2005/04/15(金) [n年前の日記]
#2 [zatta] _コミュニケーション能力を高めるために
日本は異文化との接触になれていない。外交でも一人相撲を取ることが多くて、国際聯盟を脱退したり、ポツダム宣言も「黙殺する」といって原爆を落とされたり、ソ連に参戦されたりしている。言葉の上でも外交の上でも島国根性から抜け出さなければならない。
心のこもらない挨拶といってもその精神的な負担は大きい。彼らはサービス業の人はどんな顧客に対しても「心をこめて」笑顔で接することを強いられている訳で、アメリカの感情社会学者(sociology of emotion)アーリー・ホックシールド(Arlie Russell Hochschild)はこれを「感情労働」(emotion work)と呼んだ。19世紀の工場労働者は「肉体」を酷使されたが、対人サービス労働に従事する今日の労働者は「心」を酷使されている、という。現代とは感情が商品化された時代であり、労働者、特にサービス・セクターや対人的職業の労働者は、客に何ほどか「心」を売らなければならず、したがって感情管理はより深いレベル、つまり感情自体の管理、深層演技に踏み込まざるをえない。それは人の自我を蝕み、傷つける。しかも、そうした「感情労働」を担わされるのは主として女性であるという。
挨拶は世界共通だと思っているかもしれないが、必ずしもそうではない。ウソだと思ったら英語で「行ってきます」「ただいま」とか、「いただきます」「ごちそうさま」とか、「起立、礼」とか「よろしくお願いします」ってなんていうか考えてみれば分かる。日本人が「頑張って」というところを彼らは“Take it easy.”(気楽に!)という。「頑張って」の意味で“Work hard.”といおうものなら、怠けているのを非難されたり、説教されたと誤解される。挨拶にも彼岸の差がある。興味深い内容がみっちり。 _(via 読書記録ChangeLog)
[ ツッコむ ]
以上です。