mieki256's diary



2016/03/29(火) [n年前の日記]

#1 [neta] 独裁と民主主義

思考メモ。

昔、Web上のアレやコレがFLASH から HTML5 + JavaScript へと移行し始めた頃。自分は、「各ブラウザ・OSの実装状況の違いをプログラマーの各人が個別に解決していくのは間違いなく地獄なんだけど、そのへん分かった上でFLASHをdisってんのかな」「互換性問題の解決はAdobeに丸投げしといたほうが楽だろうに」などと思ったことがあるのだけど。

しかし、HTML5 + JavaScript陣営の誰かしらが、「実装状況の違いなんてライブラリが吸収するだけで済む」「だから全然問題にならない」と発言しているのを見かけて。「なるほど、Adobe の代わりにライブラリのメンテナーがそのあたりを担当する、と…」「だったら各人が地獄を見なくて済むのかもしれない」と自分は思ってしまったことがあるのでした。

コレって、いわば、Adobeの独裁状態から、各ライブラリの作者が責を負う民主主義へと移行した状態、と言えるのかもしれないなと。

ところが。ここ数日、left-padなるパッケージの作者さんがたった一人で妙な癇癪起こしたら色々なプロジェクトがビルドエラーになっただの、JavaScript文化圏はどうしてこんなに依存地獄になってるの的疑問に対して「ブラウザの実装状況の違いを吸収するためには仕方ねえんだよ」てな解説記事を読んだりしてるうちに、「なんだよお前らやっぱり地獄を見てるじゃねえか。だから言ったのに(とまで言えるほどには強く言ってなかったけど)」と今頃になって思えてきたというか。独裁者を倒した後の民主主義のヤバさというか。あるいは、ある地獄を回避したら別の地獄が待ってたりするというか。

まあ、皆さんが望んでこうしたわけだし。FLASHを殺しやがった皆さんで力を合わせて解決するしかないでしょうな。民主主義万歳。魔術師達が起こした聖杯戦争の結末には、こんな展開が口を開けて待っていたのじゃよ。なんちてぽっくん。

などと少々意地の悪いことを書きながらも、例えば昔のガラケーの互換性問題あたりと比べたら全然楽なほうかもと思ったりもするのですけど。アレも結構クローズドなところがあって…。各情報をオープンにできる、ただそれだけでも希望が持てる、ような気分にはなってくるというか。依存してたソースを見て「なんじゃこりゃ」と言えるだけでも、ソレって実は恵まれてるよなと。

オチは無いです。思考メモです。

#2 [anime] 「GOD EATER」最終回を視聴

録画してたソレをようやく視聴。

圧倒的に強く、なおかつ猛スピードで動く敵モンスターの目の前で、遺品を抱きかかえて泣き始めたり、一般人が戦闘員を助ける様子を目にして、「ここまで手間暇かけておきながらギャグアニメを作らなくてもいいだろう…」と失礼なことを思ってしまったり。(※ 感想には個人差があります。) *1 しかしコレ、2期も作るのかな…。作れそうな状態にはしてあるみたいだけど…。

そういえば、特番を入れてスケジュール調整するやり方はもう少し改善できそうな気がしたり。例えば「進撃中学校」「虹色デイズ」なんて、アニメ本編15分+声優さんのキャッキャウフフが15分なのに全く叩かれてなくて、時間で換算したらもっと酷いことやってるのに、ここまで反応が違うのはズルいよなと。いや、ズルくないけど。こういうフォーマットだと事前に提示しておくだけで違ってくるということだろうと想像してますが。
*1: 「ギャグアニメは言い過ぎだろ」と怒られるかもしれないけど、いやー、それが…。海外のお客さんにこういうのを見せるとギャグに見えるらしいので、あながち外れた喩えではないのではないか、と。例えば、 _邦画「海猿」を海外で上映した際に爆笑されたというエピソード があって。「そんなことしてる場合じゃねえだろ」という切羽詰まった場面でキャラの感情面を長々と描き始めて台無しにしちゃうのが日本のソレ…。

#3 [anime][neta] アニメの中で流れてる時間についてもやもやと

思考メモ。

以前、映像作品内で扱う時間としては、実時間と体感時間があるのでは、みたいなことを考えたことがあるのだけど。体感時間であれば、長々と解説台詞を喋ったり、感情に浸るシーンも不自然ではなくなるのかもしれないなと。ただ、実時間と体感時間が区別できない作りになってると、見ていて白けちゃうよなと…。そこらへんはセンスどうこうじゃなくてテクニックだと思うので、勉強すればしただけ着実に腕は上がっていくのではないかと思いたいのだけど。とはいえ、テクニックの存在に気づくかどうか、どこでどのテクニックを使うのか、そのあたりやっぱりセンスの問題になっちゃうんだよと言われたら、それもそうかも、とも。

