2007/05/13(日) [n年前の日記]
#6 [zatta] 「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは
_これは「健全な肉体に健全な精神が宿りますように。」との「祈り」の言葉
_ユウェナリス - Wikipedia
_「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは言わなかったユウェナリス
少なくとも、「健全な精神は健全な肉体に宿る」と今でも言っちゃう体育会系の人が居たら、その人は2段階ほど無学な人、ってことになってしまうのかしら。
この言葉は古代ギリシャ詩人ユベナリスが言ったとされて「健全な肉体に健全な精神が宿る」とされて来た歴史もありましたが、事実は、これは「健全な肉体に健全な精神が宿りますように。」との「祈り」の言葉で、逆に言えば「健全な肉体には健全な精神が宿り難いもの」と意、だと言われています。
_ユウェナリス - Wikipedia
誤用が定着しているが、出典元の詩は、多くの人が経済的な豊かさ、権力、雄弁さ、長寿、美貌等を願うことを皮肉り、戒め、真に願うべきは「心身の健康」であるという内容であり、強いて上記の部分を翻訳すれば「心身共に健康であることを祈るべきである」、「優れた精神は、健全な体を持つ人には宿っていないものだ」が正しい。
_「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは言わなかったユウェナリス
この言葉の出てくるのはユウェナリスの十番目の詩 で、その内容をごく大ざっぱにまとめると次のようになる。
人々は間違ったことばかりを神様にお願いしている。例えば金持ちになること、 例えば長生き、例えば美貌。しかし、これらはなかなか手に入りにくいだけでな く、手に入ったところで決して持ち主を幸福にはしない。金持ちになっても泥棒の 心配が増えるだけ。長生きしても、もうろくした人生にいいことはない。美人にな っても不倫に陥って苦しむだけだ。「心身ともに健康であること」。願うならこの 程度にしておきなさい。これなら誰でも自分の力で達成できるし、それが手に入っ たことによって不幸になることもない。しかし、けっしてそれ以上の大きな願いを 抱いてはいけない。
ユウェナリスが言いたかったことは、要するに「青年よ大志を抱くな」であるら しいのだ。玉木氏には申し訳ないが、この詩がスポーツマンに勉強しろと言ってい るのでないことだけは確かである。そして、例の文の本当の意味は「心身ともに健康であること」という、われわれ日本人にとってもごく普通のありふれたお祈りに 過ぎないらしい。ユウェナリス紹介 より
ところで、日本の知識人に槍玉に挙げられている「健全な精神は健全な肉体に宿る」ということわざは、どうも日本だけのものではないようだ。最近、「スタートレック」を見ていたら、バーベルを握って筋肉トレーニングに励んでいる若者(ノーグ!)が、友達のジェイクに筋肉トレーニングの良さを勧めながら「『健全な肉体に健全な心』(多分、Health in body,health in mind)と言うじゃないか」と言うシーンに出くわした。このことから、格言というものは一人歩きするものであること、欧米においても、もうずっと昔からユウェナリスの詩は読まれなくなっているということが分かる。なるほど…。その言葉を発する者の意図によって容易に捻じ曲げられてしまう。それが格言。なのでありましょうか。ユウェナリス紹介 より
少なくとも、「健全な精神は健全な肉体に宿る」と今でも言っちゃう体育会系の人が居たら、その人は2段階ほど無学な人、ってことになってしまうのかしら。
◎ ゴーマニズム宣言でも触れられていたのか。 :
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以上です。