mieki256's diary



2007/02/26(月) [n年前の日記]

#3 [jiji] 「知らない人に挨拶してはいけません」と先生が教えるのは当たり前のことではなかろうか

_デスアイサツ・リアクション
_デスアイサツとゲーム脳、知らない人に挨拶したら死ぬ世界
_最近の小学校では「知らない人に挨拶するな」と指導してるの?

よくよく考えてみると、発言小町という場は、現実に起きた話ではなく、単なる創作・シミュレーション・こういう状況が仮にあったとしたら貴方はどう思いますかという話でしかない場合が多いのかもしれず。ということを踏まえたうえで。

「知らない人に挨拶させるような運動をまたやってるのか」「子供が殴られた事件を知らないのか」と先生が父兄から責められるから、先生としては自衛のためのポージングとして、あえてわざわざその人の前で指導してるように見えるような行動を取っていたりして。誰も見てないところで指導したのでは意味が無い。誰かが見てる前で「こういう指導をしてますよ」とアピールしなきゃ、先生が責められるのだ。ホントかよ。

それはともかく。挨拶というものについて、なんだか色々考えてしまったのでメモ。

そもそも、知らない人に挨拶する社会なんてこの国にはなかったよなぁ。 :

村で生まれ、村で育ち、村で死んでいくような時代なら、だいたいは顔見知りだから道端で会っても挨拶するのは当たり前だったかもしれんけど。自分たちは、そのような状況下で生きてるわけでもないし。つーか自分が子供の頃だって「知らない人にも挨拶しなさい」なんて言われなかったけどな。貴方、言われてましたか? 言われてソレを守ってましたか?

そう考えると、「知らない人に挨拶する社会が、かつては存在した」と思い込んでる人が居ること自体、なんだか奇妙な話。それ、幻想、いや、妄想に過ぎないんじゃないか。

それとも、ある時期から「知らない人にも挨拶しなさい」と子供たちが強要される状況 ―― 「とにかく挨拶しろ」運動が存在していて、そんな子供時代を過ごしてきた人がたくさん居たりするのだろうか。だったら一言、言っておかないといかんのかもしれん。そんな状況は、昔はなかったよ。貴方達、どこかで「洗脳」されちゃったんだよ。たぶん。

「いや、そんなことはない。知らない人に挨拶する場面はたくさんあった」と主張する人がいるかもしれんけど。そういう人達は、そのときの状況、いや、条件を、失念してる・見落としてるのだろうとも思う。

挨拶するためには何かしら条件を満たしてる必要があることを意識できているか。 :

挨拶というのは、対人トラブル回避のための手段だろうと自分は捉えてるのだけど。その手段を活用するためには、何かしらの条件を満たしてる必要がある。
  • お互い知ってる人同士か、てのもそうだし。
  • その場の上下関係に合致した流れで行われてたりするか、ってのもそうだし。
  • 仲間意識を持ってるか、てのもそうだし。
他にも色々あるとは思うけど。

例えば、山登りをしてるときなんかは、知らない人同士でも、すれ違うときに比較的自然に挨拶したりする。何故かと言うと、それはどちらも山登りをしてる・汗をかいてるという仲間意識がそこに芽生えているからで。条件を満たしてるから、自然に挨拶できてるわけですよ。…まあ、お互い生命の危機に遭遇する可能性が高い場所でもあるから、少しでも個体同士の情報伝達の閾値を低くすることで、緊急事態に対応しやすくするとか色々効能があるんだけど。

といった感じで、何かしらの条件を満たしてないと手段として有効ではない・場面によっては逆にトラブルを招きかねないアクションなのだけど。そういったことを多少は意識しながら、挨拶という手段を上手に利用できているだろうか。まあ、ほとんどの人は無意識、かつ、瞬時にその状況を判断して挨拶してるわけだけど。…ただ、それらを何も意識することなく、「とにかく挨拶すればいいはずだ」的、ある種思考停止に陥った状態で「挨拶すべし」と主張してるのであれば、どうかと思うのだな。

「親や先生や上司から、ずっと『挨拶しろ』と言われてきたのだから、私達はとにかく挨拶しなきゃいけないのだ」という考え方・捉え方じゃなくて。自分自身の頭で、「どうして挨拶するのか」「挨拶することで何の情報を相手に渡してるのか」「挨拶すると自分は何が得られるのか」――「挨拶とは一体なんぞや」というところまで考えてみた上で、「やっぱり挨拶すべし」という結論を導き出さないと、説得力を持たないのではないかと思える。

で。そのへん考えると、むやみやたらに見知らぬ人に挨拶すりゃいいってもんでもないだろ、という考えに自分はなるのだけど。「挨拶すべし」という人は、どういうロジックでもって、それを主張してるのかしら。

