mieki256's diary



2013/11/29(金) [n年前の日記]

#3 [anime][neta] アニメの中の思い出の場所

唐突に思い出してしまったのでメモ。思考メモです。 *1 なんだか、どなたかが書いてた話の寄せ集めのような気もしますが…。まあいいか…思考メモだし…。

ガンダムAGEの本放送中、どなたかが描いた二次創作漫画を見て唸ってしまった記憶がありまして。…ググってみたら見つかった。コレですコレ。

_ガンダムAGEフリット編見終わったよ!! : ガンダムまとめ連邦軍

この漫画を見た時に、「これだよ! こういうのを本編で見たかったんだよ! うわー、ガンダムAGE、もったいねー! あの基本設定だったらこういうことができたのに! ていうかこの漫画描いた人がシリーズ構成に参加してたらよかったのに!」と感動しながらも、同時に、AGE本編のガッカリ具合を思い返してションボリしちゃったわけですが。 *2

今になって考えてみたら、この漫画がやってみせたことって、
「キャラクター達にとっての『思い出の場所』を“意識して”作ってみせて」
「その上で『思い出の場所』を喪失させる」
という流れなわけで。

そう考えると、「思い出の場所」というアイテム?は、その手の娯楽作品において使い道がありそうだよなあ、と。たった1ページのラフっぽい漫画ですら、ソレ読んで感動しちゃうわけだから…。これは、上手に使いこなせたら、たぶん強いぞ、と。

しかし。日本のTVアニメって、そのへんあまり上手くないよなと。そもそも、そういうアイテムがあることにすら気づいてない脚本陣・監督さんが多かったりしないか、てな気もしてきて。例えばガンダムAGEは、その、ほとんど気付いていなかった作品の代表例じゃなかったか、と思うんですけど。 *3

でも、それは、日本のTVアニメの歴史からして、仕方ないのかもなと思えてきて。

日本の昔のTVアニメにおける「場所」は結構テキトー。 :

そもそも、日本のTVアニメが世に出始めた当時、「場所」を提示してくれるはずの「背景画」すら、間に合わせというか、単なる模様扱いだったよなと。

セルに描かれたキャラクターの後ろに何も描かれてないのはさすがに寂しいから、なんかテキトーに描いて空間を埋めとこうよと。枚数たくさん描かなきゃいけないから、5分10分でちゃちゃっと描いてよと。そんな時期が、結構長かったのではないかなーと想像するのです。

そんな扱いだから…。「この場所…『鉄腕アトム』のあの場所だ!」とか「この場所…『魔法使いサリー』のあの場所だ!」とか、自分達が思い出す瞬間なんて一切無いわけですよ。さすがにキャラを見れば「これは○○だ!」と思い出せるけど。昔のTVアニメの背景だけを見て、「これは○○のあの場所!」って思い出すことは、まず無いですよね。

つまり、日本のTVアニメは、そもそも「場所」という情報すら、ぞんざいに扱ってきたのかも、と思えてきたわけで。背景画の扱いからして、ソレを証明してないかと。

もちろん例外はあって。「ハイジ」あたりは明らかに例外なんですけど。わざわざ外国まで行ってロケをしてますし。山脈を見ただけで「ハイジだ!」と思いますし。でも、ソレ以外は…。

ただ、さすがに、アレから何十年も経ったので、業界もそのあたりの意識が変わってきて。

昨今の、現代日本を舞台にしたアニメでは、えてしてちゃんとロケをして、現実の風景を反映させた、そんな背景を描くのが比較的当たり前になっていて。ようやく、どのスタジオも、何十年も経って「ハイジ」に追いついてきた、と言えるのかもしれないですが。

ただ、「ハイジ」と同じくらい、「場所」の使い方が上手くなったかというと…。そこは微妙な気分になってきたのでした。

「記憶の中にある場所」を使いこなしていた「ハイジ」。 :

