mieki256's diary



2014/03/02() [n年前の日記]

#1 [anime][neta] 他作品のアニメキャラにアニメの宣伝をしてもらうことってできないのかな

自分、「魔法戦争」なるアニメを、一応視聴していたりするのです。設定も展開もツッコミどころ満載、かつ、作画も結構怪しいアニメで。設定面は中二病アニメの代表例っぽいなと思いつつ。しかし、ED曲とED映像だけが異様にカッコよくて。「これは平成の国際映画社作品ですか…」「このEDがすばらしいために…30分間俺たちはTV前に拘束されるわけだなっ! なんちゃって」などと思いつつ別作業しながらBGVとして流してる、みたいな状態で。

ふと、なんとなく。このアニメって、「中二病でも〜」のヒロイン(立花?)が、TVの前で「ふおおおっ…ふおおおうっ…」と興奮しながら夢中になって見てそうなアニメだよなあ、と妙な妄想をしてしまって。

そこからの連想で。とあるアニメの宣伝を、他のアニメのキャラがする、そういうCM・宣伝手法ってできないものかなと。

立花「(DVDを目の前に差し出しながら) 勇太! このアニメ、スゴイ! 絶対見るべき!」
勇太「なになに? 『魔法戦争』? あー、お前が好きそうなタイトルだな…」

てな感じのCMとかやれないかなと。

まあ、どこの会社も、「他所のアニメよりウチのアニメを買ってくれよ」と思ってるだろうから、そんな宣伝手法は実現しないですわな…。他社作品の映像をメインで見せながら、チラチラと自社作品の映像も挿入されるわけだから、双方に利があるCMになったりしないかな、てなことも思うのだけど、どうなんだろう…。甘いかなあ…。

いや。考えてみたら、同じ出版社の商品や、同じアニメスタジオの商品なら、作品の枠を超えたCMが既に多々作られてる気もしてきた。ていうか、京アニがそもそもそういうCMをやってたっけ。企業間の枠は超えられないだろうけど、範囲を絞れば結構見かける今更な宣伝手法、と思えてきました。

相性がありそうな気もする。 :

「中二病でも〜」のキャラなら他のアニメをガンガン宣伝できそうだけど。「中二病でも〜」を宣伝できそうなアニメキャラが全然思いつかない…。これでは、「中二病でも〜」ばかりが損(?)をするような。

いや、「俺妹」のヒロイン(?)キャラあたりが使えるだろうか…。「この勇太ってクソアニキの妹がとにかく可愛いのよ!」とかそういう。たしかそういうキャラだったよな…違ったかな…。

#2 [anime] ヤマト2199、最終回を視聴

HDDレコーダに録画だけして放置状態だったので、削除するために視聴。これでようやく全話見れた。のかな…。TV放送分は色々カットされてる予感もあるけど。

とりあえず、ヤマト2199を見てアレコレ思ったことをメモ。

全体に対する感想・印象。 :

ヤマト2199に対する全体的な感想としては…。実に楽しめる作品だったなと。

アニメなら何でも見ちゃう自分はともかくとして、普段はアニメなんか滅多に見ない妹ですら「アレは結構面白い」と視聴を続けてたぐらいなので、かなりグッドな出来だったのではないかしら、と思っていたり。

自分は、オリジナルのヤマトに夢中になってた世代より、ちょっと下の世代なので、ヤマトというコンテンツにそれほど思い入れがあるほうではなく。と言っても「さらば宇宙戦艦ヤマト」は映画館で見た記憶もあるけれど、それでも上の世代ほど、神聖化・過剰な脳内美化はしてないはずで。

加えて、出渕監督作品を全然評価してなくて…。演出家や監督としてずっと訓練を続けてきた本職の人達より、考え方やまとめ方の点でどうしても劣るんじゃないですかねえ、てな失礼なことを思っていまして。

そのおかげで、期待値が低い状態で見れたから、楽しめたところもあるのだろうなと。何にせよ、
「あの貧相な昭和アニメを、よくまあここまで美しい映像でリメイクできたものだなあ」
「しかも設定面では、オリジナルのソレをしっかりアップデートできていたのでは」
「当時のファンが、作り手になって、しかも本気で作ると、ここまで面白くなるのか…。作品への愛って、大事なんだなあ」
てな感じで、総じて好印象だったのでした。ホント、愛って偉大ですな。

