mieki256's diary



2007/05/20() [n年前の日記]

#6 [game] _「ゲームはアニメにくらべ、心ふるえるほどの感動が若干難しい」って言い切れるか?

言い切れる。と思うなぁ…。ゲームをプレイして感動するとしたら、それはシナリオやグラフィックや音楽など、他メディアからの借り物部分がユーザの心に働きかけてるのであって、ゲームのみが持ち得る部分で感動してるわけではないだろうと。また、仮に感動できる人が居るとしても、ゲームのソレは、アニメや漫画ほどに、万人を容易に感動せしめる種類のものでもないだろう。故に、「“若干”難しい」という言は、真のように思えてならない。

もっとも、各人、ゲームの定義が違うから、異を唱える人が居て当然とも思うのだけど。

_ゲームは時間を奪う :

_知はうごく:コンテンツ力(7-3)日本の戦略
−−当時は伝達ツールとして映画がよかったが、いまはなにがいいのか

「戦略的に全部やるのは大変だ。毛沢東がいうように一転突破全面展開が望ましい。ただ、実写映画は厳しい。ハリウッドとか中国の金のかけ方とか人のかけ方はすさまじい。それで、アニメとか漫画とかということになった。ゲームについては、ぼくは異論がある。アニメや漫画は感動をもたらすけれど、ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。宮崎さんとか他のアニメ見て、人生変わったという人はいると思います。心ふるえるほどの感動とか、ゲームは若干難しい。ビジネスとしてはいいかもしれないが、恨みをもたれる。かつてのエコノミックアニマルのコンテンツ番みたいにね。敬意も払ってくれない」

知はうごく:コンテンツ力(7−3)日本の戦略|エンタメ|カルチャー|Sankei WEB より

売った後で客から難癖つけられそうな商品より、そうじゃない商品を売ったほうがよくね? という話なんだろうか。

ふと思ったが、制作スピードと販売価格、再生(動作)環境も考慮に入れたほうがいいのかもしれない。漫画なら、再生機器は要らない。アニメなら、映画館、TV放送、ビデオ、DVDなどで提供できる。それに対して、ゲームの場合はどうか。少なくとも、ハードウェアの普及台数以上は販売できないだろうし。いや、既に市場が確立してるかどうかについては、ゲームのほうに利がありそうな感も。

_宮崎アニメに心ふるえるほどの感動ってあったっけ。 :

宮崎アニメに心ふるえるほどの感動ってあったっけ。
よく出来ていたとは思うけど感動はなぁ……。

kyoumoe dovrebbero funzionare per vedere CLANNAD. より

言われてみれば、たしかに…。もしかすると、インタビューを受けて喋ってる方は、宮崎アニメを見たことがないのかもしれない。仮に見たことがないとして、「見て、人生変わったという人はいる」と言えてしまうというのは、なんだか凄い状況のような。宮崎アニメって、何なんだ。もはや宮崎駿は、現体制側(?)に組み込まれ、内容を問われることのない「権威」になってしまったのか。てなことを妄想してたのですが。 _そもそもこっち側の方 でバリバリ見まくり知りまくりの方なのですな。自分の無知ぶり・偏見ぶりが恥ずかしい。権威に支配されてるのは自分のほうだった。つくづく情けない。 *1 …むしろ、未だ、社会的・世界的に地位の低いアニメを、少しでも持ち上げるための武器として、宮崎アニメを引き合いに出した・ゲームを下位に置いてみた、ということなのかもしれないなぁ。「アニメを使って世界に切り込めます」とぶち上げることで、アニメに対する世間の評価を上げようとしてるのかもしれず。

なんだか考え込んでしまった。「ここに10万人の宮崎勤が居ます!」と言われた、そんな時代もあったわけで。ソレが今では、世界に切り込んでいくための武器になるかもしれないという。複雑な気分。

*1: 大学教授と聞いただけで、「きっと、その手の文化を敵視・軽視する属性に違いない」と思い込む・強い偏見を持っている自分に気づいてしまった。猛省せねば…。

以上です。

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