2016/03/08(火) [n年前の日記]
#2 [prog][neta] Markdown文書の見出しの書き方についてもやもや
どうして「# 見出し」形式ばかり使われるのかなあ…。
まあ、blog等を書く場合は頻繁に記事を作成するはずだから、打鍵数も少なくて済むし、後から修正するのも面倒臭くないし、H1,H2しか「===」「---」は使えないのに比べて「#」はH1〜H6で使えるからそれだけ覚えておけば済むしで、「# 見出し」が使われやすいのだろうけど。しかし、パッと見の可読性は落ちるわけで。
可読性をそれほど追求しないなら、それこそWiki記法だの、はてな記法だの、ハイパー日記システム(hns)のhnfだの、いかにもプログラマーが考えたっぽいクソ記法(失礼)を使ってればええやろって話に…。でもまあ、バランスを考えたらMarkdownで書いたほうがまだマシ、ってことなのだろうか。
プログラマーはうっかりすると、すぐに記号や特定キーワードを打ち込んで書式設定を、などと安易に考えてしまうのだけど。Markdown が他の記法と一線を画しているのは、「テキストファイルのままでも、パッと見で読みやすい」「それでいて、そこそこな書式設定はできる」てなところにあったわけで。
ところが、そこを分かってないプログラマー達が「これじゃ機能が少ない」「こういう機能も追加しよう」と言い始めて、しかも中には可読性を考えてないルール追加を平気でやらかす事例まで…。そりゃ Markdown を考えた人も、「てめえら勝手に共通仕様を決めようとか言ってんじゃねえ」とプリプリ怒っちゃうよなと。分かってないプログラマーが多過ぎて信用できねえもの。や、そういう理由で怒ったのかどうかはわかんないですけど。
機能追加にしろ、文書作成時にしろ、「テキストのままでもパッと見で読みやすいか」を意識しないなら、Markdown の存在意義、Markdown で書く意味が無いわけで…。呪文を打ち込むことが常態化してるプログラマーという人種は、そのあたりの感覚がおかしくなってるのだよなあ。
そして、その感覚のおかしさがチラチラ垣間見えるのが、「# 見出し」ばかり使うソレなのかな、などと思ったりもするのです。
まあ、blog等を書く場合は頻繁に記事を作成するはずだから、打鍵数も少なくて済むし、後から修正するのも面倒臭くないし、H1,H2しか「===」「---」は使えないのに比べて「#」はH1〜H6で使えるからそれだけ覚えておけば済むしで、「# 見出し」が使われやすいのだろうけど。しかし、パッと見の可読性は落ちるわけで。
可読性をそれほど追求しないなら、それこそWiki記法だの、はてな記法だの、ハイパー日記システム(hns)のhnfだの、いかにもプログラマーが考えたっぽいクソ記法(失礼)を使ってればええやろって話に…。でもまあ、バランスを考えたらMarkdownで書いたほうがまだマシ、ってことなのだろうか。
プログラマーはうっかりすると、すぐに記号や特定キーワードを打ち込んで書式設定を、などと安易に考えてしまうのだけど。Markdown が他の記法と一線を画しているのは、「テキストファイルのままでも、パッと見で読みやすい」「それでいて、そこそこな書式設定はできる」てなところにあったわけで。
ところが、そこを分かってないプログラマー達が「これじゃ機能が少ない」「こういう機能も追加しよう」と言い始めて、しかも中には可読性を考えてないルール追加を平気でやらかす事例まで…。そりゃ Markdown を考えた人も、「てめえら勝手に共通仕様を決めようとか言ってんじゃねえ」とプリプリ怒っちゃうよなと。分かってないプログラマーが多過ぎて信用できねえもの。や、そういう理由で怒ったのかどうかはわかんないですけど。
機能追加にしろ、文書作成時にしろ、「テキストのままでもパッと見で読みやすいか」を意識しないなら、Markdown の存在意義、Markdown で書く意味が無いわけで…。呪文を打ち込むことが常態化してるプログラマーという人種は、そのあたりの感覚がおかしくなってるのだよなあ。
そして、その感覚のおかしさがチラチラ垣間見えるのが、「# 見出し」ばかり使うソレなのかな、などと思ったりもするのです。
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以上です。