2024/05/03(金) [n年前の日記]
#1 [blender] blenderでcsvを扱えそうか調べてる
blenderで、連続した直線の座標値が記述されたcsvを読み込ませることができそうかどうかを調べているところ。QGISを使って取り出した道路データ(連続した直線データ)をcsvにして、それをblenderで読み込めば、周辺にモデルを配置したり等できるんじゃないのかなと…。
ググった感じでは、スクリプトを書くことで、座標値として読み込むことはできそうと分かった。ただ、各座標値が、どこと繋がっているかを反映させてる事例は見つけられなくて…。
もしかすると、csvを読み込んで Wavefront obj形式に変換する Pythonスクリプトでも書いたほうがいいのだろうか。Wavefront obj形式になれば、blender でインポートできるようになるし…。
あるいは、blender上で OpenStreetMap のデータを読み込めるアドオンを使ってしまったほうが楽だろうか。しかしその場合、blender から道路データをエクスポートできないと困るか…。
エクスポートするとしても、何をエクスポートしたら、道路上を移動するためのデータとして都合がいいのだろう。以下のようなデータが思いつくけれど…。
ググった感じでは、スクリプトを書くことで、座標値として読み込むことはできそうと分かった。ただ、各座標値が、どこと繋がっているかを反映させてる事例は見つけられなくて…。
もしかすると、csvを読み込んで Wavefront obj形式に変換する Pythonスクリプトでも書いたほうがいいのだろうか。Wavefront obj形式になれば、blender でインポートできるようになるし…。
あるいは、blender上で OpenStreetMap のデータを読み込めるアドオンを使ってしまったほうが楽だろうか。しかしその場合、blender から道路データをエクスポートできないと困るか…。
エクスポートするとしても、何をエクスポートしたら、道路上を移動するためのデータとして都合がいいのだろう。以下のようなデータが思いつくけれど…。
- 連続した辺を作成して、Wavefront obj形式でエクスポート。
- カーブ(ベジェやパス)をエクスポート。
- アニメーションデータを作成して、アニメーションの座標や角度をエクスポート。
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#2 [comic][anime] 起承転結金科玉条教はいかがなものか
思考メモ。
結論を先に書くけれど、「漫画の基本は起承転結」などと言う与太話を未だに信じてたり、ましてそんなものを作家さんに強制してるようではダメですよ。みたいな。
結論を先に書くけれど、「漫画の基本は起承転結」などと言う与太話を未だに信じてたり、ましてそんなものを作家さんに強制してるようではダメですよ。みたいな。
◎ 経緯 :
たまたま何かの拍子に、とある漫画原作アニメの感想の書き込みで、「起承転結になってないからこの原作者はダメだ!」と口走ってる人を目にしてしまって。
それを見て、自分は、「おいおい。起承転結なんてものを使って叩こうとしているお前がまずダメダメだろう…」と呆れてしまったのでした。
それを見て、自分は、「おいおい。起承転結なんてものを使って叩こうとしているお前がまずダメダメだろう…」と呆れてしまったのでした。
◎ 起承転結否定派の言 :
自分、高校時代から、「漫画の基本は起承転結」という話を「本当かなあ…?」「違うんじゃないか?」と疑ってたのですけど。
*1
後年、青年誌でギャグ漫画を連載してた漫画家さんが、「起承転結が基本とよく言われるけど、長年連載してきた感覚からするとアレは嘘なんじゃないか?」と発言していて、「ああ、やっぱりそうですよね」と思った記憶があって…。いや、漫画家さんの名前を思い出せないんだけど。随分昔の話だったと思うけど。誰だったかな…。
