mieki256's diary



2018/09/18(火) [n年前の日記]

#2 [anime][neta] 「紅の豚」の飛行機工場のシーンについてなんとなく思ったり

思考メモ。

「紅の豚」の飛行機工場のシーンについて思い返しているうちに、アレは宮崎駿監督が初期の東映動画に属していたから思いついたシチュエーション、自身の体験から生まれたシーンだったりするのかなと思えてきたり。

東映動画時代は、作品制作の終盤になると、原画マンや動画マンも仕上げ部に手伝いに行ってた、みたいな話が大塚康生氏の「作画汗まみれ」に書かれてたような気がするわけで。おそらく、女性ばかりがずらりと並んでる仕上げ部の光景を見て、当時の宮崎駿氏は何かを感じていたのではあるまいか…。そしてそれが、後に自作の中で、ひょっこり芽を出したのでは、と…。

「紅の豚」の主人公は、最初、「オイオイ大丈夫か」と不安がってるけれど。工場長は「まかせとけ」なノリだし、そのうち顔を知ってる婆ちゃん達も出てくるし、「モリモリ食べて、ビシバシ働こう」というスローガン通りに立派な働きを見せる作業員の姿を目にするしで。「コイツラに任せとけば大丈夫だ」という気持ちに変わってくる…。そこらへんも、東映動画時代の宮崎駿監督の体験から出てきた流れ、だったりしないかと…。「この娘さん達、スゲエな。頼りになるな」「仕上げに関しては俺より上手いやん」みたいな。

だとしたら、マズイ。若い作り手世代は分業が進み過ぎていて、部署間の交流がほとんど無いらしいから、宮崎駿監督が目撃したそういう風景を、自身の体験として得る機会が無いだろう。ということは、宮崎アニメのような作品を作ろうとしても、コレは作れない。実体験に基づく引き出しが少ないから。

であれば…。時々強制的に、演出、原画マン、動画マンを、仕上げの手伝いに行かせないとマズいのでは…。って短絡的過ぎるか。というか、そんな余裕が今のアニメ業界にあるわけ無いし。そもそも、それぞれ、別スタジオ・別会社になってるだろうから無理だよな。おそらくはスタジオがある国自体も違ってそう。

などと考えると、一つのスタジオで全工程をやっていた初期の東映動画に参加してた世代って、なんだかズルいなあと思えてきたりもして。「作画汗まみれ」には、仕上げを手伝ってるうちに仕上げ担当の女性を奥さんにしちゃった男性アニメーターの話が載ってたりするし…。出会いの機会もあったのだよなあ…。なんだかズルい。

と言うのは冗談としても、分業が進むとそれはそれで色々デメリットがあるんだろうな、みたいなことを思ったり。制作システムの柔軟性は失われるだろうし…。誰かが言ってたけど、アニメの1カットは工業製品じゃなくて、本来は全カットが特注品・一品モノなのだ、それを工場のラインのような感覚で作ろうとするから話がおかしくなってくるのだ、みたいな。しかし、そういった妙な分業を推し進めちゃったのが東映動画・東映アニメーションってあたりがなんだか皮肉な状況だけど。

東映動画ではなくて、スタジオぴえろの話だけれど…。「うる星やつら」劇場版第1作の時は、時間も人手も足りなくて、押井監督までセルの仕上げをやってたらしいけど。本来なら、そのぐらい柔軟なことができる環境で作ったほうが、伸び伸びとした作品が出てくるのかなと…。 *1 と言っても当人達は「あんなのは二度とゴメン」「伸び伸び云々以前の悲惨な状況だよ」と絶対言い出すだろうけど。

とかなんとか考えちゃう機会すら与えてくれるあたり、やはり宮崎アニメは名作揃いだなーと思いました。(小並感)
*1: いや、「うる星やつら」劇場版第1作は、押井監督からすると伸び伸びとは程遠い作品だったのだろうけど…。「ビューティフルドリーマー」のほうが伸び伸びしてるよな…。

以上です。

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