そこで得ようとしてる効果は、知ってる人同士で挨拶するだけでは得られないものなのか。知らない人に挨拶しなきゃ得られないものなのか。…といったところまで考えて発言・提案してるのかなぁ。と疑問が湧いたりもする。

そもそも自分自身は知らない人にも挨拶してるのか。 :

毎日の、職場への行き帰りで、何人ぐらいの「知らない人」に挨拶してますか。子供の頃に、知らない大人にも誰彼構わず挨拶していましたか。

自分はやってない・やってなかったことを、子供に強制するってのは、極めて無責任な大人の姿ではないか。子供に強制する前に、自分自身がそれを実行しているのか、胸に手をあてて思い返してみる必要があるのではないか。

実際に知らない子供から挨拶された体験があるか。 :

知らない子供から道端で突然挨拶されるってのも、実は結構ビックリするものなのだけど。「挨拶すべし」派は、子供から挨拶された体験があるんだろうか。そういう状況に遭遇したとき、適切な応対ができる自信があるのか。

道を歩いていて角を曲がったら玄関先に繋がれていた犬から突然吠えられて心の臓が止まるかと思った、なんてときに「あービックリしたー。でも、犬は吠えるもんだよね」で済んでしまう人間ばかりでこの世界は構成されているだろうか。中にはカッときて犬に石をぶつける人も居るんじゃないの? てなことを自分などは想像するのだけど。

とりあえず、 _現実に石をぶつけられた犬、じゃなくて殴られた子供が出てしまってる というのに、どうしてそのようなことが起きたのか、双方の心情はどのようなものであったか考えを巡らせてみることもなく。また、挨拶にどんな意味があるのか、なぜ挨拶するのか、「挨拶すべし」運動を肯定・継続することで何を得ようとしてるのか、さして理論武装するわけでもなく。「子供に挨拶させないのはおかしい」と発言してしまうことに奇妙なものを感じる。漠然とした印象論で語ってしまってる・実際にはどういう状況が起こりうるかたいしてシミュレーションもしていないのは、むしろそちら側じゃないのか。ってこれもまた印象論に過ぎないのがアレなんだけど。

つーか元々の「挨拶すべし」運動を発案・提案・展開したのは誰なんだろう。どういうロジックを構築してその運動を展開すべしと考えたのか。しっかりしたロジックがそこにあったなら、事件が起きても「やはり挨拶させるべし」という論調になったのではないかと思うのだが…。そうはならないあたり、たいした考えもなく始めた運動ではなかろうか。てな予感。そんないいかげんな運動を肯定し続けるのも、随分馬鹿馬鹿しいことではあるまいか。

まあ、単にアクションが両極端になってるだけかもしれんけど。 :

ここは挨拶したほうがいいかな、と思えたときは、相手が知らない人でも挨拶すりゃいいし。挨拶しないほうがいいかな、と思えたときは、知ってる人でも挨拶しないのもアリ。なんだろうけど。子供はそのアナログな判断が難しくて、片方のアクションを指示すると0/1的にそればっかりになっちゃってまずいときもある、という話かもしれん。

結局のところ、「空気を読む」能力をどうやって身につけさせるのか、という話になってしまうのだろうか。…それ、大人でも難しいことだけどなぁ。

バランスが肝要ってことなんでせうか。能天気になり過ぎて「挨拶しろしろ」言うのもアレだし。ビクビクし過ぎて「挨拶するなするな」言うのもアレだし。

この記事へのツッコミ

Re: 「知らない人に挨拶してはいけません」と先生が教えるのは当たり前のことではなかろうか by 名無しさん    2007/03/06 18:38
「知らない人に挨拶させろ派」っていうより、「挨拶させない派」と「挨拶させないのはどうよ派」でしょう。
「知らない人に挨拶させろ派」なんて言説はほとんどないのに、それをでっちあげて批判するのは、ちょっと空回りっぽい気も。
「〜派」の見極めができてないですな>自分 by mieki256    2007/03/07 15:37
> 「知らない人に挨拶させろ派」っていうより、
> 「挨拶させない派」と「挨拶させないのはどうよ派」でしょう。

たしかに。言われてみれば…。自分の書いた内容は、
「挨拶させないのはどうよ派」に対するソレではなく、
「知らない人に挨拶させろ派」へのソレですな…。

とはいえ、「挨拶させないのはどうよ派」が、
「知らない人に挨拶させろ派」の存在を意識した上で感想を述べてるのか、
という疑念はどうも残ってしまうですが…。

「知らない人に挨拶させろ派」の子供への指導が原因で、
指導どおりに振舞った子供が被害にあってしまう一例が出てきたが故に、
現在、「挨拶させない派」が主流になりつつある状態、
だろうと自分は想像してるのですが、
であれば、
「知らない人に挨拶させろ派」の主張の是非を語らずして
「挨拶させないのはどうよ派」の主張を展開させていくのは難しい、
というか大きな穴が開いてるのではないか、てな感じもするのですよね…。

