mieki256's diary



2020/02/11(火) [n年前の日記]

#1 [debian] Debian上でCinnamonを試用

VMware Player 上で Debian Linux 10.2 を動かしていたけど、せっかくだから Cinnamonデスクトップ環境をインストールして試用。

結構サクサク動くのだな…。操作に関しては、Linux Mint で使ってるから特に困ることもなく。

10.3にアップデート。 :

sudo apt update、sudo apt upgrade をしたら 10.3 がどうとか表示されたのでアップデートしようと思ったのだけど。特に何かする必要もなく、sudo apt upgrade をすれば勝手にアップデートしてくれるのだな…。

公式サイトで入手できるCDイメージ等も 10.3 になっていたようなので、一応入手しておいた。

#2 [anime][neta] 「○○は娯楽。○○は芸術」

思考メモ。

「マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝」アニメ版を眺めつつ、また、巷の感想をチラチラ眺めて、ふとなんとなくそんなフレーズを思いついたのでメモ。

「まどマギは娯楽。マギレコは芸術。」

このフレーズは誤解されるかもしれない。世の中には娯楽より芸術のほうが位が高いと思い込んでる人が多いので、「お前、まどマギよりマギレコのほうが上だとでも言うのか? 本気で言ってんのか? お前は馬鹿か? 気はたしかか?」と怒り出す人が居てもおかしくない。しかし、ソレ、勘違い。そういう話じゃない。

世の中には「アートアニメ」とか「芸術アニメ」とか呼ばれる分類があって…。

随分と手間暇かけて作っているであろうことは容易に想像できるしその点については見ていてとにかく頭が下がるのだけど、しかし娯楽映像作品として眺めた際には正直ぶっちゃけ何一つ面白いところがない、けれど「つまんない」と言って切り捨てるのもそこに投入されたであろう労力を思い返すとあまりにも忍びなく、さりとて自身は何が面白いのかさっぱり分からないままなのでおいそれと迂闊に賞賛するわけにもいかず、しかし見る人が見れば唸ってしまうほどの優れた作品だったりする可能性もひょっとするとゼロではないのかもしれない、と思えてくる部分がなんだかもしかするとあるようなないような、そんな気がしないでもないような…。

そんな感じの、扱いに困るアニメに対しては、とりあえず「アートアニメ」だの「芸術アニメ」と呼んでおいてお茶を濁す、みたいな場面があるわけですよ。

例えば。「ゲド戦記」の試写の場で、視聴を終えたお偉いさんが、「いやー、ゴローくん難解なのを作ったねえ」とちょっと困った感じの笑みを浮かべながら感想を述べてたけれど。あの瞬間、「ゲド戦記」はお偉いさんから「芸術アニメ」扱いされてたよなと。「いやー俺は凡人だからこういう高尚なのはちょっとよくわかんないなー。知識人ならこういうのも楽しめるのかなー。俺はよくわかんないけどー」みたいな。つまりはそういうアレで…。

マギレコアニメ版映像って、現代アートの美術展の会場の隅っこで朝から晩までずっと流れていてもその場の雰囲気にしっくり合っちゃう、そんな種類の映像ではないかなと。そのくらいイヌカレー空間には異質な個性があると思うし、そんな新作映像を美術展の類に足を運ばずとも毎週お茶の間(?)に居ながら楽しめてしまう、てな価値はたしかにありそうな気も…。あんな映像を堪能できるアニメが他にあるかと言われたらせいぜい前作ぐらい。そう考えると貴重な作品であることは間違いないのですよ。しかし、「じゃあ、面白いんですか?」と純粋な瞳で問われると「うっ」と言葉に詰まるという。

てなあたりを踏まえた上で、「まどマギは娯楽。マギレコは芸術」というフレーズを眺めれば、言わんとしているノリがぼんやりわかるんじゃないかと。わかれ。こういうアニメは一旦「芸術」というフォルダにD&Dしておいてひとまず判断を保留しておいたほうがいいのかもしれんな、と。

ゴッホの絵って、ゴッホが生きてる間はここまで評価されてなかったわけで…。当時、ゴッホ作品を見て「なんじゃこりゃ」と唾を吐いちゃった人達と同類になるのか、それとも、「コレ後世では評価されたりするのかなー、どうかなー」とモニョってみた人達と同類になるのか。今、どっちの人種にお前はなるのか、なりたいのかと、「マギレコ」を視聴している一人一人が問われていると言っても過言ではないのです。

