはできるのかもしれない。
どうしてvimだのemacsだののアレコレを考えてるかというと、それらを通じて、やってはいけないUI設計、ダメなインターフェイスの特徴が見えてくるのではないかと予想しているから、なのですが。でも、今のところ、まだ全然見えてないです。
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以上です。