mieki256's diary



2005/04/28(木) [n年前の日記]

#2 [zatta] 作品について言及するとき、大別して2つの見方があるような気がしていたり

一つは、内容に対して。もう一つは、外枠(?)に対して。

例 :

『仮面ライダー響鬼』は画期的作品だけど < 断言。内容だけを見た場合、実はそれほどでもはなく。和風ヒーロー自体は既に何本も作られているし、音で敵を倒すヒーローも、ボイスラッガー等、既に存在してる。すると、どこが画期的なのか。…「仮面ライダー○○」というタイトルでやってるから、ではないかと。

『Gガンダム』も同じ。タイトルに「ガンダム」が入った作品でああいった内容をやったところに価値がある。

『CASSHERN』も同様。映画畑とは違うところで活躍していた人間が、比較的少ない予算で、アニメをリメイクして、あそこまで仕上げたあたりが評価ポイントじゃないのかと。

『ほしのこえ』もそう。内容そのものは、他の商業作品と比べるとアレだけど。ほとんど個人で作ったところがポイントで。

一つ前の記事の、「御伽噺」云々もそれで。元となった記事について言及してるほとんどの人達は、その内容について言及してるけど。「御伽噺」云々という評価は、外枠を見ていないと出てこない感想だろうと。たぶん。

ということで :

内容は別にして、外枠を見た場合に評価されてしかるべき作品ってのもあるのじゃないかと思ったり。

意見・感想の相違が見られる場合、各々がどちらを見てるのか認識できれば、それら相違に納得できる場面…もしかするとお互いの意見・感想が同時に成立してしまう場面が増えるのかもしれないなと。逆に言うと、内容を見てるのか、外枠を見てるのか、それすらはっきり認識できてない状態での意見交換はズレてしまいがちなのかも。と想像。

などと書きつつも。大別して2つってのは、なんだか大雑把過ぎる感も。

以上です。

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