mieki256's diary



2006/09/01(金) [n年前の日記]

#8 [zatta] 作品が「つまらない」のではなくて、貴方の中身が「つまらない」

笑いってのは、観客側に受容体・センサがないと得られないもの、だと思う。

ある作品を見て誰一人笑ってなかったら、それは作品の中に「笑い」に繋がるものが何も無い状態、だろうけど。誰かが笑ったら、その作品は、既に「何か」を内包してる。

自分は笑えないのに周囲が笑ってたら。それは、作品を責めてはいけない場面。「何か」が欠落しているのは作品ではない。欠落しているのは自分なのだ。「何か」に反応するための受容体が、笑いを嗅ぎ取るだけのセンサが、その人に欠けている。だから笑えない。…作品が「つまらない」のではない。貴方の中身が「つまらない」のだ。

てなことを思ったのでメモ。

要するに、楽しんでる人の前で、「こんなので笑えるヤツはおかしい」「センスを疑う」等、必死になって訴えるもんじゃないよなと。特に笑いは、受け手側が所有してる文化や知識も密接に絡んでくるわけで。作品を貶してるつもりが墓穴を掘ってたりしそうだなと。まあ、そんなことをなんとなくぼんやりと。

劣等意識とか同調とかセンサの感度とかも影響するのだろうな。 :

周囲が受容体を持ってるのに自分は持ってない、という状況に激しい劣等意識を感じてしまう人は、面白くもないのに「面白いね」とか言ってしまったりするのだろうか。…その逆パターンもありそう。皆が「つまらない」と言ってるから、自分も「つまらない」と言わなきゃ、みたいな。その手の強迫観念を絶えず持ちながら、周囲の顔色を伺って感想を述べてる人ってのも、なんかアレだなぁ。

それとは別に。センサの感度が鈍ってきたり鋭くなったり、てなこともありそうな。例えば、学生映画ばかり見てる人は、商業映画で学生映画的な実験映像が出てくると辟易したりするらしいし。センサを持ってはいるけど、それを使いすぎちゃって笑えなくなってる、という人も居たりするのかもしれない。

TVを見ながらそういうことを考えてしまったと、それだけの話なんですが。とりあえずメモ。

以上です。

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