2005/04/08(金) [n年前の日記]
#7 [zatta] _階層化=大衆社会の到来
「メリトクラシーが、個人の業績、すなわちメリットを基準に社会的選抜を行い、なおかつ出身階層などの属性要因の影響を受けずに社会的平等をもたらすしくみであるとすれば、メリットの構成要素である能力も努力も、出身階層やその他の属性要因にかかわりなく分布していることが前提となる。」(147頁)
ところがこの前提は間違っていた。メリットの構成要素のうち、とりわけ「努力する能力」はあきらかに出身階層の属性要因の影響を受けるからである。
メリトクラシーというのは、努力するものに報いる制度である。それは「誰でもその気になれば努力することができる」ということを前提としている。
しかし、「その気になれば」というところに落とし穴がある。というのは、世の中には、「その気になれる人間」と「その気になれない人間」がおり、この差異は個人の資質というよりも、社会的条件(階層差)に深くリンクしているからである。
いったい何を根拠にして、創意や自発性や、自然体験や職業体験を通じて「学ぶ喜び」を見いだす能力が「すべての子どものうちに等しく分配されている」ということを人々は信じられたのか。教室での「勉強」以外の学習においても、学習意欲の高い子どもと低い子どもの差は歴然と存在する。そして、しばしば、その差は学力以上に既決的である。
「結論を先取りすれば、意欲をもつものともたざる者、努力を続ける者と避ける者、自ら学ぼうとする者と学びから降りる者との二極分化の進行であり、さらに問題と思われるのは、降りた者たちを自己満足・自己肯定へと誘うメカニズムの作動である。」(211頁)おそらく、「学び」を「働く」と入れ替えても通用するのだろうな、などと思いながら読んだり。 _(via みんな仲良しのつもり)
どうして、「学びから降りる」ことが自己満足や自己肯定に結びつくのか、その理路はわかりにくい。けれども、このような状況は決して「いまはじめて」起きたことではないように思われる。
◎ _最近の実感からすると、社会的階層が相対的に高いと思われている親の子どもたちにも、階層内の二極分化がはじまっているように思える :
これ、ホントーにそうなんだなぁ。業界外の人にそういう話をしてもなかなか信じてもらえないんだけど。そういうけったいな現象の生じたのが、最近かどうかはわからないところがある。でも、これだけ広範囲にわたって、こういう傾向が見られるようになったのは、やはり最近のことだろう。興味深い話。
◎ _バブル以降に積極的に仕掛けられた「アメリカンドリームシステム」の失敗、そしてそれを継続しようとしていることこそが問題 :
バブル崩壊以降、日本は「みんなでコツコツ」路線に変わる、新たな経済牽引システムを求めていました。結果採用されたのが、「アメリカンドリームシステム」だったのではないでしょうか。つまり、少数でもいい、「スター」を生み出して経済を引っ張らせようじゃないか、って話です。思い当たるフシが。
「スター」には個性が必要なので、個性重視の教育にしよう。また「スター」は確率の問題でもあるので、なるべく多くの人間が「スター」を目指す必要があります。だから、「夢」を目一杯煽りましょう。みんな「夢」を目指せ。「希望」を持て。誰にでもチャンスはある。
その失敗の結果が、現在の状況です。
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以上です。