mieki256's diary



2007/02/24() [n年前の日記]

#1 [nitijyou] ktのページ作成中

せめて table に関しては、WYSIWYGタイプのツールが欲しい…。

#2 [jiji] 赤ん坊の生命より社会的ルールだかモラルだかの存続を最優先で考える大人が多いのだな

_「赤ちゃんポスト」容認、政府内で慎重意見続出
安倍首相も同日、首相官邸で記者団に、「子どもを産むからには親として責任を持って産むことが大切ではないか。匿名で子どもを置いていけるものを作るのがいいのかどうかというと、私は大変抵抗を感じる」と述べた。

「赤ちゃんポスト」容認、政府内で慎重意見続出 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) より

こういう発言をしちゃうところが、いいとこのお坊ちゃんというか、恵まれた環境で育ってきた人の証明、なんだろうなぁ…。まあ、前後の言葉を省かれてるだろうから、実際どういう発言だったのか判らんということは意識しておかないといかんのだけど。「抵抗は感じるが、設置してみる価値はある」という発言だったのかもしれんし。

育てられる状況にあるなら、そもそもポストを利用しないよなぁ。ポストを利用するってのは、にっちもさっちもいかなくなってる状況がそこにあるからだろうと。そういう状況に対して、何ら救済の手を伸ばさなかったら…子供を殺すとか親子心中するとか、そういう選択肢をとられてしまうかもしれない。そういった、更に悪い状況を多少は想像した上で判断しないといかん気がする。

この件に関して、最優先で考えるべきは、「親の責任」云々より、「子供の生命を救えるかどうか」だろうと。しかし、そのへんの優先順位が妙なことになってる人をチラホラ見かける。「命」より「社会のモラル」のほうが価値があるのだ、モラルを維持するためには赤ん坊の一人や二人見殺しにしたって構わんのだ、と思ってる人がこの国には多々居るということなんだろうけど。太平洋戦争から半世紀経過しても尚、この国では、人命より、ルールだかモラルだかの不定形なもの・空気が大事ということなのか。いや、皆様がそういう国であることを意識的に選択するのであれば、それはそれで。それが皆様の考える「美しい国」なのですね。でも、そういう流れを選択しようとしてることを、反対発言をする当人たちがどの程度意識できてるのか、そこが気になったりするわけで。

子供の命を救うことを最優先で考える社会なら、そもそもポストは要らないのだよな。 :

自分では育てられない、と思ったとき、子供を殺すより、施設に預かってもらったほうがいい ―― まずは子供を生かすことを優先せねばと考えるのが当たり前な社会であれば、ポストは要らない。子供を預かってほしいと頼める窓口さえあればいいわけで。

どうしてポストが必要になるのかと言うと、この社会には「親は責任を持って子供を育てるべき」というルール?モラル?を、誰もが尋常じゃない強さで ―― そのルールを破ることで自分が「世間様」から糾弾されることがまざまざと想像できるほどに ―― ハッキリと意識してるから。世間様から自分が非難されてしまう状況を想像して、そんな状況に自分が置かれるぐらいなら、子供を殺したほうが、(それがバレなければ)被害がはるかに少なくて済む。そのように思えてしまう人が居るから、子供が殺されるのではないだろうかと。

安倍氏が今更口にせずとも、子供を殺してしまう親は、責任を感じてると思うのだな。責任を感じてるからこそ ―― 子供の命より、「親が責任を持って育てる」という社会的ルールを守らなければならないと判ってるからこそ、ルールを破る自分の姿を明らかにするなど恐ろしくてできない、が故に子供を殺すのではないのかと。

「捨て子ポスト」「赤ちゃんポスト」という呼び名が良くない気もする。 :

「救命ポスト」「レスキューポスト」等の呼び名にしたほうが、そのシステムで何を改善しようとしてるのか多少伝わりやすくなるのではないかしらん。どうも、「捨てる」という言葉にばかり反応してしまう人が居るようだけど。「助ける」ためにポストを設置する、という話だろうと思うのですが。

まあ、「子供を助ける」という言葉より、「子供を捨てる」という言葉のほうがインパクトあるし。そっちばかりが印象に残って、妙な判断をしてしまいやすくなるのかもしれず。

_スーパーの袋に赤ん坊の遺体 愛知・一色町の公園造成地 :

24日午後2時15分ごろ、愛知県一色町小藪船江東の公園造成地で、工事関係者から「造成地内に捨てられていたスーパーの袋から、足のようなものが見える」と西尾署に通報があった。袋の中からはタオルでくるまれた赤ん坊の遺体が見つかり、同署が死体遺棄容疑で調べている。

調べでは、遺体は女児で、へその緒がついていた。あずまや風のベンチの上に袋が放置されていたのを、工事のようすを見に来た会社社長(39)が見つけたという。

asahi.com:スーパーの袋に赤ん坊の遺体 愛知・一色町の公園造成地 より

こういう事件を少しでも減らしたいが故の、ポスト設置じゃないのだろうか…。

などと書いてはみたものの :

昔は、間引き云々の話もあったしなぁ…。親が生きていけないのでは、子供を生かしておく意味は無い、という考えも昔からアリではあったのか。次世代を残すことに注力しないあたり、動物として異常な行動のような気もするけれど。ブラックバスなんかは飢餓状態に陥ると自分たちの稚魚まで食うという話もあるし。人間はそういうレベルの動物であると考えると別に不自然ではないのかな。他の動物に比べて成人になるまでに尋常じゃない手間隙・コストもかかるし。

ポストによって助けられた子供は、おそらくは税金を使って生活の面倒をみていくことになるんだろうけど。そのことに対して、「どこの馬の骨ともわからんガキなんぞを悠長に育てられるような経済的余裕なんて、もうこの社会にはないんだ」と言い切って殺してしまうという選択肢も、あったりするわけか。貧しい国ならそれもアリなんだろうな。さて、日本はそこまで貧しい国なんだろうか。

以上、1 日分です。

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