ググってみたけど、自分の記憶に該当する作家さん/発言には辿り着けなかった。ただ、「今時、起承転結はねえだろ」「アレは嘘です」「間違ってるよね」という言説にはそこそこ遭遇したのでメモ。
_起承転結は古すぎる|くしまちみなと
_漫画の作話について語りたい?構成について?|フタバノメ/20歳までに漫画のプロを目指す学生
_ジャンプの漫画学校講義録4 読切の目的と、読者を満たすテクニック
_読切漫画に関しては「構成」や「起承転結」なんて関係ない。 - 箱庭的ノスタルジー
_『鬼滅』も『スラダン』も、起承転結ではなく「起“転"承結」 ベストセラー著者が見つけた、読者の心をつかむストーリーの作り方 - ログミーBiz
_考察:4コマ漫画に「起承転結」という表現は適切か - 編集日誌になれません
_「起・承・転・結」は間違っている? - セグメントゲームズ
_今一度、起承転結について - セグメントゲームズ
_「起承転結」とかいう害悪 - Togetter
_起承転結で文を書くのはやめれ - Togetter
_起承転結は漢詩のためのもの。論文やビジネスには使えない - Togetter
リンク先を読んでもらったほうが理解できると思うけど、ざっくり雑にまとめてみると…。
つまるところ、「起承転結は基本」という話は「間違い」「時代遅れ」という流れになっている模様。「そんな馬鹿な」と思うならリンク先に目を通してもらえればと…。
少なくとも、作家や作品を叩くための棍棒として使っていいものではないよなあ…。そもそも、「絶対に守らなければいけない」というものでは全然ないわけだし…。
後年、青年誌でギャグ漫画を連載してた漫画家さんが、「起承転結が基本とよく言われるけど、長年連載してきた感覚からするとアレは嘘なんじゃないか?」と発言していて、「ああ、やっぱりそうですよね」と思った記憶があって…。いや、漫画家さんの名前を思い出せないんだけど。随分昔の話だったと思うけど。誰だったかな…。
ググってみたけど、自分の記憶に該当する作家さん/発言には辿り着けなかった。ただ、「今時、起承転結はねえだろ」「アレは嘘です」「間違ってるよね」という言説にはそこそこ遭遇したのでメモ。
_起承転結は古すぎる|くしまちみなと
_漫画の作話について語りたい?構成について?|フタバノメ/20歳までに漫画のプロを目指す学生
_ジャンプの漫画学校講義録4 読切の目的と、読者を満たすテクニック
_読切漫画に関しては「構成」や「起承転結」なんて関係ない。 - 箱庭的ノスタルジー
_『鬼滅』も『スラダン』も、起承転結ではなく「起“転"承結」 ベストセラー著者が見つけた、読者の心をつかむストーリーの作り方 - ログミーBiz
_考察:4コマ漫画に「起承転結」という表現は適切か - 編集日誌になれません
_「起・承・転・結」は間違っている? - セグメントゲームズ
_今一度、起承転結について - セグメントゲームズ
_「起承転結」とかいう害悪 - Togetter
_起承転結で文を書くのはやめれ - Togetter
_起承転結は漢詩のためのもの。論文やビジネスには使えない - Togetter
リンク先を読んでもらったほうが理解できると思うけど、ざっくり雑にまとめてみると…。
- 起承転結はそもそも漢詩が元ネタなので、小説、漫画、文章作成とは全然関係ない概念。
- 手塚治虫先生が、漫画にも起承転結が使えると言い出した…ということになっているらしい。(石ノ森先生も言ってたらしいけど、それはおそらく手塚先生の発言をよく考えずに受け売りで言ってただけではないか? と、これは自分の勝手な想像)
- ただ、後続の漫画家さん達の中では「ソレ、違うんじゃね?」という違和感があったらしくて。例えば劇画村塾を立ち上げた漫画原作者の小池一夫先生も、起承転結は実態に合ってないと感じて、ファーストシーン、展開部、クライマックス、エピローグ(orヒキ)と言い換えて、起承転結というワードは安易に使わないよう工夫しながら教えていたらしい。
- 最近は起承転結より、ハリウッドの三幕構成のほうがまだ妥当では、という話もあるけれど、それすら怪しいという話も出てきてる。