脚本レベルの話ではないのだろうなと。おそらく、「こんな状況でこんなことやってられないだろう」と思いながら脚本を書いてたりはしないのだろうし。文章書いてるときって、映像にした時の時間感覚なんて分からないまま、必要な情報・台詞を詰め込むことで精一杯で、映像になった時不自然かどうかなんて気を回す余裕は無いだろうなと。構成等、脚本の段階で考えなきゃいけないこと、脚本でしかやっておけない重要な作業が他にたくさんあるだろうし…。

そこらへんを汲んで、「脚本を馬鹿正直に映像化してたら不自然になるのは当たり前」「不自然に見えないようにするのが俺達の仕事」とコンテや演出が腕を振るっていく必要があるのだろうけど。演出家が「脚本に書いてあるんだから」で止まっちゃってると…。

まあ、日本は漫画が普及してる国なので、漫画の中の不自然な時間の伸び縮みに常日頃慣れ親しんでる人も多いから、「これは少年漫画みたいなもんだ」的印象で映像作品を眺めてもらえれば問題は起きないのかもしれないけど。

ただ、件の某作品は、映像面で頑張り過ぎちゃって、そこで描かれている各シーンは漫画のソレではなく映像作品らしい実時間なのだ、と勘違いさせる面があったのかもしれないなと。あるいは、キャラに動きをつけながら喋らせれば不自然さを緩和できたシーンも、あの映像ではキャラを動かすのも一苦労だろうから、棒立ち状態で喋らせて不自然さが増したところもありそうだなと。

とかそんなことを考えてるうちに、富野アニメのコクピット内映像ってのは美味しいなと。ロボット同士が戦ってる様子を伝える映像から、コクピット内への映像に切り替わった途端、時空が切り替わってくれるというか。コクピット内なら、キャラが長々と喋っていても不自然にならない。戦場には居るけれど、コクピット内は、外とは断絶されてる空間だから。なるほど、昔のロボットアニメって、上手い見せ方をしていたんだなと今頃気が付かされたりして。しかし昨今のアニメは、キャラが体を動かしてアクションしている作品がほとんどだから、そのテクニックは使えない…。それはそれで、また違うテクニックが駆使されているんだろうけど。

こういうのって、上手くいってるときはテクニックが使われていることに気づかないもんで…。ボケーッと見ながら「スゲエ」「スゲエ」と視聴者が思ってる時こそ、山ほどテクニックが駆使されているのだろうなと。

#4 [anime] 「ハルチカ」最終回を視聴しながら説明シーンのあり方についてもやもやと

BS11で放送されてた「ハルチカ」というアニメの最終回を視聴。どういうアニメかと言えば…。高校の吹奏楽部に所属する主人公達が学園内のミステリーを解明していくという…。大変失礼ながらぶっちゃけて言ってしまうと、京アニ(京都アニメーション)が作った「氷菓」と「響け!ユーフォニアム」を足して3で割ったようなアニメ。足してそのままどころか、2で割れてないあたりが悲しい…。(※ 感想には個人差があります。) 個人的には期待してたんだけど…。いや、「学園ミステリー」と「吹奏楽」はどちらもがっぷり組み合わないと描けないヘビーなネタだから消化しきれないだろう、とも思ってましたが…。

説明シーンについてもやもや。 :

個人的に、このアニメ、ずっと気になってた部分があって。ミステリー部分の説明シーンで、棒立ち状態のキャラが台詞だけで状況を説明していくのが、なんだか気になって、気になって。それでいいのか? どうなんだ? みたいな。

というのも、「ハルチカ」と同様に、学園ミステリーを主軸にしていた先行作品「氷菓」の場合は、状況を映像面でも説明しようと図解を多用してたというか、いわゆる _インフォグラフィック をガンガン持ち込んで説明を試みてたわけで。それと比べてしまうと「ハルチカ」のソレは…。

