2014/05/05(月) [n年前の日記]
#3 [anime] ナレーションについてもやもや考えたり
HUNTERxHUNTERというTVアニメを視聴し続けているのですが。蟻がどうこうの話になってから、ずっとナレーションが多用されていて、そこがなんだか気になっていたり。おそらく原作漫画がそういう作りなのかなと想像してますが。
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一般的に、映像作品においては、ナレーションの多用は避けるべき、という雰囲気があるように感じているのですけど。どうしてそれがNGなのか、自分には理由が分からんのですが。しかし、件のアニメを見ていると、ナレーションの多用が作品を面白くする方向に働く場合もあるのだなと思えてきて、その作りに毎回感心しているのでした。
件のアニメにおけるナレーションの担当は、バトル間の静寂時における登場人物の心理描写、あるいはバトル中のシミュレーション内容の補足になっていて。例えば…。
ナレーション 「キルアは、今までの戦いの中で感じたことのないプレッシャーを受けた」
てな感じの説明が入ったりする。これを絵で伝えようとしても無理があるわけですよ。
一応、プレッシャーを受けていること「だけ」を絵で伝えるのは可能ですけど。
そこでようやく、自分は今頃になって、「ナレーションとは、文学的表現・詩的表現・時間情報の圧縮まで担うことができる役者の一人、登場人物の一人」であることに気づいたりしたわけですが。
視聴者に情報を伝達する際、言葉で説明したほうが分かりやすいものと、絵で説明したほうが分かりやすいものがあって。この見極めを間違えると、状況が上手く伝わらなくて、作品にのめり込んでもらえない。アニメにしろ実写にしろ総合芸術ですので、言葉だけに頼って説明するのもNGだし、絵だけに頼って説明するのもNGなわけで。両方活用できないならアニメで作る意味が無いよなと自分は思うわけですけど。
そして、言葉で伝える場合によくある手として、説明台詞を吐かせるわけですが。説明台詞ばかりだと、リアルから乖離するわけですよ。
「ナウシカは独り言が多いね」と時々揶揄されますが、独り言として説明させないと設定が伝わらないから仕方ない。だけどその分、不自然なシーンになって、そこを視聴者からツッコまれてしまう。ツッコまれるのは、視聴者が冷めた状態で見ているからで。のめり込んで見ているなら、ツッコまれないはずで。なので、あまり良い状態ではない。
対して高畑アニメは、ナレーションを頻繁に使う。それはおそらく、会話シーンの中に登場する説明台詞を、極力ナレーションへと追いやることで、シーンそのものは自然にしよう、リアルにしようと試みてるからではないのかと。高畑監督は、リアル志向ですから…。
また、ナレーションとは神の視点を持つ存在ですが、その存在がどこに位置しているかは作品によって異なるなと。HUNTERxHUNTERは、おそらくバトルをしてる人物たちのすぐ傍に居て解説してる、そんな距離感のように思えたり。高畑アニメは、人物達からもっと離れた高いところで語っている印象。宮崎アニメは、そもそもナレーションなんて役者は居ないし、入れるつもりもないように見えますが。
何にせよ、ナレーションも役者の一人なんだと捉えることができれば、どこに立たせて、どこからどこまで語ってもらうか、そのあたりも見えてきて上手に活用できたりするのかなー、どうなんだろうなー、てなことをもやもや考えてしまったので一応メモ。
そういえば、ラノベ原作アニメの場合は、モノローグがナレーション代わりになってるなと。ナレーションの多用と、モノローグの多用では、印象が違ってくるのだろうか…? ちょっとよく分からないな…。
バラエティ番組では、ナレーションが「天の声」などと呼ばれてキャラ化してたりしますわな。そういう使い方をアニメでも…。いや、タイムボカンシリーズあたりで既にやってた気もするかな…。
一般的に、映像作品においては、ナレーションの多用は避けるべき、という雰囲気があるように感じているのですけど。どうしてそれがNGなのか、自分には理由が分からんのですが。しかし、件のアニメを見ていると、ナレーションの多用が作品を面白くする方向に働く場合もあるのだなと思えてきて、その作りに毎回感心しているのでした。