- 漫画雑誌の編集者さんも、「起承転結にこだわるな」「もっと気にしなきゃいけない部分がある」とアドバイスしてる。
つまるところ、「起承転結は基本」という話は「間違い」「時代遅れ」という流れになっている模様。「そんな馬鹿な」と思うならリンク先に目を通してもらえればと…。
少なくとも、作家や作品を叩くための棍棒として使っていいものではないよなあ…。そもそも、「絶対に守らなければいけない」というものでは全然ないわけだし…。
◎ 根拠のない想像 :
これは根拠のない想像だけど。起承転結って、「話を作るのが難しいなーと感じた時に、ひょっとしたらこういうことを意識すると楽になる時があったりするのかもしれませんよ知らんけど」程度の話だったんじゃないのかなと。
要は、ガイド、テンプレート、初心者のための型、自転車で言えば補助輪みたいなもので、まだ慣れてない時期は話作りをする上で使える場面があるのかもしれない、単なる道具、単なる一手段、色んなパターンがある中での一パターンに過ぎないのだろうと。
だけど、どこかの段階でちょっと変な人が勘違いしちゃって、「起承転結になってないとダメ!」と思い込んで周囲に強制し始めてしまったのではないだろうか。
これはアレじゃないかな。日本人がとにかく大好きで大好きでたまらない、「手段が目的になっちゃった」パターン。何か型があると、その型から外れたものは、型にハマってないというただそれだけの理由で叩かれてしまうアレ。どうもそんな気配がする。
要は、ガイド、テンプレート、初心者のための型、自転車で言えば補助輪みたいなもので、まだ慣れてない時期は話作りをする上で使える場面があるのかもしれない、単なる道具、単なる一手段、色んなパターンがある中での一パターンに過ぎないのだろうと。
だけど、どこかの段階でちょっと変な人が勘違いしちゃって、「起承転結になってないとダメ!」と思い込んで周囲に強制し始めてしまったのではないだろうか。
これはアレじゃないかな。日本人がとにかく大好きで大好きでたまらない、「手段が目的になっちゃった」パターン。何か型があると、その型から外れたものは、型にハマってないというただそれだけの理由で叩かれてしまうアレ。どうもそんな気配がする。
◎ 個人的に思ってること :
そもそも4コマ漫画を読んでたら、「起承転結って言うけど…おかしくないか?」とフツーに気づきそうだけど…。ほとんどの場合、最後が「転」じゃね? 他にも、「起転起転」とか「起転転転」とか色々なパターンがあったりするし。「必ずしも起承転結になってないよな」「もっと色んなパターンあるよな」「でもちゃんと面白いよなあ」「起承転結が大事って言うけどホントか?」と疑問を持たないのだろうか。
4コマ漫画と、長期連載のストーリー漫画を、「どちらも起承転結が基本」と言い出すのも無理がある気がする。長さもコマ数も全然違うのに同じ構成が使えます、ってそんなわけないじゃん。それぞれ異なる構成が求められてしかるべきなのでは。
ということで、「起承転結は基本」と、あちこちでまことしやかに言われてるけど、個人的には「ソレは嘘だろー」と思ってるのです。例外だらけで当てにならないし、そもそもどのあたりが「起」「承」「転」「結」なのか、皆でふわっとしたままそういうことを言ってる。無理矢理当てはめて説明してる肯定派の事例もチラホラ見かけてしまうあたり、どうも元々の「起承転結は基本」という言説自体が間違ってるとしか思えないのですが。
まして、そんな怪しげなもので作家や作品を叩いちゃダメだろ、そういうことはしちゃいけないよ、と思うのですけれど。
4コマ漫画と、長期連載のストーリー漫画を、「どちらも起承転結が基本」と言い出すのも無理がある気がする。長さもコマ数も全然違うのに同じ構成が使えます、ってそんなわけないじゃん。それぞれ異なる構成が求められてしかるべきなのでは。
ということで、「起承転結は基本」と、あちこちでまことしやかに言われてるけど、個人的には「ソレは嘘だろー」と思ってるのです。例外だらけで当てにならないし、そもそもどのあたりが「起」「承」「転」「結」なのか、皆でふわっとしたままそういうことを言ってる。無理矢理当てはめて説明してる肯定派の事例もチラホラ見かけてしまうあたり、どうも元々の「起承転結は基本」という言説自体が間違ってるとしか思えないのですが。