小説や漫画の場合、説明内容に対して読者が疑問を持ったら、読み返して確認することができるわけで。しかし、アニメ・映像作品の場合は、即座に巻き戻して確認することなんてできない。目の前の、映像も、展開も、どんどん流れてっちゃう。 *1 それを考えると、丁寧に噛み砕いた説明が必要というか、ちゃんと理解してないとしても、なんだか分かったような気分にだけはなれる説明が必要になってくるはずで。故に、「氷菓」の説明シーンは、「アニメは小説とは違うのだ」と意識できているからこそ、一手間・一工夫を加えてるという点で、自分は高く評価してるのですが。

ただ、「氷菓」のソレが文句なしに上手くいってたかというとソレも微妙で。図解の各記号に凝った動きをつけてモーショングラフィックぽくなってたり、商業アニメでは使いづらい斬新な絵柄で説明映像を作ってたことで、映像の持つ情報量が増えちゃってオーバーフローして肝心要のミステリー状況の解説がぼやけちゃって、何のためにそれらの映像を挿入したのかそもそも分からなくなってたところも。何せ説明映像が…「イヌカレー空間」ライクで…。そりゃ見た目のほうが面白過ぎて説明内容が頭に入ってこないよなと。…まあ、映像として地味になるよりは華やかにしたほうがいい、それでなくても地味な展開をする作品なんだから、と判断したところがあるのかもしれないけど。

対して「ハルチカ」は、よく言えばストイック。情報のオーバーフローは起きようがない。けど、これで本当に視聴者は内容を理解できているのだろうか、てな不安は残るわけで。

「ハルチカ」のスタッフは、「氷菓」のソレを見て、「コレはよくない」「むしろ説明台詞だけのほうが分かりやすいのでは」と判断して抑え気味にしていたのか。それとも、「氷菓」なんて見ていないし、小説とアニメは違うということもよくわかってなくて、「説明台詞さえ置いとけばいいだろ」的に安易に作ってしまってこうなったのか。結果の映像を見ただけでは、どちらのつもりで作ってるのか判断がつかなくて。

てなことを考えながら眺めてたんで、ずっと、これでいいのか? どうなんだ? と、もやもやしていた自分なのでした。

映像の情報量を少なくしたほうが理解しやすいと仮定するなら、画面を真っ暗にして台詞だけ流したほうが分かりやすかったりするのかもしれんけど、別にそういう変わった見せ方をしていたわけでもないし…。いや、見返したらそういう工夫が盛り込まれてるのかもしれんですけど、見て消ししてたから見返しようもなくて。実は工夫してたのかな。どうだったんだろう。

おそらくこのあたり、在りし日のスタジオジブリ内で意識されてたらしい、「映像の持つ情報量」てな話と多少絡んでくるのかもしれない、などと根拠なく邪推したりもするんですけど、どうなんですかね。そこで言われてたらしい「情報量」とは、また違う話なのかな。

でもまあ、ブルーレイを購入した人なら、疑問に思ったら巻き戻して見れるだろうから問題にはならないのか。と思ったけど、回答(ミステリーの謎解き・話のオチ)を知ってるのに、問題文を読み返すのって苦行だったりしないのかな。どうなんだろ。

保険のかけ過ぎにもやもや。 :

それとは別に。「吹奏楽部」と「学園ミステリー」の両方を盛り込んだのは、失敗だったのだろうなと。原作小説がそうなってるから仕方ないのでしょうけど…。京アニですら、「学園ミステリー」は「『やる気のない』文芸部」にやらせてたのに…。「吹奏楽」はそれだけに絞って見せてたのに…。

美味しそうなネタだからと安易に両方盛り込んだら、そりゃ内容が薄まって当然だよなと…。ゲーム制作ネタを盛り込んだ「少女たちは荒野を目指す」に対しても思ったけれど、目に入った面白そうなネタをとにかくぶっこんどいてアレコレ保険かけとくってのは止めといたほうがいいんじゃないかと。「無理して欲張ってアレもコレもと手を出さない」代わりに「これだけはしっかり描く」的に絞ったほうがいいんじゃないか、などと思わないでもないです。

でも、そんなことを言ったら「おニャン子クラブ」も「AKB48」も出てこなかったよな…。ぶっこんでみたどれかしらの要素が引っ掛かるだろ、てな商売の仕方もあるんだろうし。なんとも難しい…。

結局は博打なのかも。賭けられる総額は決まってて、アレもコレもと賭けたら一つ当たりの賭け金は少なくなるからどれか当たってもリターンは少なくて。一つに全部賭ければリターンは大きいけど外した時は大損。みたいなことなのかしらん。いや、そんな単純な話ではないか…。

*1: HDDレコードで録画したモノを見てるならできるけど、リアルタイムで視聴してる時は無理。

以上、1 日分です。

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