2007/08/09(木) [n年前の日記]
#6 [zatta] 既に真面目にやってる人に対して「真面目にやれよ」と言っちゃうのって無意味な気がする
無意味どころか、もはやマイナスと言うか。当人のモチベーションを下げるだけじゃないか。言ってるお前こそ、もっと真面目に物事考えてから口を開けよと。…アレ?
当人がどれだけ真面目に行動を起こしていても、能力が低かったり、あるいは方向性が間違っていたら、成果は得られないし。当人がどれだけ真面目に考えても、頭が悪かったら、妥当な結論には繋がらない。真面目にやってるか否かと、得られる成果、得られる結論の妥当性は、さほど関係がないようにも思う。また、真面目にやるべき場面で、真面目にやってない人間に対し、「真面目にやれよ」と言ってみたところで、彼等が言われたとおりに振る舞うかと言うと、それもなかなかありえない気もする。真面目にやれる人なら、最初から真面目にやっているだろう。
そういったことを考えると、「真面目に○○しろよ」といった言葉は、周囲に対してダメージを与えることはありこそすれ、プラスになることはまったく無いような気もしてくる。…そのようなマイナスの言葉を不用意に口にする人間は、組織の中において、かなり危険な人物なのではないか。他の場面でも、ちょっとした発言で集団のモチベーションを無意味に下げ、本来得られるはずだった成果すら得られない状態にしてしまっている可能性がありそうな。
言い方を変えればいいだけのような気もするんだけどな。おそらくは、「真面目に」などという漠然とした言及ではなく、もうちょっと具体性を持った指示・助言にすればいい。「もっと集中しろ」「よそ見をするな」「スピードと正確さの両方を意識して作業しろ」「とにかくメモを取れ。紙に書いてみろ」「コストを考えて選択しろ」等々。そういう言い方が咄嗟にできるかどうかで、その人間が、優れた助言者、あるいは管理者としての才を持っているかどうかが証明されるのかもしれない。…ホントかよ。
当人がどれだけ真面目に行動を起こしていても、能力が低かったり、あるいは方向性が間違っていたら、成果は得られないし。当人がどれだけ真面目に考えても、頭が悪かったら、妥当な結論には繋がらない。真面目にやってるか否かと、得られる成果、得られる結論の妥当性は、さほど関係がないようにも思う。また、真面目にやるべき場面で、真面目にやってない人間に対し、「真面目にやれよ」と言ってみたところで、彼等が言われたとおりに振る舞うかと言うと、それもなかなかありえない気もする。真面目にやれる人なら、最初から真面目にやっているだろう。
そういったことを考えると、「真面目に○○しろよ」といった言葉は、周囲に対してダメージを与えることはありこそすれ、プラスになることはまったく無いような気もしてくる。…そのようなマイナスの言葉を不用意に口にする人間は、組織の中において、かなり危険な人物なのではないか。他の場面でも、ちょっとした発言で集団のモチベーションを無意味に下げ、本来得られるはずだった成果すら得られない状態にしてしまっている可能性がありそうな。
言い方を変えればいいだけのような気もするんだけどな。おそらくは、「真面目に」などという漠然とした言及ではなく、もうちょっと具体性を持った指示・助言にすればいい。「もっと集中しろ」「よそ見をするな」「スピードと正確さの両方を意識して作業しろ」「とにかくメモを取れ。紙に書いてみろ」「コストを考えて選択しろ」等々。そういう言い方が咄嗟にできるかどうかで、その人間が、優れた助言者、あるいは管理者としての才を持っているかどうかが証明されるのかもしれない。…ホントかよ。
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以上です。