「ハイジ」の中に、たしかこんなエピソードがあったような記憶が…。偽記憶かもしれないですけど…。

未見の人にはアレなので、「もんたメソッド」にしときます。クリックすればテキストが出てきます。

ハイジとおじいさんが住んでる山小屋の隣には大きなモミの木があって。風が吹くたびに枝が揺れて、ギシギシと音を立てるわけです。その音を子守唄代わりに聞きながら、ハイジは今日も眠りにつくのでした。みたいな。

後に、 ハイジが都会に強制連行されて、ちょっと頭がアレになった際、石畳の上を走る馬車の車輪の軋む音を聞いて、モミの木の枝が軋む音と誤解してしまうわけです。「アルプスに帰ってきたんだわ!」と溢れんばかりの笑顔で走り出すハイジ。屋敷のドアを勢いよく開ける…のだけど、そこにあるのは、やっぱり都会の風景で。ハイジ、(´・ω・`)ショボーン。みたいな。

てな感じのエピソード…だったと思うんですけど、どうだったかなあ。原作にあったのか、高畑+宮崎駿コンビの創作なのか分からんのですが。何にしても、コレ、見事に、キャラが持つ「記憶の中の場所」=「思い出の場所」を活用してみせたエピソード、ですわな。

こういう使い方を、今のアニメって、やれるようになったのかなと。どうもそのへん、微妙な気がして。

キャラの後ろに見える背景画は、現実の風景の見た目にグングン近づいてきたけど。キャラが持ってるはずの、場所に対する記憶まで活用したエピソードを提示してみせる、というところまでは…。さて、どうなんですかね…。背景画のソレも作画として捉えると、作画レベルはとんでもなく高まったのに、脚本は、という話になるのでしょうか。わからんですけど。

もちろん、昨今のアニメの中で、「記憶の中の場所」「思い出の場所」の活用を試みた作品はしっかりとありまして。今の作り手をナメンナヨ、ちゃんと頑張ってるゾ、と。

今のアニメも「思い出の場所」を使いこなそうとしてる。 :

ここ最近の、「記憶の中の場所」「思い出の場所」の活用を試みた作品というと、以下が思い出されたり。
  • 「中二病」の、ヒロインの生家。
  • 「Free!」の、スイミングスクール跡地。
  • 「あの花」の、秘密基地。
自分は田舎に住んでるのでアニメをたくさん見れてませんで、すぐに思い出せたのはこのぐらいですけど。都市圏に住んでるアニメオタクの人なら、アレもコレもとガンガン思い出せるんじゃないかなと。

しかし、「ハイジ」と比べると何かが違う。ぶっちゃけ、薄い。強くない。それはどうしてだろうと。

…「そんなことないぞ。アレは強かったぞ」と仰る人も居ると思うのですが、それはその人がある条件を満たしてたからで。それについては後で書きます。とりあえず、ここは「強くない」という前提で話を進めますが。

「子供の頃に見たソレと、おじさんになってから見たソレでは、インパクトが違うだろ」という理由もあるとは思うのですが。それだけではなく、別の理由もあるように思うのです。

おそらくだけど、キャラが持ってるはずの記憶を、視聴者が共有できてないから、なのかなと。

「他人の持つ記憶」に思えてしまったら効果は薄い。 :

「ハイジ」と、今のアニメの、「思い出の場所」の提示で得られる効果の違いは…。
  • キャラの体験を、視聴者が疑似体験できたかどうか。
  • キャラの記憶が、視聴者の記憶としても共有できたどうか。
そのあたりが関係してるのではないか、と自分は思えてきたのです。あくまで仮説ですけど。

「ハイジ」は昔のTVアニメなので、何クールもあるわけで。ググってみたら全52話でしたけど。それだけ長ければ、ハイジの体験したことを、時系列に沿って、一つ一つ丁寧に、視聴者に見せていくことができるよなと。

それはつまり、TVの前の視聴者が、キャラの体験を、視覚と音声を通じて疑似体験できるということで。疑似体験をすることで、キャラの記憶が、視聴者の記憶としても共有できる。