それにしても、リメイク作品を見るにあたって脳内美化は敵だなと。ダメ出ししてる人はオリジナル版を見直したほうが…。でも、見れる機会はそれほどないから難しいか…。

猛スピードで飛んでいくヤマトについて。 :

個人的には、ロケットのように猛スピードで突っ込んでいくヤマトのビジュアルを堪能できたあたりが嬉しかったり。よくよく考えてみれば、これが本来のヤマトの映像だったんじゃないかな、とすら思えてきて。
  • お尻にアレだけ巨大な噴射口をつけたデザインなのに、宇宙をポワポワ飛んでるだけでは、あまりにもったいない。せっかくの強烈なデザインが台無し。
  • 元々、戦艦ってのは、波をガンガン突っ切って進んでいくパワフルさだって燃え要素。戦艦好きな人なら、「この船はxxノット出るんだぜ…」てなスペック比較もワクワクするはずで。つまり、「戦艦」は速度も重要。
てなわけで、これでようやく本来の「宇宙戦艦」らしさが映像化できたのかもしれないなー、と。

そのあたり、完全に3DCG導入の効能だろうなと。昔は、手描き作画しかできなかったから、あれほど線の多い物体をグリグリ動かすことなんかできなくて。仕方ないから、時間をかけてヤマトの一枚絵を描いて、宇宙の背景画の上に置くのが精一杯。「さて、これでどうやって宇宙戦をしてるように見せようか…」と悩んでたはずで。

それが、「ヤマトはコンピュータが描いてくれますよ」「人間様はヤマトの動きだけをひたすら妄想してください」となった時、そこでようやく、「宇宙戦艦」という言葉や、ヤマトのデザインから連想できる動きが湧き上がってきて、ヤマト2199の映像になったのだろうなと。

つまり、「宇宙戦艦ヤマト」の宇宙戦映像は、本来ヤマト2199のソレが正解で。オリジナル版の映像は、枷があったからあのぐらいしかできませんでした、てな、ある意味、間に合わせの映像と捉えるのが正しいのではないかと。

てなわけで、「猛スピードで飛んでいくヤマトなんてヤマトじゃない」てな不満には、自分は異を唱えたいです。オリジナル版のノロノロ飛行より、こっちのほうが正解だよと。一度見せられた間に合わせの「型」を本物と思い込んでしまってはいかんよと。

「仮面ライダー」シリーズあたりもそうだけど、「型」ばかり重要視する人が多過ぎる。当時のスタッフはもっとゴイスな表現をしたかったけど、色々な問題があって、その「型」にするしかなかったわけで。想像力に溢れたゴイスなスタッフがあれだけ集結して作ってたのだから、あの程度の映像で良しとしていたはずがないですよ。故に、技術が進歩して、時代も変わって、昔の作品をリメイクするぞとなった際、「当時のスタッフがやりたかったのは何だろう」「本当はどんな映像を見せたかったのだろう」「今ならどう見せればソレが伝わるだろう」と原点に立ち返って想像して、あり得たはずの映像を提示する…。コレって、非難されるどころか褒められてしかるべきでは? と自分は思うのですけれど。

「型」を守ることを ―― 目的を忘れて手段を守ることを優先、みたいなことをしてるソレは、えてして死んでいくよなと。何かを作り直すなら、再生させるなら、ソレが持っていた「目的」に相当する部分を ―― いわば「魂」を受け継ぐことが肝心要で。「魂」を忘れ、当時だからこそ通用した「型」だけを守れと命じてたら、結果ソレは「死」へと近づいていく。それって、作品を愛してるような物言いをしてるつもりで、実は愛してないのでは、と思うのでした。

てなことを書いてはみたけれど。今でも・どの時代でも通用する「型」もあるだろうから、そのへんの見極め・取捨選択も大事だよなー、と思ったりもして。何でも捨てて変えてしまえばそれでいいのだ、てなわけでもないですわな。

最後のあたりのスピリチュアルな設定について。 :

ネタバレなので、未見の人はスルーしてほしいのですが。

ヤマト2199の最後のあたり、自分は首を捻ってしまったのです。「惑星の魂」だか「惑星の想い」だか、よくわからないスピリチュアル設定が出てきて、「なんだなんだ、どうしたんだ。これってSFアニメじゃなかったのか」と困惑しちゃって。どうしてコスモクリーナーDじゃなくて、コスモリバースシステムだったのだろう。どうして、「ヤマト」という船が、その「魂」とやらを持っていることになったのだろう。てなことを考え始めてしまって。

