2016/05/07(土) [n年前の日記]
#3 [anime][neta] 「リペア」と「メンテナンス」
「甲鉄城のカバネリ」を見てて「リペア」という言葉が使われている点が気になったのですよ。正確には、「リペア」という言葉が台詞の中に入ってるのに、見ている自分がそのことを全く気にしてない、という点が気になったというか。
昔、「精霊の守り人」というアニメの中で、「メンテナンス」という言葉が台詞の中に入ったことがあったわけで。「精霊の守り人」の世界は、見た目は昔の日本風なのだけど、主人公のバルサは異国人なので、異国の言葉=カタカナ言葉をうっかり使ってしまう時があるのだ、という設定で。
自分はそのシーンを見て、「なるほど、コレは考えたなあ」「異国人らしさを付加する技として、コレはアリなんじゃないか」と感心したのだけど。どうも一般の視聴者は違う印象を持ったようで。「和風世界なのに、どうしてカタカナ言葉が出てくるんだ」「この脚本はおかしい」と、当時散々叩かれてしまった印象が。要するに、 _八兵衛の「ご隠居、ファイト!」 と同じミスと思われてしまったわけですよ。ミスじゃなくて、意図してやってることなのに…。主人公が「ああ、済まない。あたしゃ外国人なもんで」とまで説明してるのに…。
さて。「甲鉄城のカバネリ」も、見た目は昔の日本風の異世界。なのにどうして「リペア」という言葉・台詞が気にならなかったのだろうと。これはおそらく、何かテクニックを使っているに違いない…。そのテクニックとは、何だろう?
もしかして。ひょっとすると。その台詞を発してるのが金髪キャラっぽいから、なのかなと。欧州人っぽい見た目のキャラが言ってるのだから、見ている人は誰も気にしないという。そして、そういうキャラがウロウロしている状況だから、当然周囲の人間も影響を受けてカタカナ言葉を使っていても別におかしくないやろと視聴者は無意識に考えるはずで。 *1
つまり、たった一人、髪の毛が黒くないキャラを混ぜといて時々発言させるだけで、作品中のカタカナ言葉が不自然ではなくなるという。さらに、「こんなキャラが居るってことは、この世界には『異国』もあるんだろう」「外国ではどういう状況になっとるんや」と視聴者の想像力を刺激する効果も多少期待できる。もし、そういう効果を予想してそのキャラを配置したのだとしたらスタッフさんは頭いいなあ、キャラ配置の点でもテクニックってあるんだろうな、と思った次第です。
こういうソレって、上手くいってない時は視聴者が気づくけど、上手くいってる時は視聴者が技を使われていることに全然気づかないという実例っぽいな、とも。映像作品において、特に引っ掛かるところもなくボケーッと見ることができているってことは、それだけでもプロの細かい技が駆使されている・何かしらの工夫がそこにある、ってことだろうと改めて思ったりもしたのでした。
や、「メンテナンス」も自分は好きなんですけどね。アレは、あえて引っ掛かりを入れといて視聴者に何かを伝える手管なわけで。「和風世界なのだからカタカナ言葉は厳禁」とか思考停止するより、「ここはあえて」と使う姿勢ってのも、なんだか好きで。考えながら作ってないとそういうのって含めることができないはずだし。
てなことを、「カバネリ」や、今現在NHKで再放送されてる「精霊の守り人」などを視聴している際にふと思ったのでメモ。只の思考メモです。
昔、「精霊の守り人」というアニメの中で、「メンテナンス」という言葉が台詞の中に入ったことがあったわけで。「精霊の守り人」の世界は、見た目は昔の日本風なのだけど、主人公のバルサは異国人なので、異国の言葉=カタカナ言葉をうっかり使ってしまう時があるのだ、という設定で。
自分はそのシーンを見て、「なるほど、コレは考えたなあ」「異国人らしさを付加する技として、コレはアリなんじゃないか」と感心したのだけど。どうも一般の視聴者は違う印象を持ったようで。「和風世界なのに、どうしてカタカナ言葉が出てくるんだ」「この脚本はおかしい」と、当時散々叩かれてしまった印象が。要するに、 _八兵衛の「ご隠居、ファイト!」 と同じミスと思われてしまったわけですよ。ミスじゃなくて、意図してやってることなのに…。主人公が「ああ、済まない。あたしゃ外国人なもんで」とまで説明してるのに…。
さて。「甲鉄城のカバネリ」も、見た目は昔の日本風の異世界。なのにどうして「リペア」という言葉・台詞が気にならなかったのだろうと。これはおそらく、何かテクニックを使っているに違いない…。そのテクニックとは、何だろう?
もしかして。ひょっとすると。その台詞を発してるのが金髪キャラっぽいから、なのかなと。欧州人っぽい見た目のキャラが言ってるのだから、見ている人は誰も気にしないという。そして、そういうキャラがウロウロしている状況だから、当然周囲の人間も影響を受けてカタカナ言葉を使っていても別におかしくないやろと視聴者は無意識に考えるはずで。 *1
つまり、たった一人、髪の毛が黒くないキャラを混ぜといて時々発言させるだけで、作品中のカタカナ言葉が不自然ではなくなるという。さらに、「こんなキャラが居るってことは、この世界には『異国』もあるんだろう」「外国ではどういう状況になっとるんや」と視聴者の想像力を刺激する効果も多少期待できる。もし、そういう効果を予想してそのキャラを配置したのだとしたらスタッフさんは頭いいなあ、キャラ配置の点でもテクニックってあるんだろうな、と思った次第です。
こういうソレって、上手くいってない時は視聴者が気づくけど、上手くいってる時は視聴者が技を使われていることに全然気づかないという実例っぽいな、とも。映像作品において、特に引っ掛かるところもなくボケーッと見ることができているってことは、それだけでもプロの細かい技が駆使されている・何かしらの工夫がそこにある、ってことだろうと改めて思ったりもしたのでした。
や、「メンテナンス」も自分は好きなんですけどね。アレは、あえて引っ掛かりを入れといて視聴者に何かを伝える手管なわけで。「和風世界なのだからカタカナ言葉は厳禁」とか思考停止するより、「ここはあえて」と使う姿勢ってのも、なんだか好きで。考えながら作ってないとそういうのって含めることができないはずだし。
てなことを、「カバネリ」や、今現在NHKで再放送されてる「精霊の守り人」などを視聴している際にふと思ったのでメモ。只の思考メモです。
*1: 他にも、和風スチームパンクで機械がガシャガシャ動いてる世界だから、「機械が出てくる世界ならカタカナ言葉を使うのもフツー」と思いやすい、という点もあるのだろうけど。
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以上です。