ハイジは、モミの木のギシギシ音を、記憶として持っているけど。視聴者も、モミの木のギシギシ音を、記憶として持っている。ハイジの体験したことを、視聴者も一緒になって覗き見してきたので、ハイジの記憶≒視聴者の記憶になっているのです。

だから、後のエピソードで、ハイジの奇異な行動の理由も、ハイジがどうして悲しい気持ちになったのかも、視聴者は理解できる。理解できるから、「ハイジが可哀想や…」と感動してくれるわけで。

つまり。視聴者に、キャラの体験を疑似体験させて、キャラが持っている記憶を共有させること。それが出来れば、視聴者がキャラに感情移入できる下地が整うのだ、と言えるのかなと。「ハイジ」はソレができていた。たぶん。

でも、今のアニメって、1〜2クール作品がほとんですから…。話数が少ないので、そのキャラの体験を一つ一つ丁寧に提示していくことなんてできない。単純に、尺が足りない。

せいぜいできるとしたら、キャラが持つ過去の記憶をフラッシュバックで紹介する程度。だけどそれでは、情報量として足りないのだろうなと。その程度の見せ方では、視聴者にとって、「自分の記憶」「自分にとっての思い出」にならない。自分ではない誰かが持ってる思い出 ―― 「他人の持つ記憶」程度にしか見えてこない。これでは…感情移入が難しくなりますわな。

じゃあ、どうすんの? 昔のように、4クール作品をガンガン作りますか?

そういうわけにもいかない。ただでさえ娯楽コンテンツは時間の奪い合いになってるので、4クール作品ではチャンネルすら合わせてもらえないかもしれない。それに、今の作画密度で4クールとか、下手すると殺人行為じゃないのかなと。予算の問題もあるし、スタッフ確保の問題もあるし、他にも色々あるとは思うのですが、昔のTVアニメのスタイルに戻すのは、もう無理だよなと。要するに、「そういう時代じゃない」よねと。

困りましたな。打つ手なしですな。尺が短い点は、もう変えられない。「ハイジ」の手法は使えない。視聴者に疑似体験させられない。仕方ないから、諦めましょうか。

と思ったけれど。そこでふと思い出したのが、PIXAR作品の「カールじいさんの空飛ぶ家」でして。

「カールじいさん」における「思い出の場所」。 :

「カールじいさん」は映画ですから、TVアニメと比べたら尺が短い。ググってみたら、104分=1時間44分だそうで。

あの映画を見た人なら分かるでしょうけど…。カールじいさんが自分の家に対してどんな思い出を持っていたのか、見てるこっちはちゃんと分かりますわな。2時間にも満たない尺の中で ―― TVアニメの1クール作品より短い時間で、十分に、そのキャラが持っている記憶を、観客側も共有することができていた。

それどころか、その情報提示部分は、カールじいさんの冒険譚の前振り・下準備の部分でしかない。なのに、そのシーンを見て、そこだけで泣いちゃう人も出てきたぐらいで。PIXAR、怖いよ。どんだけ技を持ってんだよと。

ネタバレになるから、どういう見せ方してたのかは一切書きませんけど…。ああいう見せ方は、どう考えてもヒントになるよなあ、と思えてきたのでした。少なくとも、短い時間で「思い出の場所」を観客に刷り込んでしまった、成功事例の一つだろうと。分析すれば、技の一つ二つはゲットできそうだなと。

そういや、それと同じ見せ方を、「まどかマギカ」もしてたなと。「思い出の場所」云々は全然関係ないですけど、ほむほむの秘密を提示する回は、「カールじいさん」と似た見せ方をやっているような気がします。コレもネタバレになるからどういう見せ方かは書きませんけど、あの見せ方をしたからこそ、ほむほむというキャラが持っている記憶を視聴者も共有できて、ほむほむに感情移入できた…ところもあるんじゃないのかなと。

