2004/12/28(火) [n年前の日記]
#2 [neta] ダッチワイフにセンサとスピーカを内蔵したら色々できないかな
加速度センサとか。そんなセンサが存在するのか知らないけど。ユーザの動きは、おそらく振幅を表す信号として取得できるから、内部で『ときめき度』みたいなものを作り出して、それに応じて出力する音声フレーズを変化させたり。
学習機能をつけてみるのも面白いかもしれない。ユーザのアクションが激しさを増してから、信号が得られなくなる=ユーザの動きが停止する状態までの時間を記録して。得られたデータは色々と使い道がありそうな。特定のリズムが得られたらユーザにとって訴求力の高い音声フレーズを出力するとか。日々のデータをPCに渡して集計することで、ユーザ自身の健康状態について把握することが可能になったりするかも。
何を書いてるのだ。俺は。
学習機能をつけてみるのも面白いかもしれない。ユーザのアクションが激しさを増してから、信号が得られなくなる=ユーザの動きが停止する状態までの時間を記録して。得られたデータは色々と使い道がありそうな。特定のリズムが得られたらユーザにとって訴求力の高い音声フレーズを出力するとか。日々のデータをPCに渡して集計することで、ユーザ自身の健康状態について把握することが可能になったりするかも。
何を書いてるのだ。俺は。
◎ ダッチワイフの性能向上について思考することの無意味さ :
一般的な家電製品の場合、機能追加・利便性向上によって、ヒット商品が生まれてくる可能性が高くなるわけで。「もっと便利にならないか」「もっと快適にならないか」と思考実験することは、それほど無意味なことではないのでは、という気も。
*1
しかし、ダッチワイフの場合、そもそも購入するユーザ数が少ないであろうと想像されるわけで。極めて性能が向上したダッチワイフを仮に制作できたとしても、顧客数が少ないが故にヒット商品になることは永遠にあり得ず、開発にかかったコストを回収できる見通しすら立たない。という状態であるから、思考実験すること自体がまったくもって無意味であろうなという気もしたり。
この膠着状態を脱するためには、ユーザ数を増やすしかない。つまりは、独身・既婚・男性・女性に関わらず、各家庭にダッチワイフの1〜2体が置いてあって当たり前という社会風潮を今後確立していく必要がある。まずはそちらの思考実験をするほうが先なのだろうってそんな社会風潮になるわけないがな。無理だってば。 *2
にしても。何故ダッチワイフはこれほどまでに冷遇されるのであろう。たとえば、ASIMOが二足歩行を果たしたとき、人々の多くは驚き、それを評価した。人の姿に模した機械を作る…人間の分身を人間自身の手によって創造するという行為に着目してみれば、ASIMOの開発も、ダッチワイフの開発も、実はそれほど違いはない。外殻がFRP製かシリコン製か、内部にモータが入っているか入ってないか、コンピュータで制御されてるかされてないか。そういった違いしかないのではなかろうか。どころか、外観の持つ芸術性を考えると、むしろダッチワイフのほうが万人にとって美を感じてもらえる可能性が高い。だが、ASIMOは高く評価され、ダッチワイフは永遠に評価されない。何故か。…まあ、性が絡んでくる創造物はことごとく冷遇される社会だから、仕方ないのかも。
現代アートとしてダッチワイフの性能向上を果たしてみるのはどうだろうか。無理か。鑑賞者が視覚で認識した段階で評価を下せるものじゃないと、アートとして認めてもらえない気もする。触って、利用してみて、そこでようやく評価が下せる創作物は、おそらく実用品の範疇に入ってしまうのでは。…そう考えると、昨今のダッチワイフが、内部的なギミックには目もくれず、ひたすら外観の洗練に走っているのもなんとなく判る。見て判断できるものは訴求力があるが、使ってみて判断できるものは訴求力が弱いのだろう。などと勝手な想像。
この膠着状態を脱するためには、ユーザ数を増やすしかない。つまりは、独身・既婚・男性・女性に関わらず、各家庭にダッチワイフの1〜2体が置いてあって当たり前という社会風潮を今後確立していく必要がある。まずはそちらの思考実験をするほうが先なのだろうってそんな社会風潮になるわけないがな。無理だってば。 *2
にしても。何故ダッチワイフはこれほどまでに冷遇されるのであろう。たとえば、ASIMOが二足歩行を果たしたとき、人々の多くは驚き、それを評価した。人の姿に模した機械を作る…人間の分身を人間自身の手によって創造するという行為に着目してみれば、ASIMOの開発も、ダッチワイフの開発も、実はそれほど違いはない。外殻がFRP製かシリコン製か、内部にモータが入っているか入ってないか、コンピュータで制御されてるかされてないか。そういった違いしかないのではなかろうか。どころか、外観の持つ芸術性を考えると、むしろダッチワイフのほうが万人にとって美を感じてもらえる可能性が高い。だが、ASIMOは高く評価され、ダッチワイフは永遠に評価されない。何故か。…まあ、性が絡んでくる創造物はことごとく冷遇される社会だから、仕方ないのかも。
現代アートとしてダッチワイフの性能向上を果たしてみるのはどうだろうか。無理か。鑑賞者が視覚で認識した段階で評価を下せるものじゃないと、アートとして認めてもらえない気もする。触って、利用してみて、そこでようやく評価が下せる創作物は、おそらく実用品の範疇に入ってしまうのでは。…そう考えると、昨今のダッチワイフが、内部的なギミックには目もくれず、ひたすら外観の洗練に走っているのもなんとなく判る。見て判断できるものは訴求力があるが、使ってみて判断できるものは訴求力が弱いのだろう。などと勝手な想像。
◎ フィギュアにタッチセンサとスピーカを仕込むのはどうだろう :
ダッチワイフは性に関する玩具として見られてしまうので評価が厳しくなるけれど。同じく人を模したものでも、フィギュアなら、多少は冷静に評価してもらえる機会が増えるのではなかろうか。
30cmぐらいのフィギュアに、タッチセンサとスピーカを仕込んで、USBでPCと接続する。さすったり、そっと押したり、強く押したりすると、それに応じたリアクションが音声で返ってくる。とか。見て良し、触って良しのフィギュア。どうか。ていうかソレ、ひょっとすると「きみしね」の立体版か。違うか。
30cmぐらいのフィギュアに、タッチセンサとスピーカを仕込んで、USBでPCと接続する。さすったり、そっと押したり、強く押したりすると、それに応じたリアクションが音声で返ってくる。とか。見て良し、触って良しのフィギュア。どうか。ていうかソレ、ひょっとすると「きみしね」の立体版か。違うか。
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