まして、そんな怪しげなもので作家や作品を叩いちゃダメだろ、そういうことはしちゃいけないよ、と思うのですけれど。
◎ 余談。イマジナリーラインも同類かもしれない :
これは余談だけど、「イマジナリーライン」も同類のような気がする…。
昔、宮崎ゴロー監督が「ゲド戦記」を作った際、「この監督、コンテでイマジナリーライン越えしちゃってるからダメだ! 映像の基礎も分かってねえ!」と叩いてた人達が居たけど…。とあるアニメ監督さんの言によると…。
「イマジナリーライン」についてちゃんと理解できてる人なら、「いや、これはOKな越え方でしょ」と判断できたのだろうけど。中途半端に知ってる人に限って棍棒にしちゃうのだろうなと…。
大体にして「イマジナリーライン」というのは、映像作品がほとんど存在しなかった時代に観客が混乱しないように考えられたテクニックなわけで。しかし自分達は、子供の頃からTVや映画を通じて膨大な数の映像作品を目にしているのだから状況が全然違う。今更、その映像を見ていて、君達は本当に混乱するのかね? 映画なんて滅多に見れなかった時代に ―― 「どうして写真が動いてるんだ?」と目を白黒させてた人達に向けて考え出したテクニックって、今でも本当に必須なんですか…? という疑問を、とあるアニメ演出家の方が昔発言してたのだけど、それもなんだか一理あるような気もするわけで。 *2
何にせよ、「起承転結」も「イマジナリーライン」も、これはちょっと何か問題があるなーと感じた時にコレを使うと少しマシになるかもしれん、程度のものだと思うのだけど、それらを絶対に守らなきゃいけない金科玉条(?)と思い込んで、しかもソレを使って作家や作品を攻撃するのはどうなんだろうと。ああいうのも、ある種の宗教なんだろうか…。どこかで洗脳を受けちゃって、それをずっと信じ続けてる人種なんだろうか…。
思考メモです。オチは無いです。
昔、宮崎ゴロー監督が「ゲド戦記」を作った際、「この監督、コンテでイマジナリーライン越えしちゃってるからダメだ! 映像の基礎も分かってねえ!」と叩いてた人達が居たけど…。とあるアニメ監督さんの言によると…。
- あの宮崎駿監督だってイマジナリーライン越えは盛んにしている。むしろ他の演出家と比べたら頻度が多いぐらい。
- ただし、宮崎駿監督がイマジナリーライン越えをする時は、えてして別構図を挿入して流れを一旦崩してからラインを越える。
- そしてゴロー監督も宮崎駿監督と全く同じ手法を使ってる。
「イマジナリーライン」についてちゃんと理解できてる人なら、「いや、これはOKな越え方でしょ」と判断できたのだろうけど。中途半端に知ってる人に限って棍棒にしちゃうのだろうなと…。
大体にして「イマジナリーライン」というのは、映像作品がほとんど存在しなかった時代に観客が混乱しないように考えられたテクニックなわけで。しかし自分達は、子供の頃からTVや映画を通じて膨大な数の映像作品を目にしているのだから状況が全然違う。今更、その映像を見ていて、君達は本当に混乱するのかね? 映画なんて滅多に見れなかった時代に ―― 「どうして写真が動いてるんだ?」と目を白黒させてた人達に向けて考え出したテクニックって、今でも本当に必須なんですか…? という疑問を、とあるアニメ演出家の方が昔発言してたのだけど、それもなんだか一理あるような気もするわけで。 *2
何にせよ、「起承転結」も「イマジナリーライン」も、これはちょっと何か問題があるなーと感じた時にコレを使うと少しマシになるかもしれん、程度のものだと思うのだけど、それらを絶対に守らなきゃいけない金科玉条(?)と思い込んで、しかもソレを使って作家や作品を攻撃するのはどうなんだろうと。ああいうのも、ある種の宗教なんだろうか…。どこかで洗脳を受けちゃって、それをずっと信じ続けてる人種なんだろうか…。
思考メモです。オチは無いです。
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以上、1 日分です。