てなわけで、とりあえず「俺にとってはちょっと芸術アニメだなー」とでも言っておけば後者のふりができるかなと。そういう面ではコレって便利な分類方法・ラベリング。活用しない手はないぜ。みたいなー。

てなことをなんとなく思ってしまったのでメモ。思考メモ。

ちなみに、自分にとっては「異種族レビュアーズ」も立派な「芸術アニメ」に区分されているのです。純朴極まりない自分にとっては全ての台詞が難解かつ高尚過ぎて一体ナニが描写されているのかボクには全然わからないんだよぉ…。 *1
*1: なんちてぽっくん。

#3 [anime][neta] パターン破りのGレコ劇場版

思考メモ。なんかコレ前にも書いた気がするんだけど…どうだったかな…。

個人的に、「Gのレコンギスタ」劇場版には、なんだか期待していたり。どこに期待してるのかというと、全5部作、てなあたりで…。

というのも、TVアニメから劇場版アニメを作る際には、既にパターンができていて。 まあ、近年、ほとんどが最後のパターンだけど。

ところがここにきて、富野監督がドーンとぶち上げてくれた。劇場版5部作で作るぞ! と。さすが、「パターン破りの富野」だなと…。こんなところでもパターン破り…。

おそらく、アニメ業界人やアニメファンは、「それはさすがに無理だろう」「もしかすると『シェンムー』パターンになるのでは」みたいなことを思ってそうだなと。途中で制作中止になったり、あるいは最後まで完成しても赤字になっちゃったりして、「まあ予想はしていた」とか最終的には口にしそうな。

でも、やってみないと分からないよなと。

そもそも1stガンダムの劇場版だって…。TVアニメ映像を再編集して劇場版を作るだけならまだしも、そのやり方で3部作、なんてのは当時としては前代未聞だったはずで。 *1

ということで、最後まで作り切ってほしいし、できればちょっとでもいいから黒字になってほしいものだなと…。暗い顔で「やっぱりシェンムったか…」なんて呟く展開は想定内過ぎてちっとも面白くない。上手くいっちゃって、ダメだと思ってた人達が皆で頭を抱えながら「マジかー」「そんなやり方もアリだったのかー」「やろうと思えばできたのにやろうとしなかっただけなのかー」と言い出すほうが絶対に面白い。

てなことを思っているので、良い展開になるようになんとなく祈ってたりするのでした。皆で頭を抱えて「マジかー」って言いたいなー。みたいな。

TVアニメと劇場版の相互変換。 :

考えてみたら、劇場版(OVA?)からTVアニメに再編集、という流れであれば、「ガンダムUC」「ガンダムORIGIN」で既に試しているわけで。今回の「Gレコ」は、その逆の流れははたして可能なのか、という実験なんだろうなと…。

いやまあ、1stガンダムで3部作まではイケると実証されてはいるけれど。5部作はどうだ? イケるのか? 本数だけならUCより少ないからどうだろう、みたいな。そこが新規性だろうなと。

今時のTVアニメの映像は、もはや昭和のTVアニメのクオリティとは大きく異なり、どれもこれもOVAみたいなものだけど。苦労して作った映像が、TVアニメとして使う以外にないというのも、ちょっともったいない話で。これがもし、劇場版というフォーマットにして再利用(?)できるなら、流通だか配信だか分からんけど、今まで届けられなかったどこかに届けられる可能性も…出てくるのかもしれない。みたいな。

個人的に、TVアニメの放映が終わったらそれっきり、てのは実にもったいないと思っていたので、良い方向で再利用できるルートが確立できたらいいよなー、この実験が上手くいってほしいものだなー、と。TVアニメの再編集でワンチャンあるで、となれば、もうちょっとTVアニメ版の段階でしっかり作っておこうか、てな流れになるのかもしれんし…。いや、現状はそんな余裕無さそうだけど…。

まあ、そんなことを思っていたりします。とメモ。思考メモ。

*1: 富野監督も、当時の空気をちゃんと感じていて…。だからこそ、頭の中では3部作を構想していたけど、そんなことは口に出さずにしれっと第1作を仕上げて映画会社に納めて、ヒットしたから続編を、と打診された際に「実は3部作のつもりで作ってまして…」とネタ晴らしをしたわけで。…てな感じだったと思ったけど、どうだったかな。NHKの「ガンダム誕生秘話」でそんなことを言っていたような。自分の偽記憶かな。

以上、1 日分です。

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