mieki256's diary



2014/09/05(金) [n年前の日記]

#1 [web][neta] 愚痴や悩みをひたすら聞くだけのサービスってどうだろう

HDDレコーダに録画してた花物語を視聴しているうちになんとなく思ったけど。愚痴や悩みをひたすら黙って聞くだけのWebサービスがあったらどうなんだろうと。もしかすると教会の懺悔室に近いのかもしれないけど。

ナントカ知恵袋?が一応ソレに近いのかな。でも、あそこは、もう創作の場になってしまっている気配が。

はてな匿名ダイアリーも、ちょっとそれに近い使い方ができるような気もしてきた。ただ、あそこは、誰も聞いてない・読んでないであろう雰囲気がちょっとあるような。

愚痴や悩みが強制的に全世界に公開されるのも、何か違う気がする。「ここだけの話」として悩みを打ち明けたいという需要もあったりしないのかな。

新興宗教団体などがそういうサービスを展開すれば信者獲得に繋がったりして美味しかったりしないか…。既にやってたりしそうだけど…。

もちろん、内容を聞いて、しかるべき団体・組織を紹介したほうが良いと思われる時はそちらに誘導して…。花物語のソレですな。

#2 [anime] EVAQ+巨神兵東京に現る、を視聴

TV放送されてたので見てみたり。

「巨神兵東京に〜」の感想。 :

「巨神兵東京に〜」は、とにかく映像が凄いなと。さすが樋口監督。

と言っても、特撮展覧会?向けに作った映像だから、おそらくミニチュア特撮技術をアピールするために、CGで素材を作らない等の制約を何かしら設けた上で取り組んだのだろうと想像するわけで。今時はこういう作り方をそもそも選択しないのではないか、と思いながら見ていたので、「映像が凄い」と言っても一般的な映画を見てる時の「凄い」とはちょっとズレてるというか、もしかすると「MZ-700版ゼビウス作りました」みたいな「凄い」に近いのかしらと。喩えとして違う気もするけど。

個人的には、日本の着ぐるみやミニチュアって、技術的進化が見えず、思考停止した「型」になりかけてるのに、そのことに危機感を持たず宗教のように肯定し続ける人が多くて、それほど好きではない ―― いや、正直言って嫌いなのだけど。このくらいの映像になるのであればアリかもと思えたり。偶然生まれる動きやオブジェクトの量がメリットなのだろうか、しかしコスト面ではどうなんだろう、などとぼんやり思いながら堪能させていただきました。何はともあれ、この短編、素晴らしい。

と思ったのだけど。ググってみたら劇場公開版は3DCGでエフェクト増やしてるそうで。ぎゃふん。まあ、巨神兵がおそらくは操演で動いてることに違いは無いのだろうから、ミニチュア特撮として眺めてもいいよな…。

_第11回:樋口真嗣(映画監督・特技監督) | REGULAR | CGWORLD.jp を眺めてたら、「目指した目標がフォトリアルではなく、ミニチュアワークの再現」だったそうで。だとすれば、「またミニチュアにしか見えない特撮やってるよ。ケッ」てな反応があれば大成功だったのだろうか…。なんだかよくわからなくなってきた。

EVAQの感想。 :

EVAQは、話・設定はわけがわからなかったけど、映像は凄かったなと。誰かがQに対して、「庵野のヤツ、またやりやがった!」と評してた記憶があるけど、コレはたしかに「また」だなあ、と笑ってしまったり。

自分、EVAに対しては、TVシリーズのラスト近辺で笑ってしまって以来、真面目に見てもアレだなと思ってるので、相変わらず映像スゲーなあ、ぐらいの感じでして…。正直こういう作りは飽きてるのだけど、EVAに入学する若い層も居るであろうことを考えると、こういうのもアリなのかなと。ヒットもしているみたいだし。

だけど、もうそろそろ、庵野監督の手掛ける「問題作」じゃなくて、庵野監督の手掛ける「名作」を見たいよなと。「トップ」「ナディア」の頃は、ある程度出来てた気もするので、庵野監督の持ち味・強みって、こういうソレだけではないはず、と思いたいのですが。EVAのTVシリーズでああいう作りをした時に、庵野監督とその仲間達は何かに憑りつかれてしまったような気もしていて。庵野版「カリ城」を作ってないうちに「もののけ姫」「千と千尋」を作ることに夢中になってしまった、そんな印象が。なんだかもったいない。

アゴ。 :

それはともかく、作画がおかしくなってるとWebの一部で話題になってたらしいと後になって知ったのだけど。別にそうは見えませんでしたが…。アゴがどうとか言ってる人が居るらしいけど、自分は気にならなかったな…。

そういや、少女漫画でも、絵柄に関してよくアゴがどうとかダメ出しされるのだけど、アレは何なんだろう…? おそらくは女性ファンが多いのであろう、京アニ制作の「Free!」も、アゴがダメ出しされてた場面を見かけたし。

女性は漫画絵のアゴばかり見てるのだろうか? それとも、アゴばかり注目されてしまう絵柄の系統でもあるんだろうか? アゴアゴ言われてしまう際の、その背景・状況が気になります。どうしてアゴばかり気にする人達が出現するのか。漫画絵におけるアゴとは何なのか。みたいな。

2014/09/06追記。 :

巨神兵はワイヤーで吊ってる操演かと思ったら、 _巨大フジアキコ隊員ごっこ: 木全直弘の航星日誌 によると二人羽織なのだそうで。文章だけではどういう状態なのか想像できず。