随分経ってから、そのあたり、なんだかちょっぴりピンときまして。要するに、「地球の再生」という本編中の課題と、スタッフに与えられた「ヤマトシリーズの再生」という課題を、重ねて考えてるうちに出てきた設定なのかなと。

おそらくスタッフの中では、「ヤマトシリーズの再生って、どういうことだろう」「ヤマトシリーズが、ヤマトシリーズであるための条件って、一体何だろう」「『宇宙戦艦ヤマト』の魂って一体何だろうね」てなあたりを、もやもやと考えてたんじゃないのかなと。そして、出てきた答えの一つが…。「『ヤマト』という船が、そこに存在していること」「『ヤマト』が、ヤマトシリーズの魂」てな答えが出てきたのかな? と。

そこまで出てきたら、地球再生に必要なもの = 地球を再生したいという願いが終結した物質・物体 = それはヤマトでしょ、ヤマトという船そのものが惑星の持つ想いの象徴でしょう。ていうかヤマトが、この作品そのものの魂に相当するブツでしょう、てな連想ができそうだなと。で、そういう設定がポンと出てきたのかしら、みたいな。

仮にそうだとすると、これって作品本編中に、作ってる側や見てる側の想いまで織り交ぜてるわけで、ちとメタ構造になってるあたり、ええんかいなと思ったりもして。しかしそもそも、オリジナルからして、沈没した旧日本軍の戦艦を復活させて宇宙に飛ばして、みたいな企画ですから…。作品内だけで全ての設定が完結しておらず、現実世界のアレコレ、日本人だけが持っていたアレコレを織り交ぜることでヒットした企画なわけで。だったら、これはこれでアリなのかもしれないなと。

まあ、このへんただの邪推なので、「いやいや、そういうことじゃないんだよ」と言われそうな気もしますけど。とりあえず自分の中では、そんな風に考えるとあの設定も納得できるかなあ、てなだけの話でした。

しかしこのへん、「ヤマトシリーズの魂は『ヤマト』じゃねえよ。『ヤマト』が無くてもヤマトシリーズは作れるよ」と考える人も、どこかに居るのかもしれないと思えてきたりもして。それはそれで見てみたい気もする…。「『ヤマト』が出てないのに、こりゃどう見てもヤマトだわ…」「コレ、ヤベエ。ヤマト2199より、よっぽど魂を受け継いじゃってるよ」みたいな。

三人の森雪。 :

前に書いたかもしれないけど、森雪が三人居た点も、なんだか面白かったなと。そっくりさんの存在は、さらわれたお姫様展開の実現に繋がっていて、上手いなーと感心したり。ヤマト実写版の森雪が出ていたのも、これは妙な事を考えたなと感心を。実写版森雪とアニメ版森雪が古代を取り合うあたりとか、そのメタっぽい状況にクラクラしました。実写版は映画なので、男勝りの森雪を掘り下げることができなかった印象があるのだけど。ヤマト2199は実写版より尺があったせいか、そこそこ掘り下げることができた感もあって、実写版の森雪もちょっとは救われたのかな、とも。

二級市民設定。 :

これは前にも書いたけど。ガミラスの二級市民設定が、とにかく秀逸だったなと…。「肌の色が青くないガミラス人」という、おそらくはオリジナル版の作業ミス・伝達ミスに過ぎなかったソレを、当時のマニアは、「実はこういう設定なのだろう」と無理矢理整合性を捻り出して遊んでたわけだけど。その冗談半分の設定を真面目に考証してみたら、ここまで作品に深みを与える設定にアップデートできてしまったわけで。

馬鹿話も結構大事、てのはホントだなと。「あんなのただのセルの塗りミスだろ」で済ませちゃうような、頭の固い人達ばかりでは、こういう設定も生み出せないよなと。遊び感覚とか、柔軟な発想ってのは、創作においては結構大事なのだなと再認識。 *1

まとめ。 :

何にせよ、ヤマト2199、とても面白かったです。しかも、これなら若い人にも全然オススメできそうだなと。ええもん見せていただきました。

この調子で、リメイク作品が増えてくれないかなあ…。いや、昔の作品をベースにして、新作企画として出てくるソレでもいいのですけど…。例えば、個人的には「バディ・コンプレックス」あたりはそんな感じがしていて、ちと好みだったり。

*1: でも、もしかすると、ヤマトの続編にそういう設定があって、そこから持ってきただけかも…と思ったりもするのですが。実際はどうなんだろう…。

以上、1 日分です。

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