2014/09/05(金) [n年前の日記]
#3 [web] パクリは何故いかんのが実は自分も分かってない気がする
思考メモです。オチも結論もないです。
たまたまどこかで、パクリは何故いかんのか、と疑問を呈しているらしきWeb記事を目にして、言われてみればそうだなあ、答えられんな、困ったなと。や、中身はほとんど読んでないのですけど。記事名と冒頭だけ眺めて、「そういやそうだ。うーん」と悩んでしまって。
法律で決まってるからとか、法治国家だから、等の物言いでは、件の問いへの真の回答にならないのだよな…。どうしてその法律が必要になったのか、それを守るとどんな効果が期待できるのか、そこまで一応ざっくり説明できないと。その法律が妥当かどうか判断する努力を放棄したまま、宗教のようにそれが正しいはずと信じて運用してるのは危ない状態だし、「単に誰かが勝手に決めたルールだ。俺には関係ない」「ルールなんて破るもんだ」「そもそもルールが間違ってる」と言い出す人を説得できんし。
一時停止の標識の前では一時停止せよ、という法を、まるで校則のような理不尽なルールと思い込んで守らない人は多々居るだろうけど。ここは見通しが悪いところだから一時停止しないと事故の確率が上がるのだ、お前自身が酷い状況に合わないために親切にもヒントを出してくれてるんだよ、どうしてこんなところに一時停止があるんだと疑問を持つときがあるかもしれんが、それはつまり、現地の人は知ってるけれど、お前が気付けない、そんなトラップが仕込まれてる場所なのだ、だから一時停止しときなさい ―― てなところまで説明できれば、一時停止しないのは馬鹿だな、俺が損するわ、と理解できるわけで。
なので、「ルールを守れ」としか言えないようでは回答になってない。「ルールを守れ。なぜなら〜」の「なぜなら〜」の部分が回答としては重要というか、そこで説得力の有無が決まってくるというか。
それとは別に。パクられた側の気持ちになれ、嫌な気持ちになるだろう、他人が嫌がるようなことはするな、という物言いも回答にならないよなと。そのロジックでは、「俺は逆にパクられると嬉しいよ」と言い出す人が出てきたときに是非の判定ができなくなってしまう。
やっかいなことに、「他人が嫌がることをするな」てな論を持ち出す人は、ソレ以外の反応をする人達の存在をなかなか想像できないところがあって。「パクられると嬉しいヤツなんて居るわけない」と言い出したり、実際出現すると「そんなの例外だ」「異常だ」「コイツは嘘をついてる」等の否定しか出てこないであろうことは容易に想像できてしまうし。そして、そういう反応しか出てこないなと既に見えちゃってる頭のイイ人は、天邪鬼っぽく、わざとらしく、「いや、俺はパクられると嬉しいんですけど?」などと言い出して相手をからかう、みたいな展開すら予測できるわけで。
結局、感情という不確かなもの、個によって異なる可能性が高い何かを拠り所にして是非を判定しているようでは、反した感情が出現した時に容易に判定結果も反転してしまうわけで…。同じ思考・価値観しか持たない集団の中ではそういう物言いも有効だろうけど、異物が入ってきたときに対処できない。よって、回答としては危ういわけで。情に訴える説得は、情を持ってない人には通じないというか。
てなことを考えていくと、ここは一つ、風が吹けば桶屋が儲かるのノリで回答を用意しないといかんのだろうなと。パクリを許容すると、こうなってこうなってこうなるけど、パクリを禁止すれば、こうなってこうなってこうなる。これこれこういう効果が期待できるだろう? お前にとっても、俺にとっても、損にはならない展開だろう? それは社会を維持する上でメリットになるだろう? だからパクリはいかんのだ、みたいな。
おそらくそういうロジックが提示できれば多少は説得力が出てくる・反論しにくくなるのだろうけど。…ただ、自分は頭が悪いので、こうなってこうなってこうなる、の部分を考え出せないので、答えられんな、困ったな、と思ってしまったという、ただそれだけの話なわけですけど。答えられないってことは、実はパクリって許容されてもいいのだろうか。 パクリはいかんと自分達は思い込まされてるだけじゃないのか。どうなんだろう。誰か頭のイイ人が論陣を張ってくれないものか。などと他力本願なことを望んでしまったりもして。
そもそも、パクリ、オマージュ、インスパイア、引用、等々の定義がぼんやりしてたら、回答を捻り出すのも難しいですな…。そこで言ってるパクリってのは、具体的にはどういう行為なのか、明確になってないと…。
実のところ、「パクリは何故いかんのか」と言い出す人にも、回答を本当に求めている人と、そうではない人の2種類がありそう。後者の前では、説得力云々は関係ないよな…。どうせ何を言っても次々に変な言い訳して煙に巻くのだろうし…。幼児が何か悪さをした時にその行為を叱っても、「だって○○が…」とわけわかんないことをいつまでも言い続けるのと同じというか。その行為のデメリットをどれだけ力説しても届かないよな…。
オチは無いです。ただの思考メモです。
Webって、いや、コンピュータ関係のアレコレって、寸分違わぬコピーを繰り返すことで成り立つ仕組みが基礎にあるから、そういう視点で考えていくとなんだか悩んでしまうなと。パクリ=コピーと捉えて、かつ、パクリは許されぬ行為だと言い張ると、Webの存在自体が許されないことに。良否の境界はどこにあるんですか、という話に。面倒臭い。
