2016/08/02(火) [n年前の日記]
#3 [anime] 某怪獣映画が気になる
庵野監督+樋口監督の新作実写映画「シン・ゴジラ」が公開されたそうで、そのせいかWeb上のあちこちでネタバレ記事がアップされていてうっかり読んでしまって「うあー」と思いながらも、どうやらネタバレしようがしまいがそんなの関係なく見たら間違いなく「スゲエ…」と思えそうな内容、らしいので、ちょっとホッとしていたり。大まかな流れを聞いただけでも、「さすが庵野監督…そうきたか…そりゃ面白くなるわ…」みたいな。
◎ 二つの不安点。 :
実は、個人的にちと不安だったわけで。何せ、あの庵野監督のことだから、EVA新劇場版のようにいつまで経っても完成しないんじゃないかと危惧してたというか…。
まあ、でも、東宝から発注されて作ってる企画だろうから好き勝手に締切伸ばせないだろうし。監督の尻を蹴っ飛ばしてくれる人も東宝側でしっかり用意してそうだし。そもそも庵野監督は総監督で、監督は樋口監督ってことになってるようだから、樋口監督が実質的な部分を担当してくれたならちゃんとしっかり完成まで持っていってくれるよな、庵野監督はともかく樋口監督なら大丈夫、とかそういうアレコレを妄想したりもして。何にせよ、完成して良かったです。「おめでとう」「おめでとう」「めでたいなあ」って感じです。
もう一つ不安だったのは…。重度の特撮オタクとして名高い(?)庵野監督のことだから、「ゴジラは着ぐるみでなければいかん」とか変なこと言い出したりせんやろな、てなあたりも不安だったわけで。
特撮オタクの中には、「着ぐるみ+ミニチュア+操演こそが至高」「CGは糞」とすぐに言い出すアレな人がたくさん居るので…。個人的には、そういう人種のせいで日本の特撮は死にかけたと思ってるので、「ゴジラも着ぐるみで」とか庵野監督が言い出してたら、ゴジラシリーズはまたしても死ぬだろうなと危惧してたというか。いや、EVAやキューティハニーで、ガンガンCG使ってる庵野監督がそういうこと言うわけないだろ、ガメラでCG活用の可能性を見せつけてくれた樋口監督も傍に居るんやで、とも思ってたけど。
初代ゴジラがどうして着ぐるみだったかと言えば、ゴジラと言う異形の怪物を表現しようと考えた時に、当時の特撮スタッフが持っている手札の中でベターと思われたのが着ぐるみだったから、だと思うわけで。しかし今はCGもあるのだから、ソレも含めてどの手札が一番効くか考えて選ばないといかんよなと。
そもそも、円谷英二氏は新技術が大好きな人だったから、CGが使える今の時代も御存命だったら、まるで玩具を弄る子供のように喜々としてCGを使って「こんな表現ができたぞ。どうだ、見たことない映像だろう」とかやってたでしょう、てな関係者の話も見かけた記憶もあるし。
それを考えると、「ゴジラは着ぐるみでなければ」なんてのは思考停止というか…。要は「型さえ守ってればいいのだ」という話だよなと。どんなジャンルもそうだけど、目的を忘れて、手段が目的になって、型を守ることが最優先になったら、そのジャンルは滅びるわけで。
円谷英二のスピリッツを僅かでも受け継いだ(つもり)の人間なら、そういうこと言ってっちゃいかんよなと。今使える技術を机上にずらりと並べて、「巨大な異形の怪物を、もっともそれらしく表現できる手法はどれか…」と考えて選ばないと。
なので、人間が中に入ることでデザイン上の制約を受けてしまう着ぐるみではなく、デザイン的な部分で融通が利くCGと、まだ生物らしさを手っ取り早く表現できるのであろうモーションキャプチャを組み合わせたという、ハリウッド版と同様の今回のゴジラの作り方を聞いて、なんだかホッとしたわけで。庵野監督と樋口監督は、特撮を滅ぼす側では無く、これからも特撮を発展させてくれる側だったと改めて再確認できたというか。
いや、特撮博物館だの、「巨神兵東京に現わる」を作ってしまった御仁が、安易に「着ぐるみでなきゃ」とか言い出すわけないんだけど。
