mieki256's diary



2016/03/29(火) [n年前の日記]

#3 [anime][neta] アニメの中で流れてる時間についてもやもやと

思考メモ。

以前、映像作品内で扱う時間としては、実時間と体感時間があるのでは、みたいなことを考えたことがあるのだけど。体感時間であれば、長々と解説台詞を喋ったり、感情に浸るシーンも不自然ではなくなるのかもしれないなと。ただ、実時間と体感時間が区別できない作りになってると、見ていて白けちゃうよなと…。そこらへんはセンスどうこうじゃなくてテクニックだと思うので、勉強すればしただけ着実に腕は上がっていくのではないかと思いたいのだけど。とはいえ、テクニックの存在に気づくかどうか、どこでどのテクニックを使うのか、そのあたりやっぱりセンスの問題になっちゃうんだよと言われたら、それもそうかも、とも。

脚本レベルの話ではないのだろうなと。おそらく、「こんな状況でこんなことやってられないだろう」と思いながら脚本を書いてたりはしないのだろうし。文章書いてるときって、映像にした時の時間感覚なんて分からないまま、必要な情報・台詞を詰め込むことで精一杯で、映像になった時不自然かどうかなんて気を回す余裕は無いだろうなと。構成等、脚本の段階で考えなきゃいけないこと、脚本でしかやっておけない重要な作業が他にたくさんあるだろうし…。

そこらへんを汲んで、「脚本を馬鹿正直に映像化してたら不自然になるのは当たり前」「不自然に見えないようにするのが俺達の仕事」とコンテや演出が腕を振るっていく必要があるのだろうけど。演出家が「脚本に書いてあるんだから」で止まっちゃってると…。

まあ、日本は漫画が普及してる国なので、漫画の中の不自然な時間の伸び縮みに常日頃慣れ親しんでる人も多いから、「これは少年漫画みたいなもんだ」的印象で映像作品を眺めてもらえれば問題は起きないのかもしれないけど。

ただ、件の某作品は、映像面で頑張り過ぎちゃって、そこで描かれている各シーンは漫画のソレではなく映像作品らしい実時間なのだ、と勘違いさせる面があったのかもしれないなと。あるいは、キャラに動きをつけながら喋らせれば不自然さを緩和できたシーンも、あの映像ではキャラを動かすのも一苦労だろうから、棒立ち状態で喋らせて不自然さが増したところもありそうだなと。

とかそんなことを考えてるうちに、富野アニメのコクピット内映像ってのは美味しいなと。ロボット同士が戦ってる様子を伝える映像から、コクピット内への映像に切り替わった途端、時空が切り替わってくれるというか。コクピット内なら、キャラが長々と喋っていても不自然にならない。戦場には居るけれど、コクピット内は、外とは断絶されてる空間だから。なるほど、昔のロボットアニメって、上手い見せ方をしていたんだなと今頃気が付かされたりして。しかし昨今のアニメは、キャラが体を動かしてアクションしている作品がほとんどだから、そのテクニックは使えない…。それはそれで、また違うテクニックが駆使されているんだろうけど。

こういうのって、上手くいってるときはテクニックが使われていることに気づかないもんで…。ボケーッと見ながら「スゲエ」「スゲエ」と視聴者が思ってる時こそ、山ほどテクニックが駆使されているのだろうなと。

以上です。

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