たまたまどこかで、パクリは何故いかんのか、と疑問を呈しているらしきWeb記事を目にして、言われてみればそうだなあ、答えられんな、困ったなと。や、中身はほとんど読んでないのですけど。記事名と冒頭だけ眺めて、「そういやそうだ。うーん」と悩んでしまって。
法律で決まってるからとか、法治国家だから、等の物言いでは、件の問いへの真の回答にならないのだよな…。どうしてその法律が必要になったのか、それを守るとどんな効果が期待できるのか、そこまで一応ざっくり説明できないと。その法律が妥当かどうか判断する努力を放棄したまま、宗教のようにそれが正しいはずと信じて運用してるのは危ない状態だし、「単に誰かが勝手に決めたルールだ。俺には関係ない」「ルールなんて破るもんだ」「そもそもルールが間違ってる」と言い出す人を説得できんし。
一時停止の標識の前では一時停止せよ、という法を、まるで校則のような理不尽なルールと思い込んで守らない人は多々居るだろうけど。ここは見通しが悪いところだから一時停止しないと事故の確率が上がるのだ、お前自身が酷い状況に合わないために親切にもヒントを出してくれてるんだよ、どうしてこんなところに一時停止があるんだと疑問を持つときがあるかもしれんが、それはつまり、現地の人は知ってるけれど、お前が気付けない、そんなトラップが仕込まれてる場所なのだ、だから一時停止しときなさい ―― てなところまで説明できれば、一時停止しないのは馬鹿だな、俺が損するわ、と理解できるわけで。
なので、「ルールを守れ」としか言えないようでは回答になってない。「ルールを守れ。なぜなら〜」の「なぜなら〜」の部分が回答としては重要というか、そこで説得力の有無が決まってくるというか。
それとは別に。パクられた側の気持ちになれ、嫌な気持ちになるだろう、他人が嫌がるようなことはするな、という物言いも回答にならないよなと。そのロジックでは、「俺は逆にパクられると嬉しいよ」と言い出す人が出てきたときに是非の判定ができなくなってしまう。
やっかいなことに、「他人が嫌がることをするな」てな論を持ち出す人は、ソレ以外の反応をする人達の存在をなかなか想像できないところがあって。「パクられると嬉しいヤツなんて居るわけない」と言い出したり、実際出現すると「そんなの例外だ」「異常だ」「コイツは嘘をついてる」等の否定しか出てこないであろうことは容易に想像できてしまうし。そして、そういう反応しか出てこないなと既に見えちゃってる頭のイイ人は、天邪鬼っぽく、わざとらしく、「いや、俺はパクられると嬉しいんですけど?」などと言い出して相手をからかう、みたいな展開すら予測できるわけで。
結局、感情という不確かなもの、個によって異なる可能性が高い何かを拠り所にして是非を判定しているようでは、反した感情が出現した時に容易に判定結果も反転してしまうわけで…。同じ思考・価値観しか持たない集団の中ではそういう物言いも有効だろうけど、異物が入ってきたときに対処できない。よって、回答としては危ういわけで。情に訴える説得は、情を持ってない人には通じないというか。
てなことを考えていくと、ここは一つ、風が吹けば桶屋が儲かるのノリで回答を用意しないといかんのだろうなと。パクリを許容すると、こうなってこうなってこうなるけど、パクリを禁止すれば、こうなってこうなってこうなる。これこれこういう効果が期待できるだろう? お前にとっても、俺にとっても、損にはならない展開だろう? それは社会を維持する上でメリットになるだろう? だからパクリはいかんのだ、みたいな。
おそらくそういうロジックが提示できれば多少は説得力が出てくる・反論しにくくなるのだろうけど。…ただ、自分は頭が悪いので、こうなってこうなってこうなる、の部分を考え出せないので、答えられんな、困ったな、と思ってしまったという、ただそれだけの話なわけですけど。答えられないってことは、実はパクリって許容されてもいいのだろうか。 パクリはいかんと自分達は思い込まされてるだけじゃないのか。どうなんだろう。誰か頭のイイ人が論陣を張ってくれないものか。などと他力本願なことを望んでしまったりもして。
そもそも、パクリ、オマージュ、インスパイア、引用、等々の定義がぼんやりしてたら、回答を捻り出すのも難しいですな…。そこで言ってるパクリってのは、具体的にはどういう行為なのか、明確になってないと…。
実のところ、「パクリは何故いかんのか」と言い出す人にも、回答を本当に求めている人と、そうではない人の2種類がありそう。後者の前では、説得力云々は関係ないよな…。どうせ何を言っても次々に変な言い訳して煙に巻くのだろうし…。幼児が何か悪さをした時にその行為を叱っても、「だって○○が…」とわけわかんないことをいつまでも言い続けるのと同じというか。その行為のデメリットをどれだけ力説しても届かないよな…。
オチは無いです。ただの思考メモです。
Webって、いや、コンピュータ関係のアレコレって、寸分違わぬコピーを繰り返すことで成り立つ仕組みが基礎にあるから、そういう視点で考えていくとなんだか悩んでしまうなと。パクリ=コピーと捉えて、かつ、パクリは許されぬ行為だと言い張ると、Webの存在自体が許されないことに。良否の境界はどこにあるんですか、という話に。面倒臭い。
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以上です。