ていうかまだ見てないのに、こんなにダラダラと書いてどうするのだ…。つまりはそれだけ、あの二人を起用した時点で、企画として面白い、ということだろうと思っているのですが。夢のような企画が現実になった、みたいな。
この調子でウルトラマンやライダーも手掛けてくれないかな…。無理か。せめて「○○原案」みたいな感じで絡んでもらえたりしないか…。
まあ、でも、東宝から発注されて作ってる企画だろうから好き勝手に締切伸ばせないだろうし。監督の尻を蹴っ飛ばしてくれる人も東宝側でしっかり用意してそうだし。そもそも庵野監督は総監督で、監督は樋口監督ってことになってるようだから、樋口監督が実質的な部分を担当してくれたならちゃんとしっかり完成まで持っていってくれるよな、庵野監督はともかく樋口監督なら大丈夫、とかそういうアレコレを妄想したりもして。何にせよ、完成して良かったです。「おめでとう」「おめでとう」「めでたいなあ」って感じです。
もう一つ不安だったのは…。重度の特撮オタクとして名高い(?)庵野監督のことだから、「ゴジラは着ぐるみでなければいかん」とか変なこと言い出したりせんやろな、てなあたりも不安だったわけで。
特撮オタクの中には、「着ぐるみ+ミニチュア+操演こそが至高」「CGは糞」とすぐに言い出すアレな人がたくさん居るので…。個人的には、そういう人種のせいで日本の特撮は死にかけたと思ってるので、「ゴジラも着ぐるみで」とか庵野監督が言い出してたら、ゴジラシリーズはまたしても死ぬだろうなと危惧してたというか。いや、EVAやキューティハニーで、ガンガンCG使ってる庵野監督がそういうこと言うわけないだろ、ガメラでCG活用の可能性を見せつけてくれた樋口監督も傍に居るんやで、とも思ってたけど。
初代ゴジラがどうして着ぐるみだったかと言えば、ゴジラと言う異形の怪物を表現しようと考えた時に、当時の特撮スタッフが持っている手札の中でベターと思われたのが着ぐるみだったから、だと思うわけで。しかし今はCGもあるのだから、ソレも含めてどの手札が一番効くか考えて選ばないといかんよなと。
そもそも、円谷英二氏は新技術が大好きな人だったから、CGが使える今の時代も御存命だったら、まるで玩具を弄る子供のように喜々としてCGを使って「こんな表現ができたぞ。どうだ、見たことない映像だろう」とかやってたでしょう、てな関係者の話も見かけた記憶もあるし。
それを考えると、「ゴジラは着ぐるみでなければ」なんてのは思考停止というか…。要は「型さえ守ってればいいのだ」という話だよなと。どんなジャンルもそうだけど、目的を忘れて、手段が目的になって、型を守ることが最優先になったら、そのジャンルは滅びるわけで。
円谷英二のスピリッツを僅かでも受け継いだ(つもり)の人間なら、そういうこと言ってっちゃいかんよなと。今使える技術を机上にずらりと並べて、「巨大な異形の怪物を、もっともそれらしく表現できる手法はどれか…」と考えて選ばないと。
なので、人間が中に入ることでデザイン上の制約を受けてしまう着ぐるみではなく、デザイン的な部分で融通が利くCGと、まだ生物らしさを手っ取り早く表現できるのであろうモーションキャプチャを組み合わせたという、ハリウッド版と同様の今回のゴジラの作り方を聞いて、なんだかホッとしたわけで。庵野監督と樋口監督は、特撮を滅ぼす側では無く、これからも特撮を発展させてくれる側だったと改めて再確認できたというか。
いや、特撮博物館だの、「巨神兵東京に現わる」を作ってしまった御仁が、安易に「着ぐるみでなきゃ」とか言い出すわけないんだけど。
ていうかまだ見てないのに、こんなにダラダラと書いてどうするのだ…。つまりはそれだけ、あの二人を起用した時点で、企画として面白い、ということだろうと思っているのですが。夢のような企画が現実になった、みたいな。
この調子でウルトラマンやライダーも手掛けてくれないかな…。無理か。せめて「○○原案」みたいな感じで絡んでもらえたりしないか…。
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以上です。