mieki256's diary



2016/02/26(金) [n年前の日記]

#1 [windows] Windows10上でvorbis.acmが悪さをする件

Windows10上で、FL Studio同梱の vorbis.acm が他のアプリに対して悪さをする件について。少しググってたのですが、どうも Windows8.1 でリモートデスクトップ接続をした時も悪さをしてしまうという話も見かけて。これは vorbis.acm が悪いなと。Microsoft が悪いわけじゃないなと。

FL Studioの開発会社である Image-Line のフォーラムを眺めてたら、おそらくは「将来的には vorbis.acm に依存しない作りがいいよなあ」てな発言も見かけたり。開発者の発言なのか、ユーザの発言なのかわからんですが。たしかに、他の複数のアプリ・機能に悪影響を及ぼすなら、使わない方向にしていかないとダメだよなと。

そもそもどうして wav に vorbis 突っ込んでるんだよ、という気もしましたが。 _WAVE ファイルフォーマット や、 _wav ファイルフォーマット を眺めたら、wav は膨大な種類の音声フォーマットを含めることができるファイル仕様?になってたようで。すると、wav に vorbis に入っていても問題無い、ということなのか…。中には「FM TOWNS」なんて音声フォーマットもあるよ…。なんだソレ…。

この記事へのツッコミ

Re: Windows10上でvorbis.acmが悪さをする件 by かにみそ    2020/04/22 18:22
いきなりで申し訳ありません。
現在在宅関係で家からリモート接続を行っているのですがリモートが落ちてつながりません
いろいろ調べてみるとvorbis.acmの不具合を書いている内容に似ているのですがsystem32のなかを探しても見つかりません。
書いてあるようにWindows8.1で問題が起きて10にアップデートしたのですが変わりません。対処法があれば教えていただきたいです。
よろしくお願いいたします。
Re: Windows10上でvorbis.acmが悪さをする件 by mieki256    2020/07/02 22:03
レスが遅くなってしまい申し訳ありません。
自分の環境(Windows10 x64 1909)でファイル検索してみたら、
以下の二ヶ所に件の .acm が入ってました。

C:\Windows\System32\vorbis.acm
C:\Windows\SysWOW64\vorbis.acm

当時(2016/02/25)、両方とも別フォルダに移動したら不具合が解決したと、
この日記にはメモしてありました。

ただ、この2つは、FL Studio というDAWソフト(DTMソフト)を
インストールした際にインストールされたものなので、
その手のソフトを導入してない環境では
そもそも最初から入ってないと思います…。

#2 [neta] 一人称視点とカット割り

だらだらと思考メモ。

寝ていたら、何故かモビルスーツに乗って空を飛ぶ夢を見て。一人称視点でグングン飛んでいく映像。しかし、なかなか遠くまで飛んでいけない。ここはアニメのようにカットが変わると遠くを飛んでるということにしたい、カットよ切り替われ、と夢の中で念じてみたのですが、全然変わってくれない。

目が覚めてから、ぼんやり考えてしまったり。もしかして、一人称視点でカットがパカパカ切り替わる映像というのは、脳が無意識に拒否しちゃうのかなと。

人間は常日頃、自分の目で見た映像を ―― 一人称視点の映像を脳に与えてるわけだけど。その映像は、あくまで時間的に連続している映像で。パッと光景が切り替わった直後に遠くに移動できてます、てな映像は見たことが無い。だから、そういう映像をイメージしようと思っても本能的に難しい。故に夢の中でそんな映像は出てこなかった、みたいなことかなと。

だとすると…。今後VRデバイスが普及したとして、一人称視点の映像内でカットがパカッと切り替わる、てな見せ方を試みる事例が増えてきそうだけど。その場合ユーザの脳は一体どんな印象を受けるんだろうと。おそらく最初のうちは混乱するユーザさんが続出するのかな。それとも、意外とすぐに慣れちゃうのかな。

仮に混乱続出だったとしても、例えば Googleストリートビューなどを眺めていると、ちょっと一工夫するだけでそのあたりの違和感をごっそり排除できたりもするのだろうなと。

Googleストリートビューは、飛び飛びであちこちの場所の写真を撮影してるので、画像群に連続性が無く。そのままパカパカと画像を切り替えたら、おそらく気持ち悪くてとても見てられないはずだけど。おそらくは次の画像を読み込むための時間稼ぎも兼ねて、画像を切り替える際にズームインエフェクトを加えてみたことで、本来は不連続な画像群に、まるで連続性があるように錯覚させることができているわけで。

まあ、そのあたりのテクニックは、既にFPSゲームでアレコレ試されてノウハウが溜まってそうですけど。

てな感じの何の役にも立たないどうでもいいことをぽわぽわと考えてしまったのでなんとなくメモ。

2Dゲームの強み。 :

一人称視点の映像を提示するゲームはカットの切り替えが難しい、と仮定したとして。逆に、旧来の2Dゲームは、えてして三人称視点で映像を提供してるわけだから、映像作品におけるカットの切り替えによる時間の省略などが結構流用できるはずで、もしかするとそのあたりを意識すれば3DゲームやVRゲームに対するアドバンテージになり得たりはしないのかなと。

でも、旧来の2Dゲームって、プレイ時間をどれだけ無意味に長くして商品購入時のお得感を増すかという方向で努力していた節もあるので、そのへん上手くいかないかも…。

と思ったけれど、同じ2Dゲームでも昔のアーケード畑の人達は、プレイ時間の短縮を絶えず要求されて、その難問をクリアしてきたのだよなと…。仮に2Dゲームのそういう面での強みを活かせるとしたら、それは昔のアーケード畑で鍛えてきた人達だったりする、かもしれない、とか思ったりもしたけど、昔の2Dアーケードゲームも提示していたゲーム画面映像は実時間が主流だろうから、あまり関係ないか…。

カットの切り替えができると時間が省略できることについて。 :

例えば、魔女の宅急便で、主人公と絵描きのお姉さんが、アトリエまで行くシーンなどを思い出せば分かりやすいのかもと思えてきたのでメモ。

二人がアトリエに行くまでの、移動にかかる実時間を見せてしまったら、それだけで何時間もかかって映画が終わっちゃうわけだけど。映画の中では、バスに乗ってるカット、車をヒッチハイクしてるカット、車から降りて坂を登るカット、等々の光景をカットを切り替えていくつか提示することで、わずか数十秒で移動を終えてしまってるわけで。

別に魔女宅だけがそういうことをやってるわけじゃなくて、あらゆる映像作品、はたまた漫画なども、そういった時間の省略をまるで息をするようにやってるわけだけど。三人称視点の映像はそういう見せ方ができるあたりが面白いというか、便利というか。

これが一人称視点の映像になると、実時間を提示するのがフツーなわけで。おそらくVRゲームなどは、僅か数カットで何時間もの時間跳躍を示す、なんてのは難しいだろうと。その代り、実時間の映像を延々見せ続けることで、没入感は映像作品以上になるところがある、と言えるのだろうけど。

不連続な画・映像を繋げることで、連続性があるように錯覚する云々は、 _モンタージュ技法だかモンタージュ理論だか そのあたりに関連してくる、のかな。いや、時間の省略云々は違う呼び名・違う手法として扱われそうな。ちゃんと勉強したことがないのでそのへんわかりませんです。

以上、1 日分です。

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