しかし、それが空回りしてるように見えてしまうということは…
「挨拶させないのはどうよ派」は、
元々どうしてその事例が起きたのか実はたいして深く考えてない、
あるいは、
その事例は極めて特例であるから考慮するに値しない、
というある種の思考停止に陥ったまま語り続けてる、
ということなんでしょうか…。

…まあ、自分も、結局のところ、「極端すぎるのはどうよ」という、
「挨拶させないのはどうよ派」と似たような結論になっちゃうんですが。
そういう意味でも空回りしてますな…。
散々書いといて結局同じかよ! みたいな。
「知らない人に挨拶させろ派」はズルイ気もする by mieki256    2007/03/07 15:50
つーか「知らない人に挨拶させろ派」が
ダンマリを決め込んでるのが、なんだかアレなんだよなぁ…。

「子供の一人二人が犠牲になったとしても、挨拶はさせるべきだ!
 なぜならこういう効果が得られるからだ!」
と主張する人が居てもいいように思うんだけどなぁ。
「知らない人に挨拶させろ派」の主張 by がんした    2007/03/07 21:06
コンビニの接客マニアルによると、来客者には必ず相手の顔を見て「いらっしゃいませ」とするそうで、
顔を見て挨拶する事で相手を認知し犯罪抑止に繋がるから。
今回の『「おはよう」とあいさつした児童を殴る』でも、殴られた児童が不憫だが、
それによって潜在的不審者が認識されたので、挨拶メリットはあったのではなかろうか。
よって学校関係者は、知らない人に挨拶しても被害にあわない挨拶方法を指導するべきだ!とか主張してみたとする。

しかしながら、実の親が実の子を殺したり、顔見知りの級友からイジメを受けて自殺するよな
ご時世で、余計な事(知らない人に挨拶)をして損(殴られる)は割に合わない。
昔の人が「知らない人にも挨拶しなさい」と教えた『博愛主義』みたいな考え方は
尊ばれるべきで次世代にも受け継ぐ価値のある考え方だと思うが、時世に合わず
ボランテイア活動や社会奉仕との形を変えて、現代教育に受け継がれているから
「知らない人に挨拶させろ派」が居なくなってもイイじゃないかと。

そもそも、成年による児童への犯罪って戦後より戦前の方が多かったハズなのに「昔は良かった」とか普通に思えちゃうのは何でだろう。
Re: 「知らない人に挨拶させろ派」の主張 by けいと    2007/03/07 23:32
> 成年による児童への犯罪って戦後より戦前の方が多かったハズなのに「昔は良かった」とか普通に思えちゃうのは何でだろう

犯罪の中にも道徳があったからじゃないかと。

たとえば「物取り」の場合
昔は「物取り=貧乏」みたいな感覚だったものが
だんだん「物取り=所有欲」みたいな感覚になってきて
そのうち「物取り=自己満足」とか「物取り=嫌がらせ」っていう感じで
目的が手段になりはじめて
最近は「物取り=なんとなく、つい」「物取り=遊び感覚」って言う感じで悪意がなくなってきて
今は「物取り=換金して一儲け」とか「物取り=生活の足し」みたいに、
プロというか生業になってきているからじゃないかと。

殺人も
昔は「思い余って」「やむにやまれず」だったものが
最近は「ついかっとなって」「むしゃくしゃして」になって
今は「なんとなく」「気に入らなかった」「邪魔になった」っていう感じだし。

思えばここ数年「恥」という言葉が社会から消えて
「個」という言葉がやたら飛び交ってるような気がする。

挨拶って、共同体形成への第一歩なんだと思う。
みんな知ってる人にしてしまえば知らない人がいなくなる、みたいな。
Re: 「知らない人に挨拶させろ派」の主張 by mieki256    2007/03/11 23:53
> 『「おはよう」とあいさつした児童を殴る』でも殴られた児童が不憫だが、
> それによって潜在的不審者が認識されたので、挨拶メリットはあった

あー、なるほど。その論は結構通用しそうな気がします。
子供を、社会にとってある種のセンサとして活用、みたいな感じですかな。

とはいえ子供一人あたりにかかるコストが増大してるというか
子供を失った場合の損失が、
昔に比べて相対的に大きくなっている現状があるので
―― このへん、産婦人科医? 産婦人科? の減少と関係ありですが ――
―― 「昔は良かった」の印象論にも関係してるかな ――
故に「センサとして利用」などと口にしたらやっぱり反対されそうですな。
昔のように兄弟姉妹が6〜8人居るのが当たり前、
1人2人損失しても補填可能、な状況ならともかく…。

…しまった。
センサ云々は、別に大人が担当しても問題ないんだよな。
子供である必要性はないのか。
いやいや。そこは、センサとして警戒されにくいという効用が…
ちと無理があるか…。

以上です。

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