#3 [web] パクリは何故いかんのが実は自分も分かってない気がする

思考メモです。オチも結論もないです。

たまたまどこかで、パクリは何故いかんのか、と疑問を呈しているらしきWeb記事を目にして、言われてみればそうだなあ、答えられんな、困ったなと。や、中身はほとんど読んでないのですけど。記事名と冒頭だけ眺めて、「そういやそうだ。うーん」と悩んでしまって。

法律で決まってるからとか、法治国家だから、等の物言いでは、件の問いへの真の回答にならないのだよな…。どうしてその法律が必要になったのか、それを守るとどんな効果が期待できるのか、そこまで一応ざっくり説明できないと。その法律が妥当かどうか判断する努力を放棄したまま、宗教のようにそれが正しいはずと信じて運用してるのは危ない状態だし、「単に誰かが勝手に決めたルールだ。俺には関係ない」「ルールなんて破るもんだ」「そもそもルールが間違ってる」と言い出す人を説得できんし。

一時停止の標識の前では一時停止せよ、という法を、まるで校則のような理不尽なルールと思い込んで守らない人は多々居るだろうけど。ここは見通しが悪いところだから一時停止しないと事故の確率が上がるのだ、お前自身が酷い状況に合わないために親切にもヒントを出してくれてるんだよ、どうしてこんなところに一時停止があるんだと疑問を持つときがあるかもしれんが、それはつまり、現地の人は知ってるけれど、お前が気付けない、そんなトラップが仕込まれてる場所なのだ、だから一時停止しときなさい ―― てなところまで説明できれば、一時停止しないのは馬鹿だな、俺が損するわ、と理解できるわけで。

なので、「ルールを守れ」としか言えないようでは回答になってない。「ルールを守れ。なぜなら〜」の「なぜなら〜」の部分が回答としては重要というか、そこで説得力の有無が決まってくるというか。

それとは別に。パクられた側の気持ちになれ、嫌な気持ちになるだろう、他人が嫌がるようなことはするな、という物言いも回答にならないよなと。そのロジックでは、「俺は逆にパクられると嬉しいよ」と言い出す人が出てきたときに是非の判定ができなくなってしまう。

やっかいなことに、「他人が嫌がることをするな」てな論を持ち出す人は、ソレ以外の反応をする人達の存在をなかなか想像できないところがあって。「パクられると嬉しいヤツなんて居るわけない」と言い出したり、実際出現すると「そんなの例外だ」「異常だ」「コイツは嘘をついてる」等の否定しか出てこないであろうことは容易に想像できてしまうし。そして、そういう反応しか出てこないなと既に見えちゃってる頭のイイ人は、天邪鬼っぽく、わざとらしく、「いや、俺はパクられると嬉しいんですけど?」などと言い出して相手をからかう、みたいな展開すら予測できるわけで。

結局、感情という不確かなもの、個によって異なる可能性が高い何かを拠り所にして是非を判定しているようでは、反した感情が出現した時に容易に判定結果も反転してしまうわけで…。同じ思考・価値観しか持たない集団の中ではそういう物言いも有効だろうけど、異物が入ってきたときに対処できない。よって、回答としては危ういわけで。情に訴える説得は、情を持ってない人には通じないというか。

てなことを考えていくと、ここは一つ、風が吹けば桶屋が儲かるのノリで回答を用意しないといかんのだろうなと。パクリを許容すると、こうなってこうなってこうなるけど、パクリを禁止すれば、こうなってこうなってこうなる。これこれこういう効果が期待できるだろう? お前にとっても、俺にとっても、損にはならない展開だろう? それは社会を維持する上でメリットになるだろう? だからパクリはいかんのだ、みたいな。

おそらくそういうロジックが提示できれば多少は説得力が出てくる・反論しにくくなるのだろうけど。…ただ、自分は頭が悪いので、こうなってこうなってこうなる、の部分を考え出せないので、答えられんな、困ったな、と思ってしまったという、ただそれだけの話なわけですけど。答えられないってことは、実はパクリって許容されてもいいのだろうか。 パクリはいかんと自分達は思い込まされてるだけじゃないのか。どうなんだろう。誰か頭のイイ人が論陣を張ってくれないものか。などと他力本願なことを望んでしまったりもして。

そもそも、パクリ、オマージュ、インスパイア、引用、等々の定義がぼんやりしてたら、回答を捻り出すのも難しいですな…。そこで言ってるパクリってのは、具体的にはどういう行為なのか、明確になってないと…。

実のところ、「パクリは何故いかんのか」と言い出す人にも、回答を本当に求めている人と、そうではない人の2種類がありそう。後者の前では、説得力云々は関係ないよな…。どうせ何を言っても次々に変な言い訳して煙に巻くのだろうし…。幼児が何か悪さをした時にその行為を叱っても、「だって○○が…」とわけわかんないことをいつまでも言い続けるのと同じというか。その行為のデメリットをどれだけ力説しても届かないよな…。

オチは無いです。ただの思考メモです。

Webって、いや、コンピュータ関係のアレコレって、寸分違わぬコピーを繰り返すことで成り立つ仕組みが基礎にあるから、そういう視点で考えていくとなんだか悩んでしまうなと。パクリ=コピーと捉えて、かつ、パクリは許されぬ行為だと言い張ると、Webの存在自体が許されないことに。良否の境界はどこにあるんですか、という話に。面倒臭い。

以上、1 日分です。

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