2007/07/07(土) [n年前の日記]
#1 [tv][movie] シックスセンスを鑑賞
TVをつけたら流れてたので見てみたり。とても面白かった。以下ネタバレあり。
観客の心理を誘導するその手管に感心。例えば、 少年の考えてることを主人公があててみせる、というシーン。最初は主人公が どんどん正解していくわけだけど、そのことによって観客側は、理想的な二人の状態 ―― そのシーンにおけるハッピーエンド的な光景、 少年の信頼を勝ち得た主人公という光景を予測・イメージする。ところが実際は、その後どんどん 失敗してしまうわけで。一旦、観客側に夢を見させておいて、しかしそれを 裏切る結果を提示することにより、主人公が感じた 失望感、前途多難さを観客にも追体験させることに成功してるように思う。また、このシーンは、人物の 心理的な距離を、実際に目に見える 物理的な距離として観客に伝達しているわけで、そのアイデアにも感心したり。
似たような部分は、中盤の ビデオ映像鑑賞シーンにも言える。最初、 人形劇を観客に見せることで、観客の中に「この ビデオはこういうことを父親に伝えようとしてるのだな」と予測をさせる。しかし、その直後、 娘が本当に伝えたかったことを見せることで、 予想外の事実を知ってしまった父親と同じ心情を、観客に感じさせることに成功している。
そういった見せ方は各所で一貫しているなと思ったけれど、その手管を示唆するのであろう、 コインが消える手品のシーンを本編中に入れてるあたりも、なんだか作りが秀逸だなと。 手品のシーンは、少年の、「見ようと思うものしか見ない」という台詞にも繋がってるのだろうし、主人公側のオチの伏線にもなっているわけで。
そんな感じで、映画というメディアを使っていながら、質の高い手品を見せられているような、いや、手品と映画の共通点を披露されたような、そんな印象を受けた。とにかく感心。観客に、見せたいソレを、ただ漫然と見せているだけではダメなのだな。…いや、ダメってことでもないだろうけど。こういうやり方もあるんだな、みたいな。
それはともかく、少年の設定だけを使ってドラマシリーズとか作れそうな。…と思ったが、ソレって「百鬼夜行抄」か。
観客の心理を誘導するその手管に感心。例えば、 少年の考えてることを主人公があててみせる、というシーン。最初は主人公が どんどん正解していくわけだけど、そのことによって観客側は、理想的な二人の状態 ―― そのシーンにおけるハッピーエンド的な光景、 少年の信頼を勝ち得た主人公という光景を予測・イメージする。ところが実際は、その後どんどん 失敗してしまうわけで。一旦、観客側に夢を見させておいて、しかしそれを 裏切る結果を提示することにより、主人公が感じた 失望感、前途多難さを観客にも追体験させることに成功してるように思う。また、このシーンは、人物の 心理的な距離を、実際に目に見える 物理的な距離として観客に伝達しているわけで、そのアイデアにも感心したり。
似たような部分は、中盤の ビデオ映像鑑賞シーンにも言える。最初、 人形劇を観客に見せることで、観客の中に「この ビデオはこういうことを父親に伝えようとしてるのだな」と予測をさせる。しかし、その直後、 娘が本当に伝えたかったことを見せることで、 予想外の事実を知ってしまった父親と同じ心情を、観客に感じさせることに成功している。
そういった見せ方は各所で一貫しているなと思ったけれど、その手管を示唆するのであろう、 コインが消える手品のシーンを本編中に入れてるあたりも、なんだか作りが秀逸だなと。 手品のシーンは、少年の、「見ようと思うものしか見ない」という台詞にも繋がってるのだろうし、主人公側のオチの伏線にもなっているわけで。
そんな感じで、映画というメディアを使っていながら、質の高い手品を見せられているような、いや、手品と映画の共通点を披露されたような、そんな印象を受けた。とにかく感心。観客に、見せたいソレを、ただ漫然と見せているだけではダメなのだな。…いや、ダメってことでもないだろうけど。こういうやり方もあるんだな、みたいな。
それはともかく、少年の設定だけを使ってドラマシリーズとか作れそうな。…と思ったが、ソレって「百鬼夜行抄」か。
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