てなわけで、尺が無くてもソレができちゃう見せ方のヒントは、あちこちにありそうだなと思えてきたのでした。そのまんま使うのは難しいとしても、微妙に変えて使えたりしないかなと。

ちなみに、ここまで書いてきたソレは、キャラの思い出を真面目に見せていくやり方であって、もう一つ手はあるだろうと思っているのですけど。それは、視聴者の多くが既に持っているであろう記憶を思い出させる方法。上の方で書いた「条件」ってのがソレで。「今のアニメも、強い」と思った人は、既にその人の中に、キャラが持つ記憶と似たような記憶を、あらかじめ持ってたのではないかと。

例えば、子供の頃に秘密基地を作って遊んでた人なら、「あの花」の秘密基地設定を見ただけで、キャラの記憶が一瞬で共有できちゃうわけですよ。…こっちのほうが手っ取り早くて確実な気もしますな。ていうか「カールじいさん」のソレも、かなりの部分でソレを利用していた気もしてきたり。

にしても、ガンダムAGEって「カールじいさん」の何倍の尺があったんだろう…。ホント、もったいないなー。今からでも遅くないから、PIXARでガンダムAGEをリメイクしてくれないかな。なんちてぽっくん。

PIXAR怖い。 :

まあ、PIXARの「SFロボットアニメ」といえば、「ウォーリー(WALL-E)」が既にあるので…。わざわざガンダムを作らんでも…。そういや「ウォーリー」も、前半は丸々、「カールじいさん」と同じ手法を使ってましたな。いや、「カールじいさん」のほうが後の作品だけど。

アレって、見せ方としては、かなり昔の映画のソレですよねえ…。

PIXARの恐ろしいところは、昔の作品をしっかり分析して、技として取り込んでるあたりじゃないかなと。監督や脚本家の情報をググってみると、比較的若い人達ですから。年齢からして「オリジナル」を生み出した人達じゃないだろうと。温故知新を真剣にやってるあたりが、なんだか怖いです。

同じお手本を目にしているのに、あっちはそこにある技にどんどん気づいて取り込んで、しかも成功していて。しかしこっちは、技の存在に今一つ気づいてないとしたら、ちと絶望的な気分になりますな。金があるとかないとか、映像技術がどうとか、そういうレベルじゃないわけで。もうね…根底から勝負にならないというか…。

なんとなく、以前TVで見た、松茸採りの名人の映像を思い出してしまったり。芸能人が全然松茸を見つけられないのに、同じ場所で、名人はポンポン見つけていくのですよ。たぶん、アレ、落ち葉の積もった場所の見方が違うんですよ…。PIXARも、名人の集団なのでしょうな。見方さえ分かれば、松茸の在処が分かるんじゃないかなと。

見方が分かれば…。それってもしかすると、宮崎駿監督が言うところの「観察せよ」という話に繋がるのかもしれないですな。宮崎駿監督も、たぶん、見方が分かってる名人だったのかもしれず。

えーと、何の話だっけ。俺の松茸はスゴイぞとかそういう話だったかしらん。ゴメン。少し見栄張りました。自分のはたぶんシメジ。

*1: 誰かに語りかけるような感じで書いてくと思考がまとまりやすいような気がするので、こういう書き方をしてるだけでして…。
*2: 別に、この漫画の内容をそのままやってほしい、って話じゃないですよ? こういう感じのエピソードをもっと入れてあったら、印象が全然違ったんじゃないの? という話でしかないです。
*3: もっとも、主役艦の扱いを見る限り、その美味しさにはしっかりと気付いてたんだけど、作り込みが足りてなかった、と捉えるべきなのかしら。でも、意図的に作り込まないようにしていた、という話もどこかで見かけたし…。遊具を敷き詰めた公園より、空地のほうが子供達にとっては遊び場になるのだ、という考えも、たしかに分からないでもなくて。隙間があったが故にファンが盛り上がった事例って、実際にたくさんありますし。そもそも1stガンダムすら、そういうところがありましたし。だけど…。まあ、色々と難しいですよね。

以上です。

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