2012/02/12(日) [n年前の日記]
#2 [anime] 「TO」と「テルマエ・ロマエ」
昨晩、「TO」と「テルマエ・ロマエ」というアニメを見た。どちらも、CGという道具をフル活用して作られたアニメ。CG無しでは作れなかった映像。そしてどちらも、評価の高い漫画を原作としている。
見終わった後、考え込んでしまった。
「TO」は3DCGアニメ。おそらくは、3DCGの「APPLESEED」シリーズ(?)で培ってきたノウハウを元にして作ったのだろう。見た目はゴージャス。それでいて不気味の谷を回避するため、キャラをトゥーンレンダリングで統一するという気配りも見せている。また、自分は原作未読だから自信はないが、おそらく各カットのレイアウトは原作に準じているのだろう。
「テルマエ・ロマエ」はFLASHアニメ。元々は一人でアニメ制作を実現するために、極端なまでに表現の幅を絞り切った制作技法。ただ、この作品は別に一人で作ってるわけではないようで、スタッフロールに数名のアニメーター名が出ていた。映像の見た目は、白黒TV時代の鉄腕アトムのアニメを彷彿とさせるが、細かいところはCGならでは。一度描いた絵は全編を通して使い回される。ある意味究極のバンクシステム。レイアウトの違いは、そのほとんどが、キャラと背景絵の拡大縮小率、及び、表示位置の変更のみという割り切りぶり。ライブラリ管理とベクターデータのメリットを活かして映像が作られていると言える。…原作は読んだことがあるが、フツーのネーム・各コマのレイアウトだった。アニメ版は、原作と比べるとはるかにグレードダウンした見た目と言える。ここまで原作の視覚情報を劣化させてしまったアニメを、自分は他に知らない。
見た目だけに限って言えば、「TO」と「テルマエ・ロマエ」は比較対象にすらならない。「TO」の圧勝だろう…。
しかし、見ていてどちらが面白かったかと言えば、これもまた「TO」と「テルマエ・ロマエ」は比較対象にならない。「テルマエ・ロマエ」が圧勝だった。スタッフには大変申し訳ないが、「TO」は話にならなかった。
故に考え込んでしまった。どうしてこんな印象を受ける結果になったのか。
SFとコメディの違いだろうか。原作の面白さがそもそも勝負にならないのだろうか。あらゆる娯楽作品にSF要素が浸透してしまった現在において、SF作品は既に発想レベルでの面白さを感じられない存在になっているのだろうか。考えてみれば、「テルマエ・ロマエ」だってタイムスリップ作品と言えなくもない。しかし、もはやソレが面白さの本質ではない。
いや。コンテの「間」ではないか。もっともらしく言えば、映像作品として成立させるための時間軸の制御が、「TO」には欠落していたのではないか。…そういえば、「このカットをこの秒数にしたのは何故なんだろう。ダラダラしてるなあ」と疑問が湧いたシーンがいくつかあったような気もする。ジャンルや発想や設定より見せ方が大事だ、とは美内すずえの言だが、音楽と並んで時間軸を制御できる映像作品においては、見せ方とは「間」ではないのか。
それとも、見ている自分に原因があるのだろうか。ゴージャスな画を見せられた場合と、いかにもなアニメ風の画を見せられた場合とで、無意識のうちに期待してしまうものが違っているのかもしれない。「TO」の映像を目にした瞬間、自分は知らず知らずに、もっと壮大な何かを期待してしまったのだろうか。
何にせよ、考え込んでしまった。何故にこうなってしまうんだろう。
見終わった後、考え込んでしまった。
「TO」は3DCGアニメ。おそらくは、3DCGの「APPLESEED」シリーズ(?)で培ってきたノウハウを元にして作ったのだろう。見た目はゴージャス。それでいて不気味の谷を回避するため、キャラをトゥーンレンダリングで統一するという気配りも見せている。また、自分は原作未読だから自信はないが、おそらく各カットのレイアウトは原作に準じているのだろう。
「テルマエ・ロマエ」はFLASHアニメ。元々は一人でアニメ制作を実現するために、極端なまでに表現の幅を絞り切った制作技法。ただ、この作品は別に一人で作ってるわけではないようで、スタッフロールに数名のアニメーター名が出ていた。映像の見た目は、白黒TV時代の鉄腕アトムのアニメを彷彿とさせるが、細かいところはCGならでは。一度描いた絵は全編を通して使い回される。ある意味究極のバンクシステム。レイアウトの違いは、そのほとんどが、キャラと背景絵の拡大縮小率、及び、表示位置の変更のみという割り切りぶり。ライブラリ管理とベクターデータのメリットを活かして映像が作られていると言える。…原作は読んだことがあるが、フツーのネーム・各コマのレイアウトだった。アニメ版は、原作と比べるとはるかにグレードダウンした見た目と言える。ここまで原作の視覚情報を劣化させてしまったアニメを、自分は他に知らない。
見た目だけに限って言えば、「TO」と「テルマエ・ロマエ」は比較対象にすらならない。「TO」の圧勝だろう…。
しかし、見ていてどちらが面白かったかと言えば、これもまた「TO」と「テルマエ・ロマエ」は比較対象にならない。「テルマエ・ロマエ」が圧勝だった。スタッフには大変申し訳ないが、「TO」は話にならなかった。
故に考え込んでしまった。どうしてこんな印象を受ける結果になったのか。
SFとコメディの違いだろうか。原作の面白さがそもそも勝負にならないのだろうか。あらゆる娯楽作品にSF要素が浸透してしまった現在において、SF作品は既に発想レベルでの面白さを感じられない存在になっているのだろうか。考えてみれば、「テルマエ・ロマエ」だってタイムスリップ作品と言えなくもない。しかし、もはやソレが面白さの本質ではない。
いや。コンテの「間」ではないか。もっともらしく言えば、映像作品として成立させるための時間軸の制御が、「TO」には欠落していたのではないか。…そういえば、「このカットをこの秒数にしたのは何故なんだろう。ダラダラしてるなあ」と疑問が湧いたシーンがいくつかあったような気もする。ジャンルや発想や設定より見せ方が大事だ、とは美内すずえの言だが、音楽と並んで時間軸を制御できる映像作品においては、見せ方とは「間」ではないのか。
それとも、見ている自分に原因があるのだろうか。ゴージャスな画を見せられた場合と、いかにもなアニメ風の画を見せられた場合とで、無意識のうちに期待してしまうものが違っているのかもしれない。「TO」の映像を目にした瞬間、自分は知らず知らずに、もっと壮大な何かを期待してしまったのだろうか。
何にせよ、考え込んでしまった。何故にこうなってしまうんだろう。
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以上です。