件のアニメにおけるナレーションの担当は、バトル間の静寂時における登場人物の心理描写、あるいはバトル中のシミュレーション内容の補足になっていて。例えば…。
ナレーション 「キルアは、今までの戦いの中で感じたことのないプレッシャーを受けた」
てな感じの説明が入ったりする。これを絵で伝えようとしても無理があるわけですよ。
一応、プレッシャーを受けていること「だけ」を絵で伝えるのは可能ですけど。
- 人物の塗りを青くしたり、
- 人物の顔に影を落としたり、
- 背景でモヤモヤした模様を動かしたり、
- 滝のように汗をかかせたり、
- 敵の姿をゴジラサイズで描いたり、
そこでようやく、自分は今頃になって、「ナレーションとは、文学的表現・詩的表現・時間情報の圧縮まで担うことができる役者の一人、登場人物の一人」であることに気づいたりしたわけですが。
視聴者に情報を伝達する際、言葉で説明したほうが分かりやすいものと、絵で説明したほうが分かりやすいものがあって。この見極めを間違えると、状況が上手く伝わらなくて、作品にのめり込んでもらえない。アニメにしろ実写にしろ総合芸術ですので、言葉だけに頼って説明するのもNGだし、絵だけに頼って説明するのもNGなわけで。両方活用できないならアニメで作る意味が無いよなと自分は思うわけですけど。
そして、言葉で伝える場合によくある手として、説明台詞を吐かせるわけですが。説明台詞ばかりだと、リアルから乖離するわけですよ。
「ナウシカは独り言が多いね」と時々揶揄されますが、独り言として説明させないと設定が伝わらないから仕方ない。だけどその分、不自然なシーンになって、そこを視聴者からツッコまれてしまう。ツッコまれるのは、視聴者が冷めた状態で見ているからで。のめり込んで見ているなら、ツッコまれないはずで。なので、あまり良い状態ではない。
対して高畑アニメは、ナレーションを頻繁に使う。それはおそらく、会話シーンの中に登場する説明台詞を、極力ナレーションへと追いやることで、シーンそのものは自然にしよう、リアルにしようと試みてるからではないのかと。高畑監督は、リアル志向ですから…。
また、ナレーションとは神の視点を持つ存在ですが、その存在がどこに位置しているかは作品によって異なるなと。HUNTERxHUNTERは、おそらくバトルをしてる人物たちのすぐ傍に居て解説してる、そんな距離感のように思えたり。高畑アニメは、人物達からもっと離れた高いところで語っている印象。宮崎アニメは、そもそもナレーションなんて役者は居ないし、入れるつもりもないように見えますが。
何にせよ、ナレーションも役者の一人なんだと捉えることができれば、どこに立たせて、どこからどこまで語ってもらうか、そのあたりも見えてきて上手に活用できたりするのかなー、どうなんだろうなー、てなことをもやもや考えてしまったので一応メモ。
そういえば、ラノベ原作アニメの場合は、モノローグがナレーション代わりになってるなと。ナレーションの多用と、モノローグの多用では、印象が違ってくるのだろうか…? ちょっとよく分からないな…。
バラエティ番組では、ナレーションが「天の声」などと呼ばれてキャラ化してたりしますわな。そういう使い方をアニメでも…。いや、タイムボカンシリーズあたりで既にやってた気もするかな…。
◎ 関係ありそうな記事をメモ。 :
_シナリオ道ぶらり旅: 「あまちゃん」のナレーション芸
_ナレーションおよび物語分析の再考 - 2010-08-18 - 感情レヴュー
_ナレーションとは何か(1) - 映像制作会社のブログ
_青春アドベンチャー雑記帳〜オーディオドラマ・ラジオドラマの世界 番組について
「ナレーションを使い過ぎると朗読劇になっちゃうよ」てのが多用しちゃいかん論の根拠なのかしら。
_ナレーションおよび物語分析の再考 - 2010-08-18 - 感情レヴュー
_ナレーションとは何か(1) - 映像制作会社のブログ
_青春アドベンチャー雑記帳〜オーディオドラマ・ラジオドラマの世界 番組について
「ナレーションを使い過ぎると朗読劇になっちゃうよ」てのが多用しちゃいかん論の根拠なのかしら。
*1: もっとも自分は原作未読なので、もしかするとアニメ版だけの作りかもしれませんが。
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以上です。