mieki256's diary



2007/08/14(火) [n年前の日記]

#7 [anime] 「銀河鉄道物語 永遠への分岐点」をずっと見てるのだけど

夏休みということで、1日1話、月〜金に放映されているらしく。録画して、BGVとして流していたり。

1話完結タイプなので、見ていて気が楽。また、列車がCGで描かれていたり、キャラの顔・体の線が妙に多かったりするあたり、技術の進歩を感じたりもする。

松本零士ワールドのお約束が気になる。 :

自分が以前書いたことと矛盾するのだけど、宇宙に上下があるっぽいのがどうにも気になってしまう。さすがに空気は無いようだけど。…いや、判ってますけど。松本零士ワールドですから、宇宙に上下はあるし、下手すると空気もあるし、旗だってなびく。松本零士が絡む時点で、大体はそういう世界になってしまう。しかし…。物理法則(でいいのか?)すら都合のいいように捻じ曲げてしまう、そんな作家・スタッフが提示してきたものに対して、見る側は一体何を楽しんだらいいのか。なんだか考え込んでしまう。

物理法則すら捻じ曲げるぐらいだから、ストーリー上の整合性だって軽々と捻じ曲げられるわけで。本編冒頭でシチュエーションが提示された時点で、えてして結末は想像がつくし、キャラクターが登場した時点で、落ち着く人間関係も想像がつく。ここに落とすと決めた結末に向けて、いくらでも都合のいいように流れは改変される。となると、何を楽しめばいいのか。

捻じ曲げ方、なのかなぁ。楽しむとしたら。そういう意味では、松本零士作品は寅さんシリーズに近いのかもしれない。「寅さんがマドンナにふられる」という結末は、まず間違いなく決まってる。結末が判ってるのに、観客は作品を見て楽しんでる。「ふられる」という結末に向けて、どのように捻じ曲げていくのか、そこを観客は楽しんでいるのかもしれない。つまるところ、松本零士作品というものは、往々にして「松本メーターに囲まれてるだけの寅さん」に相違ないのだ。

「松本メーターに囲まれてるだけの寅さん」というフレーズをどうにか書きたくて、ここまで捻じ曲げてみましたが、さて。

松本零士ワールドはどこで作られているのかが気になる。 :

松本零士が松本零士ワールドを作ってるのだろうか。それとも、アニメスタッフが脚本やコンテを書く段階で松本零士ワールドになってしまうのか。

後者であれば、ちと問題かも。意識的に松本零士ワールドにしてるならいいのだけど、単に無知故に松本零士ワールドになってるとしたら、ちょっとなぁ…。そもそも、意図してやってるとしても、法則を捻じ曲げることで何を得ようとしてるのかが気になったりもする。万が一、読者・視聴者は上下のない空間が理解できない、とでも思われてたらなんだかマズいような気も。幼児が犬を「わんわん」と呼び続けてるから、大人も犬を「わんわん」と呼び続ける必要があるのだ、てのは何かが違うんじゃないか。…飛躍しすぎか。

100人中99人が「わんわん」と呼んでたら、残りの1人も「わんわん」と呼ばないといかんのだろうし。うーん。

以上です。

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